第20話 セルフィスからの脱出

 ジャックが一人で歩いて行っておよそ二十分は過ぎた。

 公園の前、暗い車内に潜むブリウスとクリシアの様子は――。


 時計の音がカチカチと緊張を煽りたてる。

 静寂とにじむ汗。

 閉めていた窓を少し開けると夜風が涼しく二人をなだめた。

 どこからか虫の音が聞こえると同時にブリウスの腹の虫もグゥ〜〜と鳴った。


「ププッ」と助手席のクリシアが吹き出す。

「……んだよぉ」とブリウスはつらい顔で言った。

「ごめんごめん。ねえ、ブリウス、ケーキ食べようか」

 実はずっとぷわんと漂っていた香ばしい匂い。

「うん! 俺もう耐えらんねぇ」

 クゥ〜〜とクリシアのお腹も鳴って、二人は幸せそうに笑った。


 クリシアの作ったベイクドチーズケーキ。

 ジャックを待つ二人は申し訳なくひと切れだけ食べることにした。


「超うめぇーーっ!」とブリウスがはしゃぐ。

「ありがとう」とクリシアもハンカチで口を拭いた。

 ブリウスはきょろきょろと外に注意を配った。

「……しかし大丈夫かなあジャック……おじさんたちに会えたかなぁ」

 隣りのクリシアはブリウスを見つめる。

「ねえ。で、何の仕事なの? リッチーさんたち」


 ギョッと血相を変えたブリウス。

「……へ?」

「『へ?』じゃなくてさ。その仕事の話よ。なんか隠してるよね?」

「え、なーんにも、ないよ」

「お兄ちゃんもさ。四人のこと『よくわかんない』って言うの。おかしくない? ただの船乗りってのもやっぱり怪しいし。お兄ちゃんのこと気に入って優しく接してくれて、会いに来てくれるのも嬉しいし、リッチーさんもルカさんもみんないい人だってのはわかるけど、どこか謎なのよ」

「そ、そんなことないよ、……あ! な、謎の、海賊、正義の海賊団かも」


 ……しらけた目で見つめるクリシア。

 にゃははと苦笑いしたかと思うとブリウスはガバッといきなりクリシアを抱きしめた。  

「ちょっとなによ急に! エッチ!」

「しっ! 黙って、警官が来る!」

「え……」


 サイドミラーには、街灯に照らされた警官が一人歩いてくるのが映っていた。

 ブリウスは余計に力を入れて抱きしめた。

「痛いわ」

「ごめんよ、今はこらえて。こうしてたら気のきく警官なら黙って見過ごしてくれると……」

 ブリウスの吐息がクリシアの耳に。

「あは……くすぐったい」

「静かに。じっとして」


 二人は抱き合ったままじっと息を殺した。

 取り込み中の熱いカップルを気遣ってか、警官は咳払いを一つした後、通り過ぎた。

 一度振り返ったがしばらくして姿を消した。


「な? 大丈夫だったろ?」

「ププ……おっかしい」

 クリシアはブリウスの胸の中で頬を赤らめる。

「な、なんだよ」

「ブリウスって、ヘンタイのおじさんみたいな顔してる」 

「えーー?!」

「だってぇ、そのヒ・ゲ・ヅ・ラ!」


 ****


 ポートレイト博物館館長タグラ・ピンブルは博打で大敗を喫した。

 今夜ここに現れたのは館内の隠し金庫に用があってのこと。

 ギラギラと黒髪を撫でつけ、ギロギロと黒く丸い目で辺りを警戒しながらピンブルは車から降りた。


 街灯のオレンジ色の灯りが博物館の裏門を照らしている。

 ピンブルがインターホンの前に立った時、ふと通りを渡る人影が彼の目の端に入った。

 リーゼントの若者が一人。

 何ウロついてんだあのガキとっとと家に帰ってミルクでも飲んでやがれと、ピンブルは睨みをきかせその若者を手で追い払った。



 気を取り直しあらためてボタンを押そうとすると館内から車のエンジン音が鳴り響いた。

 それはマイティ・クリーン・サービスのワゴン車。

 門を隔てたピンブルの前に速やかに停まった。

 ドアが開き、深々と制帽を被った黒縁眼鏡の運転手ルカが降り、ピンブルに駆け寄る。


「こーれはピンブル館長、ご苦労様です。今し方掃除が終わったところでして……」

 あっとうっかり、ピンブルは思い出した。

「お、おおそうか、今日は定期清掃の日だったな。……で、守衛の者どもは?」

「ええ、あっしらが出ないとセキュリティがかけられないと。もう来られるはずですが」

 そう言ってルカはそそくさと門を開けた。

「すんません館長、あっしら出ますんで後は閉めていただけますか……どうもごめんなすって」

 大きな体を小さくへつらいながらルカは車に乗り込んだ。

 ピンブルは勢いに飲まれるように頷きながら手を上げた。

 そして「うむ。ごくろう」と言って煙たく見送った。



 タグラ・ピンブルの車が館内に入った。

 ワゴン車は博物館の周りを静かに一周する。

 ジミーから話を聞いたリッチーは黙ったまま。

 やがて正門向かいの石碑の暗がりに隠れているジャックをリッチーが見つけた。


「いた。早く乗せるんだ」

 ルカは車を停め窓を開け、ジャックに大きく手を振った。

 警戒しながら近寄ってくるジャック。

「あ、あれ? ルカさん……みんな!」

「シッ!」

「何、この車」

「いいから乗れ!」


 ジャックを後部座席に乗せ、車は走り出す。

 ジャックは皆の作業着姿と荷台のモップ、ウエスを見た。

「え、ええ? これ、掃除の車ぁ?」とジャックの問いにリッチーは応えず、ホウリンは苦笑いをした。

 ジミーがジャックの肩に手を。

「どうしてここに?」

「どうしてって……ポールさんの車で」

 ルカが怒鳴るように割り込んだ。

「はあ?! ポールがぁ? ここに連れてきたってのか?」

「ち、違うよ、ブ……ブリウスが……運転して」

「な、なんだとお?! おいおいどういうこった!」


 ジャックが半泣きで説明し始めたが途中でリッチーが制した。

「もういい。察しはついた」と言ってホウリンを一瞥。

「……すまん、リッチー」

 謝るホウリンにリッチーは何も言わず、公園までの急行をルカに指示した。



 ブリウスとクリシアの待つ公園に着くなりリッチーはワゴン車を降り、フィアットの前に立った。

 リッチーの怖い顔に既に涙目のブリウスとクリシアが謝った。

 二人を後部座席に乗せ、リッチーがフィアットの運転席に座った。

 雑居ビルの地下に向かうワゴン車とフィアット500。

 そこでデリバリーバンに乗り換えるルカ、ホウリン、ジミーそしてジャック。

 本物の清掃員三人はまだ床で眠っていた。



 ビルを出てフィアットとデリバリーバンは車の群れに紛れた。

 パトカーが三台とNPCセキュリティのバンが二台、陸橋を越えた。

 その真下の民家の細く曲がりくねったあぜ道を抜けるリッチーたち。


 セルフィスの夜の街に警察のサイレンが鳴り響く。

 目的を果たしたソウルズは慎重に網をくぐり抜け、そこを後にした。

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