異端審問

午後に予定されていた被害者による意見陳述は無期延期となった。傍聴券の配布、裁判所前のマスコミ対応など諸事情を鑑みて慎重に日時が決定される。マスコミは早々に解散し、川田文則は拘置所に再び護送されていった。石原ナズナはサヴィヤヴァの言いつけに従って携帯を裁判所前の茂みに投げ捨てた。

「まだ分割払いが31回、残っているんだけど。光回線コミコミ特約もさ」

厄介ごとに巻き込まれた不安と憤懣がふつふつと募る。ああ、駄目だ。溶剤が恋しい。だがこれ以上の沼に嵌ってしまったら、姉妹の思う壺だ。それに彼女たちはナズナの敵ではない。

それどころか表現の自由戦士を支持する有能な弁護士たちがこぞって支援してくれるというのだ。ただ、その招待方法がこのうえなくインチキ臭い。

しかし、弱みを握られた自分に抗うすべはなかった。そして、自然の摂理は彼女の胃を鳴らした。

「べ、別に、お腹なんか減ってないんだからネッ!!」

行きかう人々に聞こえるように強がってみる。

「お待たせして申し訳ございません。石原ナズナ様でいらっしゃいますか?」

振り返るとサイコロ柄のつなぎを着た女がバイクの座席からビニールの包みをおろしていた。

「へ? あたし??」

目を白黒している間にバイクは走り去った。A4サイズほどのピザボックスと黒いプラスチックケース、そして伝票が入っている。そんな事より濃厚なチーズがナズナの食欲をそそった。


◇ ◇ ◇


「仰天界信5G小机。何だそりゃ?」

ホワイトチェダーの触手を噛みちぎりながら、ナズナは端末をひっくり返した。のっぺりとした黒い筐体で電源スイッチと、釣り竿かと思うほど長いロッドアンテナが付属している。

説明書は漢字だらけで申し訳程度に英文が添えられている。それでも懇切丁寧な図解に従ってどうにか日本語環境を構築できた。仰天は日本進出をアメリカの輸出規制に阻まれている企業の一つで、衛星携帯電話業者のトップシェアを誇っている。そんな事もつゆ知らず、ナズナはおそるおそる電話帳をひらいてみた。サヴィヤヴァの言うとおり、電話番号は変わっているものの、仕事に必要な連絡先や友人は漏れなく登録されており、留守電に懐かしんだり新機種購入を祝うメッセージが残されていた。

「どこまであたしのプライバシーを侵害してんのよ」

ナズナはずっしりと重い電話機をいますぐ地面に叩きつけてやろうかと思った。その決意を刺すような痛みが挫いた。その場に立っていられず、しりもちをつく。スカートが全開になるが構っていられない。

みぞおちで鋸が激しく回転している。脂汗がにじみ、視界がぼやける。震える指で三桁の数字を9まで打ち終えて、力尽きた。

待ってましたと言わんばかりに救急車が到着し、ストレッチャーに乗せられ、無線機のノイズと会話が飛び交うなか、救急救命士が受け入れ先と交渉を続ける。

「西葛西の聖メリディアン慈愛会病院? わかりました」

「ええ、マユズミ・ナズナ、成人女性、メキシコ国籍、年齢は…」

戸籍が本人の承諾なしに書き換えられている。そもそもマユズミ・ミゲルは苦心惨憺して祖先の地で日本国籍を取得した筈だ。

ちょっとどうなっているのよ、と抗議しようとしたがまったく力が入らない。それどころか、救急隊員の姿がかき消すように流れ去った。



◇ ◇ ◇


「それで表現の自由戦士とやらは、どこ?」

刺激臭をかがされて、目覚めた場所は機上。どこまでも続くターコイズブルーを一目見るなりうんざりした。

ナズナの疑問がターボファンエンジンにかき消される。

「…2時間前から、縄張りン中を飛んでるわよ」

髪も頬も目も色つやの良い美丈夫が投げやりに行った。ラテン系か。

「ついでに、あんたのオムツ、2回も変えた」

「えっ?! ヤダッ」

ナズナはさっと顔を赤らめた。お仕着せのジャージがもこもこ膨らんでいる。

「ほら、もう立てるだろう。オスプレイが降下する前に済ませといで」

ラティーノの女に案内されるまま、ナズナは使用中のランプを灯した。


◇ ◇ ◇


強烈な脱水症状と倦怠感で足取りがおぼつかない。ヘリポートは潮風のやまぬ鉄塔に設えてあった。

「難攻不落の断崖絶壁か巨大なスペースコロニーにでも辿り着くと思ったかい? 拠点を構える時代はラッカが陥落した日に終わったのさ」

サヴィヤヴァ双子の姉は黒髪を疾風で梳かした。この海底油田も支持基盤の一角だという。そして従業員の9割がクールジャパンの信奉者だ。苛烈な焚書坑儒を乗り越えた二次創作が広く読み継がれ、新作の原典になっている。もっともベネズエラ政府も度重なる経済制裁を受けてロシア企業の追放に着手したという。

「さて、あんたを巻き込むにあたって然るべき手続きを踏まなきゃいけない」

ゴスロリの妹が汚いソールでナズナの髪を踏みつける。「―ッ!」、苦悶が吹き散らされる。

「か、勝手に呼んでおいて」

「勝手に読んだのはあんたじゃないか。QRコードをさァ」

姉が煉瓦のような5G携帯でナズナを小突く。

「脅迫まがいのやりかたで…うっくぅ!」

今度はみぞおちを直撃した。やばい。腸の蠕動が活発化した。

「神を脅迫してるのは誰だか自覚が足んないようねぇ?」、と姉。

「レイプ魔を法の名において許せと天に盾突いてる癖に良く言う。律法とはすなわち人間が手前勝手に決めたルールだよ。極悪人は死罪。でも不特定多数の生殺与奪は神様の領域だ。しかも何の罪もない。それを許せっていうんだから、狂気の沙汰だよ」

妹が衛星携帯を振りかざす。

「あたしを殺したら、川田文則は娑婆に戻れないわよ」

ナズナは切り札を早々に使った。

カチャリと何処かで撃鉄が鳴る。

「カラシニコフを下げなさい。彼女、第一問はクリアしたわ」

姉がラティーノを下がらせる。

「人間の側に付いたわね。で、もう一つ、聞きたいんだけどさァ? そこまで川田を弁護する目的はなに? まさか職業上の使命感とか倫理がどうたらとか白々しい事は言わないよね? 天に唾する人間が」

妹の問いにナズナは一も二もなくこう答えた。 

「人間が嫌いだからよ」

それを聞いた姉は叫んだ。

「カレブ! この女を吊るして」

妹は即座にナズナをワイヤーケーブルで捕縛した。

オスプレイが黒い影を徐々に拡大していく。

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