第12話  ストリントベリイ

「お腹いっぱいになったが、まだ出発まで1時間ある。下車しよう」

 朝食後、イラフが言った。

「そうだな。明るくなってきたし」

 チヒラが応える。

 列車を降りた。殺気はない。

「街に出てみるか」

 笑みもせず、チヒラが言う。

「そうだね」

 イラフもそう応えただけだった。


 巌のように幽玄なる建築。埴の人形のように感情がない。非情の面相の石壁が来る者を睥睨するのみであった。


 ミュールを鳴らすチヒラ、ペパーミント・グリーンの眼光鋭きイラフ、駅前の平場を過(よ)ぎり、大通りから逸れて枝道に、さらに路地に入る。


「人通りが少ないね」

「そういう街なのさ。大公は苛烈な武人だ。商業を否定している」

「それで街が成り立つのか。

 すべての社会は下部構造に、経済を持っている。法律や政治は上物に過ぎない。古代神聖政治ですら、そうであったはずでは」

「そうだね。

 そもそも集団というものは、生産物がないと養えない。この町は傭兵で成り立っているのさ。この地域一帯がそういう感じだ。武士階級出身、傭兵出身の為政者はこのあたりじゃ、珍しくない。武勲を何よりも尊ぶ土地柄だ。

 傭兵上がりのユグスト辺境伯は最もソリッドな典型とも言える」


「あ」

「どうした?」

「見ろ。少年が暴力を振るわれている」

 人の姿が見えない街で初めて見た人がこれだった。数人の男が金髪の少年を囲んで殴ったり、蹴ったりしている。

「イラフ、あの少年はシルヴィエ人だ。周りを顔んでいるのは若い傭兵か、傭兵の子息たちだろう」

「だからと言って多勢に無勢で赦されるのか」

「シルヴィエ人は侵略者だからな。嫌われているんだ。憎まれている」

「だがあの少年が何をしたわけでもない。理不尽だ」

「感情は常に理不尽さ。彼らも仲間や家族をシルヴィエ人に傷つけられたか、殺されたかしたのかもしれない。生まれた土地を奪われたのかもしれない。尊厳を疵附けられたのかもしれない。そんなときの人間のほとばしるような言動の奔流は、必ずしも理に制御されたものではない。ほとんどが過剰で、むしろ矯激だ」


「わたしは助けに行く」

「どうぞ。ご勝手に」

 イラフは割って入った。


「君たち止めたまえ。卑怯だ。こんな年端もいかない少年を。君らのような筋骨たくましい青年が」

「黙れ、こいつらは悪の民族なんだ」

 スキン・ヘッドの一人がそう喚く。


「莫迦か? ペーパーバックや下等な俗悪映画じゃあるまいし、この世に悪の民族などあるものか。この世に民族全員が悪である民族などあり得るはずがない。民族が同じだと同じなのか。逆に正義の民族もない。

 民族や宗教単位で悪だなどと決めつける愚劣さが悪だ」


 理の通った話も知性のない者らには通じない。もうの一人の巨漢も、

「ほざいてんじゃねえ。こいつはなあ、シルヴィエ人なんだぞ。わかってるのか? てめえ、シルヴィエの味方するのか」


 顔に大きな傷のある日焼けした背の高い痩せ男も近附いて来て、

「ああん? 何だ、てめえ、女じゃねえか」


「だから何だ?」

「お嬢ちゃん、怪我したくなきゃ、邪魔するんじゃねえよ」

「怪我? 君らがわたしに怪我をさせる? 面白い」

「おいおい、でかい剣を佩いてるからって、調子に乗るなよ、おちびちゃん」


「そうか」

 抜剣と同時に五人の男たちのズボンのベルトが切れ、ズボンが落ちた。


「ひゃあ」「ぅっぅわっ!」「なんだ、こりゃ!」「てめえ、やりやがったな」


 一斉に襲い掛かってくる。イラフは剣の柄で鼻をへし折る。男が倒れる。


「て、てめええええ」

 次に襲いかかってきた男の肩に飛び乗り、襲ってきた三人目の男の顔を蹴り倒し、四人目を峰打ちで昏倒させる。


「この野郎、あまっちょろめ、降りやがれ」

 男は自分の肩の上にいるイラフの足をつかもうとするが、踊るように軽快に肩の上で跳ねるので捕まえられない。


「俺に任せろ」

 五人目の男がイラフを殴ろうとし、空振り。イラフを肩に乗せた男を殴ってしまう。男が倒れ、イラフは静かに着地する。五人目に剣を突き附け、

「さあ、どうだ? おまえ自身の愚かさがよくわかったか? 憎むなら、やった者を憎め!」


「ち、ちくしょう!」

「愚か者、まだわからないらしい」

 イラフは峰打ちで叩きのめした。


「世界は虚しい。理性の欠乏した人間の何と多いことか。愚か者には理屈が通じない。闇に蔽われて、通るべき道理が通らない。惧るべきことだ。愚劣が世を覆っていて、残虐がまかり通る。愚かであるということは罪悪だ。狡猾な者も卑怯な者も邪悪な者も、要するに愚かなのだ。何て虚しいことか。

 さあ、大丈夫か、シルヴィエの方よ」

「うえーん、う、うえーん」

「泣くな、さあ、お母さんのところへ帰りなさい、いや、家に帰りなさい。家はあるのか」


 泣きながら首を振る。

「家がないのか、君、なまえは」

「リアイヰ(璃亞彝巸)」

「行く場所がないのか」

「海鳥島(エル・パッハロ・デル・マル)に行くんだ」

「エル・パッハロ・デル・マル! そこに家族がいるのか」

「違う! でも海鳥島に行くんだ」

「わからないことを言うね。ここからは遥かに遠いぞ。どうやって行くんだ」

「僕、歩いていくんだ」

「無理だよ。いったい、なぜ」


「どうしたんだ、イラフ」

 怪しんでチヒラが近附いて来る。

「いや、この子が。・・・・あっ!」


 突然だった。

 陣風のような勢いで人影が過ぎる。思う間もなく、反射的に二人はかわしていた。凄まじい朱い大剣が空間そのものを裂くように伸びて迫る。二人を同時に斬らんばかりの勢いであった。


『捉えられない!』


 動体視力が追い付かない、イラフは刹那そう思った。かわした後でも風圧で斃れそうになる。力に逆らわず、転がりながらチヒラが気を放つ。敵の動きが千分の一秒緩んだ隙に、イラフは地表すれすれ、背の高い敵の膝下に滑り入り、石畳を蹴って垂直に飛んで下から上へ縦に逆斬りせんとする。


 これぞ神彝裂刀の奥義、〝韋屰天亢龍(いげきてんこうりゅう)〟であった。


 その垂直のさま、竟(つい)に天に昇り畢(おわ)らんとする亢龍のごとくではあったが、籠手で軽く払いのけられる。

「っわッ!」


 敵は背後から放たれたチヒラの気の刃を剣で両断し、返す刀で、イラフを裂かんとするも、転(ころ)びながらイラフは振り下ろされた剣を逃れる。


 ズン! もの凄く重たい剣だ。その刀身が石畳に深く刺さって石が飛び散り、路面が揺れた。

「ばかな」


 イラフはまた驚いた。刀身の半ばまで深く刺さった幅広の剣が、何のストレスもなく抜けて鞭のようにしなりながら迫ってくる。切っ尖が鼻先をかすめた。チヒラが両掌を差しだして気を撃ち放つも、敵はわずかに動きが止まる程度。

「このままでは」

「やられる」

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