第8話 チェイン・ギャングス

 その日の夕刻リッチーがジャックを車で家まで送ると、男が一人アパートの入り口にしゃがみ込んでいた。

 ジャックが車から降りると男は立ち上がり、運転席に座るリッチーの顔を覗き込んだ。

 しかめっ面のその男、管理人のマルコ・チェンバースは強い口調で問う。

「あんた何者だ? 名前は」

「リッチー・ヘイワース。今ジャックを雇ってる」

「どこから来た?」

「アメリカ。ニュージャージー」

「ここに何しに来た」

「仕事だ。いずれこっちに移り住もうと思ってる」

「いい車に乗ってやがる。金持ちらしいな」

「アルファロメオ〝フレッチア・ドーロType1947〟。ああ、車好きのイタリアの友人に借りたんだ」

「ほぉ……」


 マルコは表情を変えない。

 だが、リッチー・ヘイワースの素直な受け応えは予想外だった。

 子供を日給一万の大金で雇う男などろくな奴じゃないと思っていたからだ。

 シルクの黒ジャケットに黒髭の男を、白スウェット姿に短髪のマルコは猜疑の目で詰める。


「船乗りだって?」

「……漁師だ」

 ――のわりには焼けてない。俺は騙されんぞ。あんた裏社会の人間だろう、その目。その目の奥に秘めた闇……マルコは冷めた目で探った。

 そこで堪りかねたジャックがマルコの袖を引っ張った。

「ねえ、マルコさん。怒ってるの?」

「ん、い、いや……というか」

 あくまで平然と笑みを湛えるリッチーに対しマルコは再び迫った。

「なぁリッチーさん。何が目的だ? 聞いてはいるだろうが今ジャックの」

「マルコ……チェンバースさん。だろう? ちょうどよかった。君と話がしたかった。ジャックの父親のことで」


 ****


 アパートの一階右奥の部屋。

 そこが管理人室であり、マルコ家族の住み処でもある。

 リッチーはジャックにまたなと手を振り、招かれた家の中へ。

 やや粗野な雰囲気の主人とは違い、部屋の中は清潔で物が整理され、床も磨かれていた。


 マルコの妻ジェーンはコーヒーを淹れた後テーブルに戻り乳飲み子を傍らに置き、またミシンの内職に戻った。

 五歳のアンディは一度マルコの座るソファで甘えたが、すぐに言うことを聞き、奥の部屋へ引っ込んだ。

 リッチーの目に映るこのささやかな家庭。

 そこには温もりがあった。そして彼もソファへ。


 マルコはコーヒーを口に含み、次に煙草に手を伸ばしたがふとジェーンの顔を見てその短い髪をぼりぼり掻き、止めた。

 リッチーは両手を合わせ、コーヒーを頂く。

 向かい合い、しばし観察していたマルコだったが一先ず偏見を捨ててみた。



「……話がしたいって……あんたジョージのこと何か知ってるのか」とマルコが訊く。

「知ってる」「え?」

「彼がいなくなったのは九月十五日の夜。仕事で配達先のタイレントという酒場に酒を卸したのが最後。トラックは置き去り。翌十六日の午後、君が警察に捜索願いを出した。彼がどこへ行ったのか、どの方角へ向かったのか、誰かに呼ばれたのか、誰かと会っていたのか……考えていたこと、悩んでいたこと何もかも未だ分からず目撃情報も出ず、調べがついていない」


 露骨に切り出すリッチーに、マルコは固まってしまった。

「リッチーさん、まさかあんた……刑事か?」

「ではない。マルコさんの感じた通り、裏社会の人間だ」

 胸ぐらを掴み返される気分だった。マルコはコーヒーを飲み干し、ソファに深く座り直す。

「リッチーさん。あんたいったい……」

「……ベルザの友人と言えば、わかってくれるか?」


 ジェーンのミシンが止まる。

 部屋は一時静まり返った。

 〝ベルザ〟とは財宝の情報提供者であり、ある地下組織の指導者の名だ。

 ベルザとリッチーたち四人のグループ〝ソウルズ〟はキーティングの財宝の件で今、密接に繋がっている。



 マルコは堅気だが、ジョージを介してベルザという人物を知っている。よく知っている。

「ベルザは、マルコ君も私の友人だと言っていた。彼と君との関わりを俺は詮索しない」と言ってリッチーはコーヒーを飲み干した。

「とにかく俺もジョージ君の行方を追っている。君は彼と最も親しいのだろう? 語って聞かせてくれないか。彼のことを」

 マルコは頷き、開いていた口を引きしめ話し始めた。


「……ああ。ジョージはいいやつさ。孤児院で育った。だから寂しがり屋な分、人の寂しさも人一倍理解できる男。ユーモアもある。心根の優しい、いい父親だ」マルコはぎゅっと拳を握りしめる。

「そんなあいつが……こんな、子供たちを置いて消えるはずがないんだ。俺は、これは事件だと感じている」

「……やはりそう思うか。わかった。もっと他には? 生い立ちや昔話でいいんだ」

「うむ」

 コーヒーを口に含み、落ち着いて語り出すマルコ。

「……俺があいつと知り合ったのは十五の時。お互いやんちゃだった。俺の家も貧しく親に見捨てられてた。反抗的な目で世の中を睨んでた」

 マルコは壁の写真に目を。暖炉にも。


「だが俺たちの武器はナイフじゃなかった。それは音楽。そう、俺たちはバンド仲間でもあった。ジョージがギターで俺がドラム」

 暖炉の上に飾ってあるスティックに、リッチーは納得した。

「学校を卒業して最初に組んだバンドでいろんな街に行った。アナザーサイドにプリテンディア、ブリンギングス……」

 リッチーは頷きながら聞いている。

「ある時ネイバーフッドってライブハウスで俺たちは一人の女性歌手に出会った。それが俺たちの転機だった」

 マルコの声が弾んでくる。

「彼女の名前は〝クリスティーン〟。彼女は一人、アコギとハーモニカで唄ってた。声が綺麗で素晴らしくてな、俺たちはつい声をかけたんだ。一緒にやりたくなって」

「……ほう。それで」

「何度も通いつめ声をかけて、ジョージの熱さに根負けしたのか、彼女は承諾してくれた。そして〝チェイン・ギャングス〟って名のってライブハウスを何十箇所も。客の支持も集めたよ。本当楽しかった。だがそのうちジョージとクリスティーンが違う方向へ行った……」

「違う方向?」

「二人は……できちまった。恋に落ちたんだ。本当は最初からな、わかっていたんだ。きっとそうなるって。……で、バンドもやがて休止。というか終わっちまった。……祝福したさ。親友が結婚したんだ。そして二人の間に生まれたのがクリシア。そりゃあ可愛くて。今では声もクリスティーンに似てきてる」

 待て、と手のひらでリッチーが制した。

「ジャックは? そこにジャックは?」

 マルコははっとした。

 泣き出した赤ん坊をジェーンが抱き上げ、外にあやしに行った。

 リッチーに気を許したマルコがその饒舌を悔いた。


「……しまった。俺は余計なことまで」

「ジャックは、二人の子ではない。ということか?」

 間をおいてマルコは小さく頷いた。

「じゃあ、ジャックの実の親は? いったいどんな事情が」

 リッチーは抑えられず踏み込んで訊いてしまう。

 マルコはただ知っていることだけを、答えた。

「……ベルザ。彼がジョージにジャックを預けた。あの子がまだ三歳の頃……」

 リッチーは言葉を失った。



 リッチーは思い浮かべる。ベルザはリッチーにこう話した――。


「実は私たちもジョージ・パインドを捜索している。ジョージは私の友人だ」

「彼はあんたの組織ソサエティと関わりが?」

「メンバーではなかったが協力者だ。それ以上のことは、いずれ話すことになるかもしれない……」


 を、リッチーは今知ることとなった。


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