第7話  刺 客

 しかし彼らは何も言わず斬りかかってきた。イラフとチヒラが飛び退く。

 唐紅のキャリア・バッグが転がった。襲撃者は黒っぽい服を着ている。しかも剣も黒塗りで闇との見分けがつかない。チヒラが意の力をarrow(矢)として発射する。刹那の閃光、敵が一人斃れる。


 イラフは抜剣し、

「何と愚かな、我らに刃向うとは」

 青眼に構えて眼を瞑った。

 チヒラは意を練成して戟(ほこ)を現象させる。細やかな装飾のある繊細な彼女の戟は三叉が二つ重なっていて、先端が漢字の「出」に似ていた。刃は細い焔がかたちをなしたものだ。


 同時に右手に青白い炎の楯が現れる。楯には平和の紋章が浮き上がっていた。

意力によって現象する戟と楯である。まるで生命のある炎のように揺らぎ、眼を睜(みひら)く妖魔のようにも見え、表情で怒りや殺意や不退転の意志を感じさせた。その威圧によって敵が怯(ひる)む。大概の者はこのような武器を見たことがないからだ。


 三叉戟は穂先の元に長い帯を翻し、帯には『天真義』と記されている。それがその戟の名であった。楯には『地真義』という文字がある。それが楯の銘であった。


 チヒラも言う。

「冷静に考えることを勧めるよ。誰を敵にしているかわかっているのか。ぼくらは完全装甲した騎馬兵百騎でも斃せるぞ」


 イラフも重ねて、

「君らでは無理だ。止めておいた方が身のためだ」

 かすれた声で敵の一人が憎悪と怒りに満ち言う、


「小娘どもが」

「そうか。已むを得まい」

 そう言ってから、イラフは心を静め、物質の波動を読み取ろうとわずかの間に心を清めた。事象の揺らぎが示すロゴスに聴従する。

 摂理(ロゴス)に従い、自然の潮に身を任せる。物事が動こうとするときに起こる波が迫りつつあることが感じられた。

「あゝ、わかる。来るぞ」


 静寂が破られた。

 一太刀が地上すれすれの高さで、地面と水平になって迫り来る。彼女はその刃の上に乗り、解剖学的な正確さで一人の肩を斬った。むろん首を落とすこともできたが、利き腕の腱を斬ればもう攻めてこないことがわかっている。

 そのまま蹴らずに飛んで壁を走り、もう一人の背後に回って肩と足首の腱を斬った。

 その頭を踏んで飛び上がり、後ろから来た奴をかわしながら、前にいた一人を斬り、振り返って先ほどかわした者の喉元に剣の切っ尖を突き附けて言う、

「何者だ。言え。どこに属する者か。何が目的なのか。なぜこのようなことをする。

 黙ってないで言え」


 しかし、相手は斬られる覚悟で後ろに飛び下がり、一か八かで逃げようとした。

傍らにいたチヒラがそれを見逃すわけがない。動きにくいはずのミュールでも身軽に舞うように敵に追い附き、数歩も行かせずに戟で薙ぎ倒す。イラフが再び剣を突きつけた。だが舌を噛んで自害してしまう。

「しまった」


 イラフは倒れている他の者たちにも眼をやった。

 止める間もなく、喉に短刀を刺している。口の中に仕込んだ毒を噛んで痙攣している者もいる。

「どう思う」

 チヒラが桃色の眸に紅を交えて色を濃くし、イラフに問いを投げた。どこの手の者だと考えるかを問うているのだ。イラフは首を横に振った。

「自害の仕方が東大陸ふうの者もあり、また毒を噛むなどエステ(西大陸)ふうの者たちもいる。おそらくはどちらでもないのです。事実とは大概そんなものです」


「特異性は造られたものに過ぎないからね。毛髪や顔附きから人種的にはこの地方か、周辺の者らしいが、暗殺専門の特殊な傭兵だ。君の言うとおり、雇い主は南か北のどちらかであろう。とは言え、南か北か。どちらかを特定するのは難しいな」


「そうですね。実に念入りです。

自害の仕方に他の大陸の特徴を使いながらも、(私たちが今、推測したような)逆の推測をされた場合でも、国を特定できないように、二つの大陸が疑惑の候補に残るように図っている。

 もしわたしを狙ったならノルテ、すなわちシルヴィエ帝国でしょうけど」


「なるほど。

どちらが狙われたのかも問題だな。ぼくにも狙われる心あたりがある。ぼくならスール(南大陸Sur)だ。ここに来る前はそこにいたからね。マーロ皇帝羅氾(らはん)はぼくの死を望んでいると思う」


「膂力皇帝ですか。

 身の丈3m99㎝、尋常ならざる魁偉の男。その腕力のみを用いて一代で大帝国を築き上げた奇跡の英雄」


「そうだね。

 まさしく稀有なこと、奇跡だ。計り知ることのできない大いなる自然(フュシスφύση)の気紛れだ。

 なぜならいくら腕力があっても、チンピラの大将にはなれるかもしれないが、皇帝にはなれない。だが彼はあえて力ですべてをねじ伏せるという手法を用い、自らを試すかのように、その異常なやり方にこだわって皇帝になったのだ」


「沙漠の民の伝説の族長、騎馬民族の帝王、独りで一万人を屠りながら、百万の軍の囲みを突破した話は有名です」

「その鬼神の勢いに何人も手がだせなかったらしい。メタルハートと勝負させたらどのようになるのだろう」


「そんなふうに言うと、まるでジンも皇帝になれそうですね。いったい、そういうものなのでしょうか」

「さあ、どうかな。ぼくには違いがあるような気がする。

 羅氾には、凡人には想像も附かないような、何か途轍もない功徳が備わっているのかもしれない、ってね。ふふん。

 自然はふしぎだ。

 どんなに有能な人間であっても、普通の人の百倍千倍の仕事をすることなど不可能だ。ある意味で、人は(特にその弱さに於いて)皆同じだと言える。

 だが、英傑や宗教者に時折見られる桁外れな業績は、必ずしもそうではないことを、ぼくらにまざまざと見せ附ける。理性と科学を超えた現実のふしぎさ、柔軟さを教える。現実はハードではなく、ソフトであることを」


「ジン・メタルハートのような者でも、皇帝になりたいと思うものでしょうか。わたしにはそういうふうには思えない」

「それは、どうかな。まあ、今まで彼女がそういう動きを見せたことはないけどね」


「自分で〝そういうふうに思えない〟と言っておきながら、こんなことを言うのもおかしいですが、かつてそういう野望がなかったとしても、再生した彼女にも同じようにそれが〝ない〟と言えるかどうかは大いに疑問があると思います」


「むろんだ。それは考え方として正しい。

 ちなみに、自己矛盾を気にすることはない。契約や裁判など公的・対外的なものでは少し困るが、日常生活の中では当然のことだ。人の心はセオリーどおりには一貫しないものさ。

 話が逸れたな」

「そうです。どちらが狙われたかという話でした。

 わたしたちの両方を狙った可能性はどうでしょう」


「なるほど。だから北と南が疑われないように図った・・・」


「あるいは、わたしたちが南か、または北から狙われているのを承知の上で、裏の裏をかき、実は東か西のどちらかが犯人かもしれません」


「ぅーん、そうか。決め難いな」

「実際問題は常に決め難いものですが、もしかしたら、そうなること自体が作戦なのかもしれません。東西南北どちらでもあり得、かつ混淆的だということに変わりはない」

「ふむ」


「どうでしょう。今宵はどちらかの宿で泊りませんか」

「その方がより安全だな。闘いのコンビネーションが良いのも先ほど証明されたし」

「そうですね」


 数秒の間をおいてから、ペパーミント・グリーンの眸を強く燦めかせ、

「いらふ(尹良鳬)と言います」

「ん?」

「わたしの名です」

「そうか。わかった」

 微笑する。

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