ミネルヴァの最期
「大人しくしろ」
●ミネルヴァの最期
「やめて!」
ミネルヴァは悲鳴をあげた。
「動くな」
フォルツの眼差しは氷のように冷たい。
「やめて……やめて下さい……」
マリスが涙を浮かべて懇願する。
「ごめんなさい、お父さん」
「やめろ、やめるんだ」
フェルミは必死になって石の床を這った。
「ミネルヴァ、ミネルヴァ!!」
ガウリールの小隊はじりじりと間合いを詰める。
「やれ」号令と同時に隊員の一人が肩を叩いた。それがきっかけとなってフォルツが走り出す。
石畳の上にミネルヴァは転がされた。
フォルツが駆け寄り彼女の髪をつかみあげた。そのまま顔を何度も殴る。鈍い音が地下道を満たした。
フェルミは目をそらそうとしたができなかった。彼女は父を止めたかったのだ。
しかし、無力だった。何もできず、声をあげることもかなわない。
やがてフォルツが疲れ切ったのか、手の動きを止めた。
「何故こんな真似をする。娘を手にかける父の姿を見て楽しいか?」
彼は荒い息を繰り返した。ミネルヴァは血に濡れて失神していた。口の周りや鼻からは血が流れ出ている。
「ちがいます」
フェルミの目にはまだ意志の光が宿っていた。彼女はゆっくりと立ち上がる。身体中の筋肉がきしむような激痛を覚えた。
「マリスは、マリスはあなたのことが好きだからです。だからあなたが間違った道を歩もうとしているから、引き戻そうと」
「フェルミ、私は君を愛している。君の父でもあるのだ」
「それでも! 今のお父様には愛がないです。ミネルヴァへの憎しみだけ。そんな人を父親と呼びたくないです」
はっとフォルツはうろたえた表情になった。
「マリス!マリスはどうなんだ」
ガウリールたちが銃を向ける。だが、彼らも判断を決めかねていた。
ここで撃ち殺したとして、それは復讐なのか。自分たちの行動が正しいのかどうかわからない。
ただ、彼らは任務遂行の為にここにいるのだ。それこそが唯一絶対の基準なのだ。たとえ命令を下したのが自分の実の息子であろうとも、躊躇してはならない。
「ガウリール隊隊長より全隊に達する。これより作戦行動を開始する」
ザッザと砂嵐に似たノイズが聞こえた気がした。彼らは一斉に振り返った。
神樹にぽっかり穴が開いていて、その縁に腰かけた男がライフルを構えていた。
「撃つな」
男は銃を振って制すると、石段を降りてくる。
フォルツもフェルミも彼の顔を知っている。彼はこの星の住人ではなかった。遠い宇宙のどこかから来た。
「ハンニバル、どうしてここが」
男の背後では月桂樹のような白い巨塔が崩れ落ちようとしていた。その先端に一人の女がいた。黒いドレスをまとったベライゾンだ。
ハンニバルと呼ばれた男は軽く眉を上げた。
「ギャロン殿が教えてくれたのだ。君は何かとんでもない間違いをしようとしていると」
「あなた、本当に人間ですか」
フォルツが絞り出した質問をハンニバルが笑みをもって答えた。
「そうかもしれぬし、そうでないかもしれんな」
彼は神樹に空いた空洞を仰ぎ見た。
「ここは星へと行く船の墓場だ。男と女はそこで戦い続け敗れた船は海に沈んでゆく」
「私は違うぞ」
フォルツの抗議を無視してハンニバルは言葉を続けた。
「女は天に帰った。船の中で生まれた子供たちとともに」
そう言ってハンニバルは女帝を親指で指した。「ベライゾン、私を恨んでいるか」
女帝の唇はかすかに震えたが、何も言おうとはしなかった。
「当然だな。私とて自分が正気の沙汰とは思えん。しかし、これは私の使命であり贖罪だ。神がそうせよとおっしゃったのだ」
神?何を馬鹿なとフォルツは内心で叫んだ。
だが、次の瞬間に思い当たる節があった。ハンニバルの背後に控えているのは何だろうか。まるで女と子供が寄り添っているように見える。そしてハンニバルの額には赤い第三の眼が輝いていた。その隣には女の影が見える気もする。
(あれが神か)
「あの日、天に帰った女には子供ができた」ハンニバルが続ける。
「私の子かもしれない」とフォルツも負けじと言った。
女帝の視線に憎悪が満ちて彼に向けられた時、「あのー……」と蚊帳の外にいたマリスが言った。「よくわかんないんだけど、これってもしかしてあたしらの為だよね」
沈黙は30秒続いた。
「あたしらが、というかさ、あたしらの中の女の子のためにやってくれたんだよねえ」
ハンニバルが苦笑した。そして「君たちには敵わんな」とつぶやく。「確かに私と女の戦いで船と命が失われた。その罪を償う為にやった」
フォルツは銃を下げた。フェルミも同じく。そして二人の親子はがっくりと崩れ落ちた。
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