第8話  情報生命学

 余計な荷物のない、無一文の気楽さ。失うものがなければ心は常に清々して、さっぱりと軽やかなものだ。

イラフは予定していた宿をキャンセルしてチヒラの予約していたオテル・オリエンテに泊まった。

言葉一つ、簡単なものだ。

 アールヌーボー調の植物的なデザインに、鮮やかな色彩画の嵌められたドーム型丸天井、明るくエキゾチックな色遣いの円形エントランスの奥にあるカウンターに肘を突き、彼女らは羽ペンで記帳して部屋に上がる。

「一応、確認しよう」

 ライト・ブラウンの楓材の木彫扉をゆっくり開けながらチヒラがそう言った。

 まずは部屋も入念にチェックし、窓枠をチェックしてから窓を開けて暗い雨降る虚空を見廻し、ペルシャ絨毯や暖炉も眼を近附けて痕跡がないか確認し、最後に廊下を再び歩いた。

ようやく安堵して二人向かい合い、語らい始める。チヒラはミュールを足でぽおんと放るように脱ぐ。

 それとは真逆に、碧い眉を寄せてイラフが問うた。寄せられると眉はわずかに色を濃くする。

「チヒラ」

「どうした? いったい、そんな思いつめたような顔で」

「いや。実は・・・」

「何?」

「めんどうでなければ教えてくれませんか。

 あなたが先ほど言った情報生命体のことがよくわからなかった」

「何だ。そんなことか。

 深刻な顔をして何かと思ったよ。君ほどの達人がそんなことを問うか問うまいかで逡巡するものか」

「そうです。そういうふうに見えないかもしれませんが」

「内気な性格を抑えても知りたいわけだ。ふーん。武人なのに知的な好奇心が旺盛だな、イラフ」

「武人こそ知が大事です。

 知こそが最大の武器であると考えています。たとえば、いくら武芸に長けていても、一人で一万人は斃せない。羅氾のような例外もありますが、普通はない。しかし知があれば、百万人を斃すことも可能かもしれません。知略によって。

 いや。

 そうでなくとも人間は真理を求めるべきです。真理こそ(意外にも)実は人の求めるすべてだと思います。知なくしては、求めるものを得られない」

「君の言うとおりだ。知は最も大切なものだ。知とは勉強ができるかどうかではない。謙虚で心清らかなことだ。どんなに学があっても、自惚れて我が罪のみは赦されると想い、悪をなす人間は愚かだ。つまり謙虚で心清らかとは、自分の立場を超えた立場に立つことができることだ。私欲の超越だ。それは客観的な立場を獲得することによって得られる。

 だから客観的な視点は大事だ。

 客観的な視点とは、すべてを網羅するように、いろいろな事実を、さまざまな角度から知ることによって、自(おの)ずから得られるものだ。全体を知らなければならない。

 局地的な事実ではだめだ。局所的な歴史ではだめなんだ。全時空を網羅しなければならない。

 諸々の立場を理解することは、自分の立場を棄てて、他者の立場に参入することへと通ずるからだ。

 あっ、いや、すまない。

つい自説を論じてしまった。ぼくは今、我が説を伝えることに夢中になり過ぎて、嵩じてしまった。

 これぞ客観性の喪失と言うべきだろう。

 いやはや、話を戻し、君の要請に応えよう。ぼくのわかる範囲で。

 まずは。

 そうだな・・・・・・・・

 たとえば、宇宙は全体として、あたかも生命を持っているかのようだ。あたかも生命であるかのようではないか。

 全体の総和として、結局、宇宙の存命と膨張を志向している。まるで意志のように。一つの知性のように、情報というかたちに於いての生命体であるかのように。

 だが果たしてそうだろうか。

 事象を詳細に鑑みてみよう。宇宙を構成する諸々の要素を鑑みよう。

 たとえば、すべての物質を細かく分解・分析していくと、最後はエネルギー態になる(そのことは理解できるかな?)。

 物質を構成する素粒子は粒子状(固形個物)ではない。原子を分解していくと、最後は〝気〟に還元される。それは〝ゆらぎ・ふるえ〟であり、時空の歪みのような〝歪み〟でもある。

 それはエネルギー態だ。不可逆的な特定の働きを持ち、あたかも意志のようにベクトルをもって働く。

 いや、このレベルになれば、実際、物質的な感じは、とっても希薄で、物質的な感じはしない。

 スタイル(様式)として、ほとんど〝心〟や〝想い〟と変わらない。

 むしろ、意志そのもののようではないか。

 むろん、素粒子のレベルでは可逆的な動き(※時間を遡行する、時間をさかのぼる、時間を逆に進むこと)があることは知られている。

 だがそれにしても一つのベクトルだ。一つの方向性を持っている。あたかも一貫する意志のようなものではないか」

「意志ですか。

わかっているようでわからない。誰もが既に経験しているから、慣れていて、誰もが疑問もなく、何となく了解している・・・」

「ところで、人間には、意欲する心の働きとしてある意志と、諸細胞の新陳代謝や細胞分裂など有機体としての意志とがある。

 端的に言えば、〝心〟と〝物的現象〟だ。これはまったく別物のように思える。だがそうだろうか」

「別ではない? まさか」

「心の方を考えてみよう。

 人の心の働きは、脳神経細胞(ニューロン)から脳神経細胞へと伝わっていく電気的な発火現象(インパルス)と、その刺激によって誘発される神経伝達物質の分泌による興奮作用だ。

 化学的現象の一連の作用によって醸される効果でしかない。外から見れば化学的な作用に過ぎないようなことが、その作用の内部にいる当事者(ぼくら)にとっては、今、こう考えたり、会話したりしているすべて、意識そのものであって、見たり、聞いたりしている世界一切のことだ。

 君はどう思うか、知性と物的現象は何が違うのか」

「うわあ。

 わたしたちにとっては、到底、同じものとは思えませんが、客観的に見れば、まったく同じなんですね」

「そのとおりだ。

 ただし、世界がぼくらの眼に見えているとおりの世界だとすれば、という前提のもとでの話だけどね。

 つまり科学的な実験で観察されたとおり、脳髄というものが実在し、そこにインパルスが流れている、という現象がまさしく事実であり、現実であるとすれば、ね」

「知覚されるものを疑うなら、もう収拾がつかないでしょう」

「さっきまで積み上げてきた論理も基礎から崩壊するね」

「すべてがつかみどころのないものに、解明不能なものになってしまいます」

「そのとおりだ。

 さて、またもや話が逸れたが、物質的な感じが希薄で、むしろ、意志のようなものでしかないとさっきは言ったが、その意志とやらが実は、かなり物的な存在だということだ。

 まったく以て、ふしぎじゃないか。物なのか、意(こころ)なのか。まるで『色即是空、空即是色』のような感じだ。しかもそれでいて、なぜ、このような(ぼくらが今しているような)知性であり得るのか。

 こういうふうな、(あゝ、何と表現すべきなのだろうか?)〝カタチ〟で(〝カタチ〟というやり方で)捉えようとすること自体が、もはや相応しくないのかもしれないね。

 物事の純粋な原理源泉として、厳然として実存在する本質(ギリシャ語:ウーシアουσία)としての知性というものは、実際にはないのかもしれない。

 ただ知性のような〝効果〟があるだけで、ぼくらは幻影を見せられているだけなのかもしれない。そもそもこういうふうな、考概のすべてが化学的な現象で、効果でしかなくて、本質ではないとすれば、今やっているこのような批判自体がもう、いったい、何なのか、ってことになってしまう。

 だけど、カタチで捉える方法の他に方法がないことも事実だ。

 それに、ぼくらにとっては、実際、どうであろうとも、現実はまさに現実で、ぼくらのこの意識は考概で世界(理解)を構築する。ぼくらにとっては実際のものである世界を做(つく)る」

「経験していますからね。もう是も非もない・・・・・」

「まったくだ。経験はマジックだ。納得が生じてしまう。しかし解明はできない。

観念上に躍るカタチを、見たまゝを信じるしかない。たとえ了解できなくとも〝まさに見たものは見た〟、と」

「アルチュール・ランボーですか。文脈は違うけど」※「見者(ヴォワイヤン)の手紙」参照。

「マジックとして理解すればいいんだ。世界が情報生命であるということは、突き詰めればそういう仮説だ。カタチでない、何か成らしめる何か。カタチとして、まとまっているかのように感じさせる何か。〝何か〟だ。

 それはぼくらの感覚の上でも、さほどふしぎではない。むしろ、ありふれている。

 たとえば、生物の進化を見てみるとしよう。

 すると、どうかな。その巧みさ、奇抜さの数々、豊かなる発想の数々、擬態や羽根の構造や光合成や冬眠の知恵など驚嘆すべき奇跡の数々を見よ、人が思考を凝らしても為せないような美や巧緻がある。

 神の奇跡だ。マジックだよ。(※マジックの語源は古代ペルシャ語の『マギ』にあるという。マギとはペルシャ系の祭祀階級を指していう。ちなみに聖書に出てくる東方三博士は『マーゴイ(ギリシャ語:μάγοι)』である)

 だが改めてよく観察すれば、そのことは生物に限らない。すべては神的叡智に富んでいる。宇宙の誕生から発展までもしかりだ。

 自然現象のさまざまな奇跡にぼくらはいつも驚嘆する。

数学的な美しさを描く物理の法則、化学的な変化変容のさまざま、天体の運行や壮大な宇宙の展開、ブラックホールや超銀河団・・・・・

 いや、ぼくらは「他にも選択肢があるにもかかわらず、自然にこのようになった」と思い込んでいるから、奇跡のように見えるだけなのかもしれない。

実は選択肢という概念自体が不適切なのかもしれない、という可能性はゼロではない。

 ただし、これを問うても意味がない。どうやって解明したらよいか、確かめるすべもない。

 いずれにせよ、生物も非生物も、無機質的なものも有機質的なものも、物的存在もエネルギーも運動も時間も空間も、すべての現象は、いや、非存在であるものも含めて一切は、なぜ、そうなのか、なぜ、そういう在り方なのか、なぜ、そういう設定なのか、わからないことだらけだ、マジックだ、そのように唐突に忽焉と決定され、龍脈が地表のすべてに奔る地理となり、星々の運びの理を読む天文となるように、知性があるかのごとく法則を做(な)す。

 どうしてそうなのか、実際にはそこで何が起こっているかを、ぼくらはまったく知らない。わからない。しかしそんなぼくらを一瞥もせず、機は事象を象(かたど)り、世界が生成で絡み膨れ、運命が決せられる。

 唯、奇跡だ。これがぼくの言うところの情報生命体さ。わからない?

 ま、ある意味、そういうことさ。概念になるような固定された〝カタチ〟あるものではないからね」

 イラフは慎重に反芻し、理解しようと努めた。人は経験の擦り込みなしに物を理解することができない。彼女はさまざまに角度を変えて想起し、疑似経験を積んでいるところなのだ。

 その夜は何も起こらなかった。イラフはすぐ寝た。チヒラは本を取り出してしばらく読む。弱々しいろうそくの火と暖炉の炎で読み耽った。やがて疲労で強い眠気に襲われる。

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