ミネルバのフクロウ
液晶テレビから漏れ聞こえる海外短信は時々刻々と悪化する大衆感情を伝えていた。
「英米豪につづいてG7主要国が中国人の入国を無条件で拒否」
「フランスで高まる黄禍論。モンゴル帝国遠征時からくすぶる潜在的恐怖心のあらわれか?」
「中国政府、無慈悲だと各国の過剰反応を非難」
「バリ島を旅行中の日本人夫婦、意識不明。襲撃犯『アジア人はこの世から出ていけ』」
マユズミ・ミゲルは使い捨てのマスクを外すと、洗面台のうがい薬を口蓋に垂らした。喉を鳴らしていると鏡の中で小美人が微笑んでいた。ノリの効いたワイシャツにネクタイ。エンブレムのついたジャケット。素足を膝上まで覆うタイトスカート。歳の頃は二十歳そこそこか。つややかで枝毛一つない黒髪が肩を隠している。そのままコスプレイベントの司会が務まるのではないか。どうしても目のやり場が膝に向かってしまう。ミゲルは心の神風を吹かせた。
「取調べの時間です。それとも、キャンセルなさいますか?」
鈴を転がすような涼しいガイダンスに導かれて白昼夢から帰還した。
「ああ、そのままでいい…ちっ! Continue」
小姑みたいにアラームに苛立ちつつも、音声コマンドで訂正した。
「ミネルバ、認証を開始します」
美少女がぎこちなく口元を動かすと、ミゲルは突っかかった。
「いちいち、うるせーんだよ!」
「行動認証、感情認証、サーモグラフィー認証、三重冗長に合格。セーフティーをロックします」
天井隅のガトリング砲の赤ランプが消える。ガチャリと重々しい響きがして砲身が隠れると同時に壁が割れた。
さしわたし10メートルはあろうかと思われる一枚ガラス。その向こうに打ちっぱなしのコンクリート壁があった。
「生体情報、および挙動はすべて記録されます」
女はそう告げると、床に吸い込まれていった。
「彼女、不気味のあぶない橋、渡り損ねてますね」
ジャージ姿の川田文則が防弾ガラスの向こうからからかった。
「うるせえ。俺はもう部外者じゃねーんだ」
ミゲルはこれ見よがしに腕をまくりあげた。フクロウのエンブレムが彫り込まれている。
「いきなり警部補ですか。ずいぶんと早いご出世で」
「おうよ。被害者捜査参加制度をフル活用しても当番刑事にゃなれねえ。今日は別件で来ている」
「と、いいますと?」 文則が語尾を上げる。
「ふざけるな!」
ミゲルはガラスを叩いた。びくともしない。
「ボブキャットの事なら話せませんよ。貴方のヤマじゃない。服務規程違反でしょ?」
「おおありだ!」
元IT社長は令状を投げつけた。
◇ ◇ ◇
ナズナが東京高等裁判所前から消えた。何者かが彼女のスマホに侵入して暗号化通信アプリをインストールさせた。
海外の匿名サーバーをいくつも経由して追跡を困難にするソフトで本人をいずこかへ呼び出した。
本人の端末が高裁前の茂みから見つかった。そして広域医療保険網が乗っ取られ、救急搬送が要請された。すべて架空の通報だった。
「仰天界通信のBLINK☆(ブリンクスター)衛星端末を握っていた。ナズナを最後に目撃した通行人の証言だ」
「あんたのヤサじゃねーか。クロもクロ。真っ黒。くろすけだよ。はっは! 責任転嫁と来たか。俺は関係ねぇ」
睨みつけるミゲルを笑い飛ばした。
「関係…ねぇ…だと?」
ねちっこい言い回しでヘイトを貯める。そしてミゲルは一気にまくし立てた。
「切り刻まれたスカート、真っ二つになったパンティ、医療用裁ちバサミがポリ袋に棄てられて人形町の路上で見つかった。、ずたずたに裂けたブラウスのポケットに本人の名刺が入っていた!」
「知るか! 何のことだよ?! それに俺は今この時点で拘置所にいるだろうが! アリバイが百パーセント成立する」
川田文則は懸命に否定した。いけると踏んだミゲルは更なる証拠をつきつける。
「鋏からルミノール反応があった。救急隊員が意識のない患者の同意抜きに衣服を切り裂いて必要な処置を施す事はある」
「俺のDNAでも出たっていうのかよ。第一、殺ってねえ。出来っこねぇ。弁護人は接見できても接触はできねぇ。体液ひとつつかねえ。誰かとつるもうったってアクセス手段がねえ! つか、弁護士を始末する被告人がいるかよ」
フン、とミゲルは鼻を鳴らした。そして、とっておきの切り札を突きつけるためにたっぷりと間を置いた。
「――??」
怯えた瞳が、おいつめられた小動物のオーラが、力いっぱい潔癖を主張している。
スゥ、と大仰に深呼吸したあと、ミゲルはそっけなく告げた。
「トリニダード・トバゴ沖で若い日本人女性が網にかかった。地元警察が司法解剖して死因と身元特定につながる証拠を得た。死因は高高度からの滑落。お前のDNA、そして本人の歯形が一致した」
「とってつけたようなでっち上げを――」
「高裁近くのコンビニから公衆フリーWi-Fiのログを押収したよ。女子トイレの裏にドローンを飛ばして被害者の興味を引いたな?
QRコードもな。
モバイル決済、領収書発行用の感熱プリンタをドローンに搭載する特許はお前の発明だったよな?
人を運べる貨物ドローンもだ。そして岸部政権が就任した2014年から日本は対カリコムODA援助の一環として島嶼地域の振興に力を入れている。
トリニダード向けのドローンを手掛けていたのはお前の勤務先。
仰天界飞机だ。かの国はカリブ有数の産油・天然ガス国だが、アメリカの
シェール革命で日本に販路を向けている。極めつけはホルマリン・アルコールのシェアを握っている」
「どういうことだってばよ?」
「遺体を冷凍して国外に遺棄する。運搬にはドローンを持ちいる。海面高度スレスレなら沖合の船まで沿岸レーダーにひっかからない」
「おい!? そんな、うそだろ?! 誰かが俺を嵌めようとしてるんだ」
「お前は防衛施設庁の契約先に出向していた経歴もあるよな。岸部政権が最重重要視する島嶼防衛。尖閣だ!」
ミゲルは履歴書のコピーをパラパラと撒いた。蚯蚓のように汚い筆跡が職歴をアピールしている。
それと一緒に無人ドローンのカタログが舞い落ちる。仰天界の赤い五つ星ロゴ。
天を仰ぎ、視線を縦横無尽に泳がせ、顔面蒼白のままダラリとくずおれる。
そこで鬼刑事は天使になった。うってかわって穏やかな表情をガラスに映す。
「だったら、潔白を証明しろ。なっ?」
ミゲルの右腕でミネルバのフクロウが目を光らせていた。
すべてを見通す情報特別上級警察。NWO(ネットワーク・ワールドワイド・オブザベーション)
通称、ミネルバ
階段を踏みしめるたびにスカートが揺れる。もっともその奥にあるのはオイルにまみれた球体関節だ。絶対領域を確保は時期尚早といえよう。
「あんなことを言っちゃっていいんですか? 自白の違法性が問われますよ」
黒髪を揺らしながら、ちょこまかと何処までもついてくるしぐさがいじらしい。
「構うか。示した証拠はすべて事実だ…今のところは、な!」
ミゲルは自律端末の反抗心が気に入らなかった。
「少しやり過ぎではないですか。被害者の身元もDNA鑑定も推定無罪に反する段階でしょう」
「俺達の追ってるヤマじゃない。細かいこたぁ気にするな!」
「コバルト60紛失事件はトリニダードも関与してるって今朝の合同捜査会議で―」
「公安なんかあてになるかよ。こっちはこっちで動くぞ」
「どこへ行こうっていうです?」
「決まっているだろう。西葛西だ!」
「でも、あれっていたずら電話で、救急車も落札された車両だったじゃないですか。だったら病院より”めりくり!”の日本法人を」
「刑事の本分を忘れるな。足、現場、そしてココだよ」
人差し指で側頭をつつくミゲル。まるでベテランのような口を利く。しかも内容は動画アーカイブにありがちなパラメータだ。
ミネルバのCPUはそれを防衛機制の一種であると考えた。
「お言葉ですが、わたしは――」
「それは生身だろうがロボット刑事だろうが同じだ。わかったらついて来い」
大股の綺麗なストライドで二段ずつステップを飛ばす。その動きはミネルバの例外処理でもカバーしきれなかった。
「ひゃん☆」
バランスを崩して尻もちをついてしまう。女の子らしいしぐさはミゲルが無意識に設定したものだ。
「おいおい、お嬢ちゃん。しゃあねえな」
ベテラン(気取り)警部補は自律端末を両手で抱き上げだ。カーボンセラミック複合材がハイチタン合金製の骨格を肉付けしている。
「お、お姫様だっこですかあ?」
ミネルバは感情豊かだ。ポッと頬を赤らめる。
「そんな機能まで実装してやがったのかよ。おま、その割に軽いのな」
「何キロかなんて聞かないでくださぁい」
能天気な会話が回転翼にかき消されていった。
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