第4話 ホウリンとジミー

 白いイスラムワッチのホウリンが訊く。

「〝イシカワゴエモン〟って知ってるか?」

「……さぁ」とジミーは首を傾げる。

「昔、実在した日本人」

「ジャパニーズ……サムライ?」

「違う。……誇り高き大泥棒。俺たちの兄貴分さ」

「オォ! that's SO COOLカッコイイ!」

 ジミーはパチンと指を鳴らした。



 二人はイーストリートの繁華街ヴァンサントスの裏通りを並んで歩いている。

 赤茶けた石畳の路地には地下からの煙と夕暮れ時の賑わいが漂っている。

 ホウリンは革ジャンの襟を立て、やや猫背で歩く。

「ホウリン、あんた日本人なんだな?」

「……さぁ。どうかな」と彼はサングラス越しに監視カメラの位置をチェックしながら答え、また返した。

「ところでジミー。お前とリッチーとの出会いって何なんだ? ……何故、WBAバンダム級元世界チャンプのお前がこうしてここにいるんだ?」

「……迷惑かい?」

「いや。そんなんじゃない」

「教会への銃撃事件から俺の人生は変わった。肌の色で何故こんなに苦しむのか。〝血の呪縛〟について人間を学ぼうと、リッチーに添って行こうと決めた。俺が選んだ道なんだ」

 そう言ってジミーはツリーのイルミネーションを微笑ましく見つめる。

「リッチーのことは昔から知ってた。久しぶりに会ったんだ。二年前のクリスマスに。その頃俺は育ててもらった教会の孤児院を建て直してて……訪ねてきたリッチーに、再会したんだ」

「リッチーは寄付をしに?」

「ああ。そのことは後にホプキンス牧師ダディに聞いたんだけど。俺がガキの頃からリッチーはクリスマスにやって来て俺たちにプレゼントを。他の兄弟たちも、俺たちにとってリッチーは本物のサンタクロースだった」

「本物ねえ」

「そ。シブいサンタクロース」

「……二年前か。その頃ボクシングは?」

「やめてたさ。協会から追放されたんだ」

 ホウリンは顎をさすり「協会から教会へ?」

「ははっ、そう。全てを捨ててね」

「何やらかしたんだ」

「あの世界タイトル……プロモーターが俺に言ってきた。ずっとボクシングをやりたかったら今日の試合は負けるんだと」

「八百長をか?」

 ジミーは頷き、戯けまじりにガナリ声を立てる。

「ああ。ふざけんなって感じさ。上の奴らは皆、どこか俺を嫌ってた。俺みたいな褐色リバ族の二連覇は許せなかったんだろ。エルドランド白人至上主義さ」

「……で、見事1ラウンドKO勝ちってなわけか」

「でも後で計量ミスだったの難癖つけてきやがって。汚い世界にもうベルトなんてどうでもよくなった。……そう、とにかく」

 そう言ってジミーは笑い、セーターに浮き出た胸板を誇らしげに張った。

「本物というものを見せてやった」


 ****


 ジャックが部屋の鍵を失くしたことに気づいたのはアパートの階段を上がろうとした時だった。

「お前が意地を張って働きに出ようとするからだ」

 管理人のマルコ・チェンバースは涙目のジャックの頭をくしゃっと撫でた。

「泣くな。鍵はまた換えておく」

「……ごめんなさい」

「また警察へ行ったのか?」

「うん。でもやっぱり見つからないって」

「明日は俺が行ってみるよ。ハリーさんいたらいいが」

「……それが担当代わっちゃってさ。見放されたみたいで心配」



 クリシアが帰ってきたのは午後五時過ぎ。いつもよりかなり遅い。

 エプロンを外し迎えに出ようとしていたジャックが玄関のドアを大きく開けた。

「おー、お帰り。ちょっと心配したぞ……どうしたんだ? 何泣いてんだ」

 クリシアはそのままジャックの胸に飛び込んだ。

「お兄ちゃん!」



 話を聞いた後のテーブルの上。

 ジャックの作ったジャガイモのスープとコッペパン、ウインナーとリンゴが一つ。

 ジャックはふぅっと息を吐き、リンゴの皮をナイフでくるくる剥き始めた。

「そろそろ泣きやまないと、兄ちゃんこのリンゴ一人で全部食っちまうぞ」

「うわああああん!」

「嘘だよ。さぁ、泣くのは終わりだクリシア」

 切ったリンゴを差し出すと、クリシアは鼻水をちーんとかみ、ようやく顔を上げた。

「明日兄ちゃんが学校に行く。お前をいじめた奴らをブン殴ってやる。お前には俺がついてんだ。だからもう気にすんな」



 クリシアがいじめられた理由は「父親に見捨てられた」という根も葉もない噂からだった。

 三ヶ月前、父親のジョージが姿を消した。

 仕事で配達をしていたある日忽然と。

 警察は捜索を続けているというが、手がかり一つ掴めていなかった。

 母親はクリシアを産み早くに病気で亡くなった。

 それでも父子家庭の三人家族は慎ましく支え合って生きていた。



 クリシアはリンゴをかじりながら回想していた。

 以前ジャックが、いじめられた友達を助けるために血相を変えて相手をなぎ倒した壮絶な場面を。


「……うん。でもお兄ちゃん。お兄ちゃんおこるとスッゴイこわいじゃん。やっぱりやめて。なぐったからって、良くはならないよ」

「……うー、でも許せねえ」

 クリシアは身をのり出して言う。

「ねえ、それはもういいから、明日二人でパパをさがしに行こうよ!」

 腕組みするジャックは力を緩めクリシアに手を伸ばし、その小さな手をぎゅっと握りしめた。

「……いや、待ってよう。前にもそんなして俺たち迷子になったろ? またマルコさんに迷惑かける。警察もまだ調べてるって言ってくれた。信じなきゃ先進まないし。いつかパパは帰ってくるさ。ここで待ってなきゃ、パパが寂しがるだろう?」

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