邪眼と神の鈴
時に西暦202X年。ベネズエラを取り巻く背景はジェットコースターのごとく急展開していた。
前大統領アントニオオ・ロドリゴが国際選挙監視団を追放して二期目の大統領就任式を強行した。これとは別に不正選挙を非難する野党主流派は改めて公正な選挙を行うべしと主張し、ロドリゴ政権の違法性を認定した。そして、憲法に基づいてマティアス・ブランコ国会議長を暫定大統領に擁立すると、一方的に宣誓式を執り行った。
アメリカのヘラルド・ワイルドカード大統領がこれを歓迎し、フランコ政権をベネズエラの正当な政府として承認したことから、ロドリゴは反発。
アメリカとの関係断絶を示唆した。
中南米諸国と英独、カナダも相次いでブランコ政権を承認したことから、ロシア・中国・イランがロドリゴ支持に回った。
報復措置としてワイルドカードは財務省に制裁措置の発動準備を命令。ベネズエラの国営石油会社プラヴィアがアメリカ国内の資産接収、口座凍結の措置を科される。
これにより、ロドリゴ政権はアメリカに販売した原油の売掛金が回収不能となり、手痛い打撃を被った。最大の外貨収入を失ったベネズエラは経済が停滞し、輸入品目のドル建て決済にも支障を来たすありさま。
未曾有の大規模停電が頻発し、ついには原油の精製や輸出、国民生活に必要な物資の生産にも大きな影響が及んでいる。
このような状況のもと政権を糾弾する動きが拡大し、ブランコ支持者と野党が人道支援物資の越境を主導し、これにともなう流血沙汰から多くの軍部がロドリゴから離反した。
ヘラルド・ワイルドカードはかつて、イランのモサデグ政権を倒したやり方に倣い、CIA工作員を用いて一気にロドリゴ大統領を退陣に追い込む計画だったが、期待外れに終わった。
実際には予想していたほど軍部は動かす、抗議行動は沈静化された。ブランコ暫定大統領も引き続き蜂起を呼び掛けているが、いぜんとしてロドリゴは政権に居座っている。
「なぜだ?」
マスードは太くて毛虫よりも濃い眉を歪めた。
「希釈剤の不足です」
小銃を肩からさげたブロンド娘が即答した。
「メリンダはロドリゴが送り込んだ政権中枢の人間で、政府子飼いよ」、とアスナ。
表現自由テロリスト集団「サーバンナ」の監視役でもある。
メリンダは戦闘機掩蔽壕の壁に地図を投影した。上半分にだだっぴろいカリブ海、下半分は南米大陸の沿岸が横断している。
そこにはいくつもピンが刺さっている。すべて油田だ。しみそばかすの様に纏まって点在している。それは東西に連なって隣国ガイアナにまで及んでる。
「原油をどうにか融通できれば、勢力図を簡単に塗り替える事ができるんです」
彼女は憎々しげな視線で油田マップを機銃掃射している。
「売るほどあるじゃねえか」
マスードが肩をすくめた。
「リグが――あなたがたがイメージする海底油田のやぐらに不可欠な潤滑油です」
ブロンド娘がいうには、ロドリゴが君臨するまではアルゼンチンやチリがリグのメンテナンスを請け負っていた。しかし制裁の煽りで維持費の支払いを政府は渋り始めた。
自衛手段として管理会社は早々に技術者を引き上げた。リグの大半は稼働停止に追い込まれた。しかし、ロドリゴは早急に手を打った。
アスナがピンの一本を抜き取る。チキンライスのてっぺんに立てるような小旗がついている。
「ロシアと中国に支払いを肩代わりして貰ったのよ」、
「それじゃ御の字じゃねえか」
「そうでもないんです」
メリンダが反論した。中露の介入は限定的だ。確かにサービス会社の目途はたった。しかし代替とまでいえるほど手配は出来ていない。稼働しているリグは限定的だ。
「ベネズエラの石油業界に今、必要なのは希釈剤なんです! ドロドロに詰まったパイプを溶かす薬品です。ところがアメリカのせいで思うように入手できない」
財務省の科した制裁はえげつないものだ。なにからなにまで禁止と言うわけではない。ベネズエラを完全に干し上げてしまえば国際社会から袋叩きだ。
そこで希釈剤に目を付けた。それだけは制裁品目から外す。ただし、ベネズエラはアメリア財務省が指定する口座を通じてしか購入代金を支払えない。
「ベネズエラ国内のリグすべてに適用されるのよ。ロシアも中国も従わざるを得ない。アメリカもマッチポンプの栓を握っている以上は、うかつに動けない。ブランコ側を露骨に支援すれば公然の「自作自演」が壊れてしまうからだ。
「話はだいたい分かった。そのパワーバランスをぶち壊すために鈴を持って来たんだろ?」
マスードがアタッシュケースを開いた。梱包材で厳重に保護されている。分厚い布をぐるぐると巻きほぐすと出てきたのは小さなお守りだ。
トルクメンに伝わるテケ人のドゥマル――護符いれだ。
装身具の一種で三角形の板に円筒がいくつも連結している。それには新緑の到来を告げるチューリップの花が透かし彫りされており、魔よけの音を奏でる鈴がたくさんぶら下がっている。
また円筒の一部が外れてそこにコーランの一節を記した護符が納めてある。これがパワーを増幅させるのだ。
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において万有の主
アッラーにこそ凡ての称讃あれ
最後の審きの日の主宰者
あなたが御恵みを下された人々の道に,あなたの怒りを受けし者
メリンダが厳かにうけとり、身に着けると、チリンと鈴が鳴った。
すると、呼応するようにどこからともなく愛くるしい応答があった。
「うニャん?」
ぽてっとした白猫がマスードの顔面に着地する。
「むわ?!」
反社的に払い落とそうとすると、アスナが抱き寄せた。
「なんてことをするの! 猫はもっとも清浄な生き物であるとされているのよ。ムハンマドでさえ、ネコ愛は信仰の側面であるとさえ教えている」
「虐待するつもりはない。とっとと始めようぜ」
マスードが白猫を抱えてドラグーンの後部座席に乗り込む。
「マラカイボ湖へ向かいます。『彼』ならきっとあそこに現れるはず」
メリンダがハンドルを握る。
「CAMIMPEGに伝えてくれ。ありったけの歓迎員会を準備しろ。見返り?」
マスードが通信機を脇に置いて目配せをする。
アスナがうなづき、続けた。
「電力よ。電力を一気に回復してあげる。希釈剤に筋道がついたの。それでサーバンナは動かせるでしょ?」
彼らは基地のはずれに停まっていたドラグーンは急発進し、裏通りへ出て行った。
◇ ◇ ◇
「ニャゥーーーー」
アメリカンショートヘアがしっぽをピンと立てて飼い主におねだりをしている。
「おー、わが友よ。わかったわかった。よしよし」
帆場栄作は薄汚れた白衣の内ポケットから不気味なアイテムを取り出した。
それも悪趣味と言うかまがまがしいというか、一種独特の常軌を逸したデザインだ。青い掌にホルスの眼――すべてを見通すといわれる邪眼が埋め込まれている。
「わが友。稲妻が大地に招かれるように私の脱出を導いておくれ」
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