シュミラクラ



「絶対に貴方を生還させます」

新任弁護士の石原ナズナは硬いアクリル板を鼻息で曇らせた。ストレートな黒髪は小動物のような瞳と同じ色をしている。その焦点は短く刈り込まれた被告に向いている。

七度目の再審請求。奇妙で滑稽で幼稚で言語道断な裁判が始まろうとしていた。

被害者のいない連続婦女暴行事件。実に2万と4800人の女性が川田文則の歯牙にかかった。最高裁は上告を棄却し二審の無期懲役判決が確定した。

未成年者暴行、強制わいせつに獣姦。字面だけをみれば許しがたい凶悪犯罪だ。残念ながら死刑にはできない。命を奪って償わせるほど重い罪ではない、というのが司法の判断。

しかし、法曹界の一部は司法こそ裁かれるべきだと猛反発した。

確かに内容は筆舌に尽くしがたい。おぞましくて口に出す事さえ憚られる。

何しろ、被害者は二次元の住民で、加害者はネコのモーションキャプチャーデータだ。川田はオンラインゲームに侵入に実在するネコの生態を注入した。それも何百倍にも増幅してだ。

若い女性向けのまったりとした楽園。戦争や犯罪と言った女性を脅かす要素を一切排除した隠れ家的な生活空間が猛獣に襲われた。プレイヤーキャラクターが次々に餌食となる様子をログインしてたプレイヤーは傍観する他に成すすべはなかった。

「トラウマを抱えた方々に深くお詫びします」

川田は二次被害者に対してのみ誠実さを見せた。内心では世の中の無常と無関心に唾を吐いた。実体をもたない架空の登場人物と獣が遭遇した。事故であり不幸な災厄だと主張して無実を主張した。

「プレイヤーキャラクター。ネコの生態データ。どちらも実体をもたない”架空”の存在で、”事件”も仮想空間内で発生した虚構にすぎません」

ナズナは襲撃事件の発生そのものを絵空事だと斬り捨てた。

「そもそも、なぜあなたはそのような行為をしたのですか? 仮に非現実の出来事であっても、その空間に人々は生きて、行動し、感情を持って」

彼女は川田に問いただした。弁護人とは犯罪者をひたすらに詭弁を弄して擁護する「反社会的存在」だと世間一般は認識している。

だが、それは認識不足だ。本来は改悛させ、再犯を防止するために説得や反省を促す役割がある。

川田は他人事の様に「するもなにも、起きちゃったものはしょうがないでしょう」と述べた。傍聴席がどよめく。聴衆の大半はPTSDに苦しむプレイヤーやその家族だ。

「事故であると?」

「そうですよ。ボブキャットは自律型のデータオブジェクトです。クラウド遊弋し、自由に情報を摂取し、取捨選択基準を学習し、進化させる。それがよもやオンラインゲームに侵入し、プレイヤーキャラを襲うなんて」

「夢想だにしなかったと?」

「そうですよ。ボブにはそもそも観測対象をデリートする機能なんて実装していない。あくまでも受け身なんです。考えてもみてください。検索エンジンに対象データを”削除”する権限なんてありますか? 搭載する必然も需要もない」

二人のやりとりが身勝手に思えたのだろう、検察側から罵声が飛んだ。

「黙って聞いてりゃ言いたい放題」

それをきっかけに法廷内は収拾がつかなくなった。やむなく、裁判長が休憩を宣言した。

「彼、使えると思わない?」

憮然と席を立つ人々のなかにゴシックロリータ調の二人連れがいた。

「そうね。表現の自由戦士たる資格はばっちりよ」

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