殺しのライセンス

一転、にわかにかき曇りだとか、切れ目一つないとか、立ち込めるだとかの表現はベネズエラの空にこそふさわしい。

南米大陸屈指の大河川は大西洋から遡ること190キロの地点に端を発し、肥沃で流域をうるおしている。

それも広大無辺のほんの一角だ。その下流であるオリノコデルタは総面積2万7千平方キロ。四国よりほんの一回りほどもある。そこはいつも雲に覆われている。ときどき切れ目から見える大地は湿地が広がるまさに「ザ・熱帯」といえよう。マングローブの生い茂る川辺にはオリノコ原産のワニやイルカ、果てはマナティーやカワウソまで野生動物に満ちている。


そんな壮観のただなかで自分と世界の相関について感想を述べる事はそう簡単ではないだろう。

なにしろ彼女は幾千幾万いや幾億もの目――いわば世界に見られているからだ。


気が付けばずいぶんと温かいものに包まれている。それもそのはず、今の彼女はお仕着せのゴスロリ服を纏っているからだ。

ふうわりとスカートをはらませる潮風。その決定的瞬間をおさめようと無数の複眼が羽ばたいている。

「――ッ…」

悲鳴をあげようとして、どうにか飲み込んだ。内耳にあのいまいましい双子が侵入してきたからだ。

「安心してください。履いてますよ、だ。あーっははっは」

いわれるまでもなくゴテゴテしたドロワースの感触がくるぶしまである。


「カーボンナノワイヤー1本であたしを吊るして今度はなにがしたいの?」


まるでカンダタを吊るす蜘蛛の糸だ。


四枚羽のクアッドコプターが宙返りをした。腹面の液晶モニターをさらして機用に曲芸飛行をつづける。

スイッチが入って日本語でニュースが流れ始めた。


「速報です。エバーラスティングガーデン事件の川田文則被告を弁護していた…」


横文字だらけの場面に切り替わる。黒人がマイクを握りしめブルーシートの傍らで緊迫した状況を伝えている。


そして彼女ははっきりとその名前を聞いた。


「死亡宣告を生中継されてどんな気分だい?」


そんなことを言われたって、吐き気と嫌悪感しかない。死体袋に入っているのはどこの誰だろう。でっち上げるために女のさかりを奪われたのだ、かわいそうに。



「自己中心的な人間は他人の痛みに鈍感ね」


精一杯の嫌味で応戦した。それが強がりでもいい。フェイクだとわかっていても他人の死と冷静に向き合える人間は多くない。せめてもの反骨が震える自分を支えてくれる。


「それが芸術家と言うものだよ。時に亡骸を素材にしてしまう。その狂気が創作の高みに連れて行ってくれる」

「うっさいわね!」


いちいち弁護人供述を引用されなくても相手の意図は理解できる。被写体を素材として扱う表現の自由と倫理および現実と虚構の境界線を引き直せというのだ。


彼女は川田の前に別の事件を担当していた。


いわゆる3号ポルノ事件だ。


エヴァーラスティング・ガーデンをはじめとする競合作品は非日常空間の居住性を高めるために衣食住の模倣を徹底していた。

プレイヤーキャラクターはショップで購入した衣服を自由に着せ替え出来る。その機能が未成年者を彷彿させるとして摘発の対象になった。


ゆるりと☆百合ライフ♪の運営が家宅捜索された際、オンラインゲームに明るい法律関係者が払拭しており、たまたま彼女に白羽が立った。


一審ではコンピューターグラフィックスの違法性が争点になった。実体を持たないデジタルデータは果たして児童といえるのかどうか。

検察側は画素情報を「表現手段の一つであり結果ではない」と主張した。かかる客体は出力結果として扇情するものであって、例えるなら「絵筆の万能性を善悪で計れないからと言って無罪を主張する」ようなものだ。

いっぽう、弁護側はアウトプットがどうあれ、客体は想像上の産物であるのだから、実在する児童の保護を対象とした法律で規制できない。表現の自由だと反論した。

憲法解釈にまで踏み込んだ一進一退の攻防戦のすえ、地裁は無罪をいいわたした。


「お前は勝ちましたね? キャラクターに人権はない、と」

「そうよ」

彼女は即答した。だって元夫は妻の分身を愛してくれなかった。プレイヤーキャラクターは記号ではない。CGの操り人形でもないし、寝ている間にルーチンワークを淡々とこなしてくれるボットでもない。


プレイヤー生活の延長線上にあり、オンとオフを生身の肉体で過ごすか、アバターで過ごすかの違いしかない。不可分なのだ。


それなのに元夫はセキュリティーを蔑ろにした。寝込んでいる彼女の枕もとでキャラクター育成代行業者のサイトを示し「選べ。俺が全額払う」と言い放ったのだ。


その瞬間に愛が終わった。彼がプレイヤーキャラクターを駒として扱うのなら、ボブキャット事件の被害者を不特定多数の匿名として見做してよい。それゆえに、川田文則の無罪に拘泥するのだ。



彼女はとうとうと捲し立てた。そして、今度はサヴィヤヴァの双子に逆質問した。

クアッドコプターは律義にもずっとホバリングしている。報道番組は次の話題に移っていた。トリニダード当局の鑑定結果に精度的な問題があり、日本の情報特別上級警察が現地入りを要求しているという。

映像はふたたび遺体発見現場の空撮に戻った。

「どうして、あの子を殺したの?」


ケイレブのかわりにドローンがざわめいた。数えきれないほどのプロペラが群れをなして逆風を吹き付ける。

エプロンドレスが腰までめくりあがり、百万個の太陽が明滅する。

「ひゃん☆ ひゃん★ っ、くしょん!」

フラッシュが焚かれるたびに涙滴が鼻腔に垂れる。

「はっは! いい眺めだねえ。あんたのお宝画像はメットアートにアップされるよ。ほぅら、もう50ドルから買い手がついてる」

「メットアートってなに?」

「ハードコアって言葉の意味は知ってるでしょ。その対極にあるサイトさ。おおおお、日本人のNaz Ishiharaが売上ダントツ一位だわ~」

その下劣なサイトは言うまでもなく資金源になるのだろう。

クアッドコプターがおぞましい画像を腹に抱えて旋回する。視界から遠ざけようと顔を背ける。そこへドローンが巧妙に先回りした。

「うっぐ」

羞恥心と嫌悪感と高所恐怖が胃液を逆流させる。


見てしまったのだ。

コンピューターグラフィックで加工された醜態を、だ。ありえない服装をして、為しえないポーズをとっていた。


「あんたはこれでも架空のキャラクターに人権がないとおっしゃる?」

「何が言いたいの?」

「ゆるりと☆百合ライフ♪の控訴審判決は今日だったわねえ」

本来ならば傍聴券の奪い合いに参加している予定だった。それが何の因果かベネズエラの空で傍観する羽目になった。

10インチ液晶モニターに不当判決の墨書が踊っている。


「逆転有罪ですってぇ?! そおんなぁ!!」

東京高裁は一審を破棄し、ゆるりと☆百合ライフ♪のアバターに現存モデルのスリーサイズが流用されていることから「有罪」と判断した。


「そこで貴女に最後の質問♪」


ケイレブが楽しそうに審問を続ける。


「な、なんなの?」

「貴女はこの判決をどう思うかしら?」


一もにもなく答えた。


「裁判官、氏ねよと思う」


その瞬間、蜘蛛の糸がぷつりと切れた。


「きゃああああ!」


真っ逆さまに地獄へとダイブするナズナ。


それを太くてがっしりとした腕が支えた。


いや、それはハーネスだ。背中のパラシュートが開花している。

彼女の目指す先にオスプレイが舞っていた。


例のラティーノがデッキから手を差し伸べる。

「合格だよ。あんた。表現の自由戦士へようこそ」

「意味がぜんぜんわからない」

機内へ転がり込んだナズナにケイレブが近寄る。絡み合った糸を解しながら言う。

「あんたはアバターの人権を否定する方を選んだ。だから、私達はお前の身代わりを殺したのさ。あの女はマユズミ・ナズナの個人情報を買った。通院歴もなにもかもさ。自由戦士の資金源さ」


なんという事だ。石原ナズナのプライバシーが丸ごと転売されている。それも有料の「素材」として使い勝手がいい様に加工されている。


「だから、救急搬送するときにあたしの旧姓とか国籍がいじられてたの?」


「そうよ。変だとは思わなかった? あんたをトリニダード船籍のLNGタンカーに積むためには税関をごまかしたりあれやこれや苦労したけどねえ」


「なんてことを」


「よくいう。誰かがプレイヤーキャラクターの人権を否定するなら、逆にそいつを殺したっていいだろう。お前は言ったよね? 人間が嫌いだと」

ケイレブが改めて握手を求める。

合格だと。

とんでもない連中と与してしまった。

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