第32話 ジャック爺様と仲間たち

 十一月初め、イーストリートには薄ら寒い風が吹いていた。

 夕暮れ時のポール・ロッソの店。

 入り浸った客が去り、また次の客が入り浸る。

 やがて仕事を終えた常連客たちがテーブルを埋め、いつものメニューを。

 カウンターにも一人、二人……一番隅の方にはヨボヨボの爺様が。

 ニット帽に薄汚れたハーフコート。

 ポールが水を差し出すと、その見慣れぬ爺様は畳んだメニュー表をポールに渡し、指でこれだこれだと中を示した。


 ポールが「へい。何にいたしやしょう……」と開いてみると折った紙きれが挟んである。

 それを広げるとポールは息を飲んだ。


 ――〝筆談で。ポールさん、俺です。ジャックです。こうして変装するしかなかった。俺は目的を果たすためにどうしてもイーストリートに帰ってきたけど、心配しないで。喉とか大丈夫ですか? なんか、迷惑かけてしまってすみません。クリシアとブリウスは元気ですか?〟――


 ヨボヨボ爺様――ジャックは顔を向け、ぎこちなく笑う。

 向こうからほろ酔いの客がポールを呼ぶ。

「マスター、ピッツァまだあ?」

「あ、ああー、もうちょっと待って! ……あ、じゃあ旦那様はペペロンチーノですね〜はい了解」

 ポールは調理に紛れてササッと返事を書いた。


 ――〝まったく気づかなかった。お前の所在は聞いてはいたが、無事なんだな。よかった。俺は大丈夫。二人は気晴らしに映画観に行ってる。ソサエティの見張りがついてる〟――



 あれから一ヶ月と少し。ポールはジャックと会えた喜びをひた隠す。

 素顔は見えなくても、その若さに裏打ちされた自信と一心に突き進む揺るがぬ気概を、ポールは確と感じた。


「はいお待ち! 自慢のペペロンでさあ!」


 特殊シリコンマスクのジャック爺様は器用にペペロンチーノを食べる。

 別人になり済ますよう訓練されたジャックは、既にソサエティのメンバーと言えた。

 店内の客の目を盗みながらやり取りする二人。


 ――〝見張りって、店内にもいるんでしょう? ソサエティの人。それに警官も〟

 〝ああ。客として入り浸ってもらってる。俺らを守ってくれてるが、時に警官も紛れてお前の帰りを狙ってる。とにかくここは危険だ。チェンバースアパートもな〟――

 客とジョークを交わしながら一人で忙しく動き回るポール。


 ――〝ごちそうさまポールさん。めっちゃ美味しかった! もう行くよ。ありがとう〟――


 最後にさりげなくジャックのメモをポケットに仕舞うポール。

 すると突然目の前の客が立ち上がった。

「え?!」っと、ポールもジャック爺様も焦った。

 その客は赤らめた顔でポールを睨み、ニヤリと笑うと、がなり声で言った。

「……マスター! ……ト、トイレどこぉ?」

 ちょっとずっこけた二人だったが、その後丁寧にその酔っぱらいのお客様に場所を案内した。


 ****


 それから午後八時。

 繁華街ヴァンサントスの裏通りをブリウスとクリシアは歩いていた。

 映画の余韻に浸りながらウィンドーショッピングを楽しもうとブリウスが手を引いたが、クリシアが急に立ち止まった。泣き出してる。


「クリシア、今は忘れろって。せっかくポールさんが楽しんでこいって言ってくれたじゃないか」

「ごめんなさい、違うの。……ラストシーンに感動したの」

「そうなの?」

「よかったじゃない〝ノースフォレストのサンタクロース〟」

「まぁな。まだシーズンじゃないけど」



 彼女の強がりはわかっていた。

 ジャックのことが心配でならない、兄想いの優しいクリシア。

 そんなところもまたブリウスは愛おしかった。

 彼は周りを見渡し、陰で見張りがいるしジャックは大丈夫だよとクリシアを抱きしめた。



 行き交う人の群れの間を縫ってギターの音が聞こえてくる。

 ストリートミュージシャンが近くの噴水公園で歌っている。

 二人は引き込まれるようにそこを目指した。

 ライトアップされた七色の噴水の向こうで一人、頭や手に包帯を巻いた痛々しいおじさんが歌っている。

 鼻にかかったかすれ声。だがよく見てみるととても若かった。

 下手なギターだ酷い見せ物だと人が寄っては離れ、しかしブリウスたちはじっと彼を見つめ、そばのベンチに静かに腰掛けた。

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