第12話 目撃者

 それから二年後の十二月三十一日午後七時、セリーナ・サーカシアンはイーストリートの酒場タイレントの扉を開けた。



 じろりと見る店主、いつものように彼女に見惚れる青年ウェイター、呆けた顔の入り浸りのアル中男、それとハンチング帽の客人がいる。

 仄かなランプ灯りの暗い店内を、紺のスーツ姿のセリーナはツカツカとカウンターの店主に向かって行き、笑顔で頭を下げた。


「……あんたもしつこいな。もう何度目だ?」

 店主は鼻からくたびれた息を吐く。

「二十五度目ですね。そんなつれない顔なさらないで。つれないのは私の方なのに」

「年越しにお仕事とはご苦労なこった。そんなだから男も寄りつかねえんだよ。勿体ない」

「あら。褒め言葉かしら」

「もう事件のことすら皆忘れた。も諦めたはずさ。答えは同じ。目撃者はいなかった。誰も知らない。帰りな」

 そう答える店主はろくに顔を向けずにグラスを磨いている。

 セリーナはいいかしらと断りカウンターの椅子に腰掛けた。


「ウォッカを。ロックで」

 店主はギロリと睨む。

「警官が職務中に酒か? 帰れ」

「実は今日は非番なのよ」

 淑やかに座るセリーナにウブな顔の青年ウェイターが近づき、おしぼりを渡した。

「一度ゆっくり……」と青年が声をかけると店主が彼に氷を投げつけ追っ払った。

「バカヤロウ! 関わるんじゃねえ」


 青年の次にハンチングの客人がグラスを持ったまま彼女の隣りに座った。

 その黒人の醸し出す異様なオーラ。それは入った時から感じていた。

 ハンチング男はちらりとセリーナを見る。

 セリーナにはそれが幼少期の父親代わり〝ビフ・キューズ〟だとわかっていた。



「仕事熱心だなセリーナ」

 ビフはそう言って彼女のグラスにウォッカを注いだ。

 感激を抑えながらセリーナは答えた。

「え、ええまあ。で、どうなされたの伯父様」

「いや。ソサエティお前たちが事件の真相を探し回ってるって小耳に挟んでな。ずっと嗅ぎ回ってると」


 今日ここへ彼女を呼び出したのはビフだった。ビフはそのまま視線を店主に移した。

 出し抜けにビフは訊く。

「おい。雇われ店主のトードよ。ウィップスに幾らもらった?」

「はあ?」

「口止め料だよ。ウィップス巡査から幾らだ」


 得体のしれない客、ハンチングを被った口髭丸顔にたじろぐトード。

 トードはもう一人の客として入り浸るアル中男を一瞥。

 アル中男は呆けた顔から一転、素面の目を覗かせた。


「おいゲイル。キサマまさか」とトードが責めるとビフが口を挟んだ。

「情報屋のゲイルはただのアル中じゃない。我々が仕込んだ有能な見張り人ウォッチメンだ。彼の他にも国中に大勢配備している。ウォッチメンは毎日毎日そこで見たものを記憶しそれをいつでも引き出せる」

 ビフはトードを指差し真相に迫った。

「ゲイルは一九五六年九月十五日午後六時三十分、店の裏口にハモンドNo.2943の黒のジャガー・マークVIIが停まっていたのを路地のゴミ捨て場から見ていた。降りて来たのはトミー・フェラーリ。そいつとお前は話していた。違うか?」

「な、なんのこった、し、知らねえよ」

「ウィップスの倍払う。頷くだけでいい」

 ビフの威圧に硬直したトードはやがて大きな目をギョロギョロさせ、こめかみに冷や汗を垂らしながら、

「……じゅ、十倍なら、応えてやってもいい」

 ビフは隣りのセリーナを見て言う。

「お前に手柄をあげたくてな」

 ここに呼び出された理由がわかったセリーナは胸がいっぱいになっていた。

「伯父様……」

「セリーナ。その笑顔が見たかった」



 ビフがトードの目の前に二百万ニーゼ差し出しトードがコクリと頷いて長い舌を見せながらべらべら白状し出すと、青年ウェイターが懐から銃を抜きトードの頭を撃ち抜いた。

 反射的にビフも青年を撃ち抜いた。

 それとほぼ同時にビフの手下が店になだれ込み、血を噴く二人の遺体を直ちに処理した。


 アル中ゲイルは既に破壊していた盗聴器の残骸を放り、充分な役目を見せた。

 ビフからの報酬を受け取ると彼は立ち去った。



 トードの返り血を顔をしかめて拭くセリーナ。

 すまんとビフは謝り、新たにハンカチを渡した。

「セリーナ。こうなることも想定済みだった。今の事は闇に葬る。あのウェイターは監視役だった。トードが吐かんようにな。ウェイターの飼い主は闇組織ナピスだ」

「え?」

「無論ウィップスも手先。時折イーストリートへ訪れるインターポールの捜査官もおそらくナピスの人間だ。そいつの素性は目下調査中だが。今トードが吐いたようにジョージ・パインドを拐ったのはトミー・フェラーリとナピス絡みの何者か。そいつらが殺したんだ」

「ウィップスにはアリバイがある。インターポールの男は神出鬼没。謎に包まれている。……それでトミー・フェラーリとは?」

「元スプンフル・ファミリーのイカれ野郎。ナピスの下で働いている。奴はいつでも殺せるがまだ泳がせてる。ナピス総帥の取り巻きを探るためにな」



 ナピスは我々にとっても深刻な脅威だと舌打ちするビフ。

 そして「……ジャック・パインドは元気か?」と訊いてくるビフをセリーナは見つめた。


「何故、彼のことを?」

「いやあ、我が〝ドン〟サンダースの話から興味が沸いてきてな。奇遇にも俺の甥っ子ペケの幼馴染みらしい」

「ドン・サンダースがジャックのことを知ってる? いったいどんな話を」

「今それは言えない。とにかくドンは昔、ベルザからジャックのことを聞かされた」

 セリーナはビフを見つめるが、彼はただ静かに酒を嗜む。

「……ベルザに訊けばいい」

「……わかったわ。……事件は既に迷宮入りコールドケースだけど、ジャックはまだ諦めていない。私にそう言った」

「教えてやるといい。トミー・フェラーリという男のことを。ジャックの執念がどれほどのものか」

「そんな、試すような」

「マフィアだと聞いてびびったら身を引くだろ。それで終わるか、いずれかだ」

 セリーナには、ビフがまるでジャックの動きを待っているかのように思えた。

 そして、ジャック自身にもやはり何か重要な事が隠されてると。


「セリーナ。我々サンダース・ファミリーも喋り過ぎは禁じられている。情報はここまでだ。ベルザとハリーによろしくな。じゃあ、よいお年を」

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