第10話  汽車の旅

 街を出ると霧は薄らいできた。


 木々や草原が現れ始め、素朴な土壁の農家などがポツリポツリと見えるようになる。降る雨に寂しげだなどと思うと、突如、霧をまとうストラングラー駅の偉容が見え始めてきた。


 処刑場のあった小さな絞首刑人の町の名を冠する駅とはとても思えない。本来のストラングラーの町よりも、この周辺の方が近代的で栄えていた。

 川の傍にある駅は半ば橋にまたがっている。帆船で運んだ物を貨物列車に積んで運ぶこともその逆も容易だ。駅のファサードはホテルのファサードでもあった。


 象徴的なオベリスク塔が立つ駅前の円形広場では、次々と馬車が着いて人々が降りた。馬車は時々渋滞して列になる。街道を挟んだ向かいにも大きなホテル、オテル・リコがあった。そこは高級で金持ち専門だ。


 駅の切符売り場に行くと、買うまでもなくイラフの席は用意されていた。イースの手配だ。当たり前だが、チヒラの席の用意はない。今からチヒラが購入すれば、イラフとは離れた席になるのは明らかだった。


「二人用の席を確保できないかな」

 イラフは依頼する。

「お待ちください。確認いたします」

 予約係は髪を結った制服の女性で、手早く予約台帳を確認した。実は鉄道職員は公安職員が兼ねている。犯罪者やスパイの往来をチェックするためだ。

 あまり待たされなかった。席に余裕があったので、二人は二人用のコンパートメントに入る。ちなみにこの急行列車は全席がコンパートメント式であった。


 クラウドの誇る麗々しい列車には金色の筆記体で「クラウド・スパルタクス急行」という文字が象嵌されている。車輛はクラシカルな深い青であった。

 車掌に導かれて颯爽と乗り込む。濃い青の制服の男の後に附いて狭い廊下を行く。麗々しい夫人や凛々しい紳士とすれ違う。すれ違えるほどの幅があった。映画などで見るよりも広い感じだ。


 部屋に着くと、内装は絨毯も麗々しく、木目も美しいクラシカル調である。案内された個室は十分な高級感のある部屋だった。 

「すばらしいな」

 チヒラが言った。

「映画を思い出したよ。アガサ・クリスティだ。オリエント急行」


 肘掛の附いたソファのような椅子にゆったり腰かける。汽笛を鳴らし、汽車が動き始めた。駅舎を出ると、すぐに川を渡る橋である。橋は川の上で二股に分かれていた。広々としたエジンバール川は霧に覆われていてもその偉容をうかがわせる。切れ目に悠々と流れる黒い姿を垣間見させていた。壮観であった。早くも旅愁を感じる。

「もう朝だろうね」

 川を渡り終えると、チヒラが言う。

「6時過ぎた。黎明の時刻だろうと思う。いや、実際、少し明るいよ」


 遠く霧の上に山脈の影を眺めながら平らかな地を行く。

 チヒラは大きな革装丁の本を出して読み耽り始めた。


 平原は霧がまとい附くように漾う。渺茫たる景色のところどころに白い岩を剥き出しにし、岩は雨に濡れていた。他に見えるものはと言えば、点在する灌木の濃い緑があるばかり。稀に見る常緑の高木はオリーブのようであった。


 しばらくして山岳地帯の峡谷を走るようになる。霧はかなり薄れ、消えかけていた。深い渓谷の下が見えて怖ろしい。雨は霧雨に変わっていた。


 この地域は嶮しい山岳と、切り込む深い峡谷と、唐突に現れる平原との三つが基本的な組み合わせだ。そこにさらに湖や深い森林が添えられ、総合的な印象としては屹(そばだ)つ地形が網目のように無数に繋がり、人の往く手を阻むかのような構成になっている。


 こうした地形はゲリラ戦術を心得た者には待ち伏せや挟み撃ちに適した場所であるというのみならず、狭隘峻嶮な地形自体が自ずと大軍を拒んで寄せ附けない。


 特に中央南部の北にいくえにも連なる大山脈は1万数千mを越える峰が連なり、戦車や戦闘機も寄せ附けなかった。


 そのあまりの高さゆえに通常の高高度飛行の限界に近く、気流も荒くてシルヴィエの戦闘機すら安易には越えられず、南下することができないのである。(ただしプレッシャー・スーツを着てズーム上昇法を用いれば、何とかなるようだが、今のところ、リスクが大き過ぎるということらしい)


 イラフは天然の城壁を感嘆し、見上げた。


 このような山々から俯瞰すれば、汽笛を鳴らして雄々しく進むこの鉄道も、大自然の偉容の中を行くまことに細々とした、小さな存在であるだろう。


「霧はなくなったが、雨が止まないね。侘びしげだね。壮観だが、どことなく寂しい」

 頬杖突いて景観を眺めるイラフはそうつぶやく。

「荒涼としているからな」

「桟道すら造る者のいなかったこのような場所に、線路を敷いて鉄道を通す。どれほど難儀であっただろう、いかほど辛い仕事であったことか。想像に難くない。容易な事業ではなかったはずだ」


 切り立つ岩壁に、渋い緑の松が霊妙な風情で生えていた。どこか東洋的である。山水画のように。

「下手なアトラクションよりよほど怖いな」

「ほんとうに」


 二人は正式な朝食のため、食堂車へと出た。

「もしここに敵がいたらどうなるだろう」

 チヒラが鋭く言う。

「こんな場所で襲われたら・・・」

「まさかそんな大胆な行動にはでないだろうけど」

「やり方はいろいろある。寝込みを襲うとか、食事に毒を入れるとか」

「食事前に素晴らしい話が聞けてうれしいよ」

「どういたしまして」

「ともかく行こう。空腹だし、行ってみなきゃわからないし」


 行けば客はほとんどいない。


 細身に白く長い髪を垂らした白いマントの人物が静かにスープを啜っているのみであった。後姿では女か男かも定かではない。長い髪は女性を連想させやすいが、背がとても高そうである。まばゆい純白マントに包(くる)まるように全身を覆い隠しているので、情報が少ない。


「どう思う」

「どうって?」

「あの人さ、マントの下に白いトーガを着ていたら・・・」

「じゃ、話しかけてみるか」

「よせよ、食事のじゃまだ」

「そうだな、何も感じないし。まあ、気配を消している感じがしなくもないが」

「うん。いずれにせよ、朝感じた気配はあの人じゃないように想うな」

「じゃ、ともかく坐ろうか」

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