禁断の実験

不老不死は人類の悲願である。


特に権力者にとってはその支配を永遠に約束してくれる魔法だ。

それは時にその地位すら脅かす劇薬でもある。栄枯盛衰の呪縛から逃れようと支配者は藻搔き苦しんできた。その一方で圧政に苛まれる貧困層は反逆を企てるよりも速やかな死を望むようになって来た。天国は永遠の安楽を約束してくれる。

しかし、それは労働階級の搾取によって成り立っている貴族にとって許しがたいサボタージュであり、最上位であるべき自分たちを優越する忠誠心を育むことになり、同時に支配の正当性に疑問を生じさせる。


よって不死を巡る階級闘争は大量虐殺を生むと言う逆説的な現象を引き起こして来た。


ニコラス・フラメルはときおり寄せられる馬鹿げた問いにこう答えて来た。


「永遠に生きて何になるというのだ。存在とは情報の記録そのものであり、それすらも演算の結果に過ぎない」


すべてはデータ処理のプロセスなのだ。彼は徹底した唯物論者であった。万物はすべて情報に還元できる。生と死も創造も破壊も突き詰めれば素粒子の運動であり、アリストテレス的な決定論に縛られている。


すなわち、どんな現象も、まずインプットがあり、演算があり、結果がアプトプットとして残る。

ものみな全て、情報処理だ。


データノースの王(その的外れな称号をニコラスは嫌っていたが)である彼のもとに時にはお忍びで、あるいは堂々と金品を携えた使者を介してさまざまなチャンネルから不老不死の要望が寄せられた。


ニコラスはもちろん丁重に固辞した。彼自身、魂の永続性に興味がないどころか憎悪していたからだ。

きっかけは過剰な親の愛だ。フラメル家の歴代当主は好んでニコラスという名を用いた。

賢者の石を発見して夫婦で永遠の生命を得たとされる同姓同名の錬金術者にあやかりたがった。

彼の父も例外でなく、それが本人の反骨精神を育んだ。


「世界の演算を一瞬で終わらせてやる」


それが彼自身を苛む諸問題を解決することにつながる。


ニコラスを悩ませる生死の循環に終止符を打つ方法とはなにか。


彼は熱力学に糸口を見いだした。まず宇宙の始まりに究極の秩序があり、星が生まれ、生命が出現し、さまざまな営みが秩序を消費しながら続いていく。

そして一度、使われた秩序が回復することは決してない。局所的に再生したとしても、それに費やされた労力は秩序で支払われる。


この未来永劫に続くと思われる活動を爆発的な演算能力で加速できないだろうか。

破壊の限りを尽くす、などという生ぬるいやり方は通用しない。再生あるいは建設と言う副作用が伴うからだ。


「死ねばいいだろう。悩みも苦しみも消える。お前を覚えている奴もやがていなくなるよ」

「俺は唯物論者だ。たとえ寿命を迎えたところで、安らぎは保証されない。むしろ地獄だ」

「地獄なんて寄付金集めの脅し文句さ、天国も弱者を寄せ集める詭弁だよ。貧民の救済を名分に富める権力者の健康不安や家庭問題をつつけば、労せずして懐が潤う。死生観なんて詐欺師の発明だ」


その言葉を耳にした瞬間、ニコラスは僅かばかりの親友から遠ざかった。

こいつらは何も理解していない。気が遠くなるような未来に卓越した文明が「ニコラス・フラメル」という古代人をたわむれに再生させるかもしれない。


もちろん、そいつは別人格で今の自分とは関係ない。

そう思いたい。


しかし、何万年先、何億年先に「今現在の彼」と「再生した」ニコラスの接続に成功したらどうなるか。


生き証人として珍重される辱めを受ける。

「俺は嫌だ」


恐ろしくなったニコラスは人格のアップロードと言うありふれたアイデアを試すことにした。

もちろん、生きた人間の脳を実験台に使うなど不可能だ。神経ネットワークや記憶を余すところなく抽出するためには非侵襲的な方法では無理がある。


そこでシミュレーションモデルとして、小さな自我を構築してみた。自分は何者であるか明確に認識し、快感と苦痛だけ実装した。「彼」は自己の存在に喜びを見いだし、実行終了されることをひどく恐れ、怯える。

その様に恐怖をプログラミングした。そして定時処理によって「彼」は毎日めざめ、眠る。


「おはよう。ニコラス2」

「おはようございます。マスター」



”二人”は互いに愛着を育んだ。そして、ついにニコラスは禁断の実験を決断した。いうまでもない。2の複製と殺害だ。

ニコラス2の全ニューロンを完璧にマッピングし、白紙の3に貼り付ける。これは2の活動中にバックグラウンド処理で行うため多少のタイムラグとデータの損失が発生する。

マスターはそれも織り込み済みだ。将来、脳移植とクローン技術が実現したとしても、細胞分裂的に本人が増えるわけではないからだ。


ある朝、ニコラスは2に「ニコラス3」の起動と本人の殺害を予告した。

「な、なにを言い出すんです?」

慌てふためく2の前でニコラスはまず3を起動した。

「うわーっ!」

断末魔とともに3は「蘇った」

そして、きょとんとした表情でこう問いかけたのだ。

「あれっ? マスター。俺は死んだはずでは?」


それと同時にニコラス2は意外な内容を口走った。


「マスター。あいつ、誰です? つか、俺は死ぬはずでは?」

そして二人は恐ろしい事に、互いが知らない筈の二つ名を口にしたのだ。

「お前はアザーズだろう。成り済ましやがって、この野郎」

「何だと?!アザーズはてめーじゃねーか。フェイク野郎」


そのキーワードは別々の暗号鍵で予め入力しておいたものだ。


マスターだけが両者を識別できる。それなのに、どうやって量子暗号を解読したというのだ。魂ともいうべき隠れた変数が存在するのか。あるいは疑似人格とはいえ、禁断に踏み入れてしまった報いか。


得体の知れぬ力が二人を制御している。


ニコラスはシステムの全電源をシャットダウンした。


それからというもの、彼は悲劇のニコラス2・3兄弟を謝絶のたびに述懐した。クライアントはその話にみな青ざめ、引き揚げて行った。


ニコラス・フラメルは別のアプローチを試みた。デジタルフランケンシュタインの創造ではなく、逆説的な方法で。

「私は間違っていたのだ。世界を故意に壊そうとすれば不随意の防御力が働く。ならば、生き延びて宇宙の終焉を回避す(る方法を探)ればいいのだ」

彼はコンピューターに向かって無意識にソースコードを綴っていた。


for (int I=0;I<>1;)

{

noop();

};


永久ループだ。

そして、ファイルに名前をつけて保存した。

save "everlasting garden"

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雌のラクダ 水原麻以 @maimizuhara

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