ひとめぼれ
わたしは世界を滅ぼす死神を作ってしまった。
「原爆の父。オッペンハイマーの言葉です」
川田文則はまるで自分に向けられた賛辞であるといいたげに反芻した。
「君のボブキャットも神に対する挑戦か? そう思っているだろ。いや、そうであるに違いないっ!」
マユズミ・ミゲルのバリトンがアクリル板を震わせた。
「随分と高圧的ですね」
ムッとした表情で川田が立ち上がる。物陰で監視していた係官が即座に面会中止を告げた。
「出ろ。川田。面会は中止だ」
ミゲルが異議を申し立てた。まだ五分ある。
「いや。危険な兆候が察知された場合の対応は説明済みです。本人にも貴方にも」
係官は聞く耳を持たず、文則をさっさと退出させてしまった。
「畜生!」
ナズナの元夫はスチール机に突っ伏した。唇を噛みしめ、両こぶしを握り、涙腺を振り絞る。
「畜生! なんでなんだよ。何で『死んじ』まったんだよ」
しょっぱい指で後ろポケットをまさぐり、パスケースを取り出す。そこには外国人登録証と四つ折りにした写真が挟みこまれている。
折り目はみみずばれの様に複雑な軌跡をたどっている。まるで、亡き妻との偶然のめぐりあわせから不慮の死を皮肉るかのように。
マユズミ・ミゲルの本妻。ナズナは川田文則に「殺さ」れていた。直接、手を下したわけではない。当時、彼女はエヴァーラスティング・ガーデンに寝食を忘れるほど没頭していた。
アルコールでも違法薬物でもギャンブルでもオンラインショッピングでも中毒の入り口は同じだ。
何でもないような日常。些細なきっかけに地獄の陥穽が潜んでいる。ナズナがハマった経緯もありふれた選択行動だった。
「ポイントを貯めて照り焼きセットを貰おう」
有名なファーストフードチェーンとコラボしたキャンペーンだ。もともと反射神経が鈍く、運動音痴だったナズナはゲームと無縁の存在だった。
しかし、度重なる帰化申請の却下に夫は苛立ち、その憤懣を妻で発散し始めた。これも、ありがちな家庭不和だ。
ナズナは温厚で口下手であまり友人が多い方ではなかった。それを盛り上がり始めたインバウンド景気の流れに乗って渡来したミゲルに救われた。
二人の共通点はアニメだった。少年誌で人気の原作アニメがミゲルの母国を席巻し、その「聖地」であり、母方の故郷でもある日本に対するあこがれが臨界点を越えた。
就職難に疲れ、そのまま引きこもってしまったナズナが再三再四にわたる親の説得に応じ、いやいや古都を散策していた。
「ナズナ」
何気ない母親の呼びかけがキューピッドの矢となった。ミゲルが心酔する魔法少女のファーストネームと一致したのだ。
一目ぼれだった。
そして、二人は魔法少女「エヴァーラスティング・ガーデン」の世界線上で愛をはぐくんだ。交際中はオンラインの逢瀬が多かった。しかし、起床しただの、退社しただの、チャット機能で近況報告を始めると、ログインが面倒になる。「別に毎日合ってるんだし、電話でも良くね?」
ミゲルの一言でナズナはゲームから足を洗った。その後の結婚生活は順調で、仮想世界のデートなど思い出のかけらですらなかったはずだが。
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