追放の理由
「こんなことなら結婚前の体重に戻しておくんだったわ」
マリス・ファーディは安産型の腰を四苦八苦しながら押し込んだ。下履きは油から紡いだ繊維で織られており、弾力性に富んでいる。
それが体脂肪率をあからさまに表現していて恥ずかしい。脚の付け根ぎりぎりまで肌を他人に晒すなんて何年ぶりだろう。
ミネルヴァ・フォルツに言わせればベルヌ術という格闘技は関節の動きをフル活用するため、このような極限まで裾を切り詰めた胴衣になるのだという。
彼女は慣れた手つきで魔術を編み込んだ白いソックスを膝上まで引っ張り上げた。俊敏な脚力と蹴りの破壊力を強化する効果があるという。
「脱いだ服はどうしましょう?」
マリスが石造りの地下通路を見回す。まっすぐに奥まで続いていて予備の部屋や隠れることが出来そうな物陰はない。
「そんなの捨ててしまえば」
王族の血を引いたミネルヴァらしい経済観念だ。しかし、いくら中産階級とはいえ庶民の出であるマリスは高価な制服を捨ておけない。
「いいえ、もったいないです」
そういうと一式をスカートでくるみ、風呂敷のようにして背負った。そして、スタスタと歩き始めた。
「…勝手にすれば」
フェルミは呆れ果てて、身体にぴったりフィットしたベルヌ術胴衣のまま後を追う。
彼女たちが廊下の角を曲がると、石畳が揺らめいた。そして、ガウリールの偵察兵たちが光学迷彩を一気にかなぐり捨てた。
「マリスとミネルヴァは本校舎地下のエントランスホールを通過。神樹に向かって最短距離を移動中」
彼らは二人ずつのバディを組み、背中合わせに公転する。振り上げた袖砲に死角はない。そうやって射程圏内の脅威をすべて撃墜する勢いでマリスたちの後を追う。
鑢で花崗岩を削るようなノイズが、星へと行く船を満たしている。
「やっぱり委員会に忠誠心が向いておるようだ。貴君のいう通り」
フォルツに褒められてハンニバルがほくそ笑む。
「ギャロン・ギャモン委員もなかなかの策士ですわい。作戦行動中に行方不明者が”1名”とは言いました。しかし、それが全てとは伝えておりますまい」
うむ、と
「王妃はゲルマンカズラに何年も前から執着していた。それを私は病床で聞かされたのだ。彼女の侍従医から…」
思い出すだけで腹が立つ。彼はまだ心身ともに健康で任期をまっとうする気まんまんであったにもかかわらず、毒を盛られたのだ。
それは魔導炉の副産物であるタリウムだ。禍々しい力で生物を蝕む。人体に吸収されやすく、いったん入れば神経毒として作用する。機械の身体とて同じ。生身の部分が何割か残されている。それを侵されてしまえばひとたまりもない。
「もうすぐ臨床試験が終わりますのよ。ゲルマンカズラ施術療法は機械も生身も一つの強靭な神経系で置き換えてしまうんです。ベライゾン姫様の熱心な研究が閣下の御身に役立てないとは、お気の毒に」
医者はそうやって遠回しに揶揄した。
「ベライゾンめは知っておったのだ! ゲルマンカズラが星を行く民の心身を守ると。ほんらい、人という生き物は天に昇れぬ。神の領域に立ち入らぬよう闇の光が肉体を焼き貫くのだ。しかし、その昔、男と女が銃を向けあう時代があった。戦場は天にまで広がった。ゲルマンカズラはその際に作られたのだ」
バーゼノン特産品の戦略価値を王妃がどうやって知ったか定かでない。おそらくジャグニと思われる。ただ、その有用性を確信していても、応用技術を予備知識なしにゼロから開発することは不可能だ。
「深夜に扉を叩く者があなた様の密使だと聞いて、私は驚きました。すぐに来いと枕元に呼ばれ、聞かされた話もびっくりで…」
ハンニバルが虹色のボディをてらてら輝かせる。
「あの時はすまなかった。だが、王立アカデミーが
「私も耳を疑いました。プロテオ計画の本意が遺産の破壊だなんて」
「埋もれた船の話は祖父から聞いた。男と女が年に一度、星へと行く船で争うのだ。彼我の戦力は拮抗し相打つ。そして一年をかけて改良型を新造する。墜落した一隻がこの地に眠っていると。馬鹿馬鹿しい御伽噺だと思っていた」
「しかし、翼竜たちのまっすぐな瞳を見て、私は祖国だけでなく彼らの慮ってやることこそ。世のため、巡り巡ってザイドリッツの繁栄につながると悟ったのです」
ハンニバルはフォルツを見舞ったその足で、言われた通りにバーゼノンへ渡った。そして、ケルヒャー達から親書を授かった。
どうか、雌と子供たちを「星へと行く船」で天に帰してほしいと。その為にはフォルツ公の協力が不可欠だと。
「ジャグニをバーゼノンに追放する計画はほんの一部だ。私が暗殺され、君が造船所で爆殺され、この船が日の目を見るまで周到に準備した」
「しかし、査定爆弾がこの船を破壊する危険、そして技術が王妃に渡るリスクもあった」
ふっ、とフォルツは笑った。
「星へと行く船の技術は実に素晴らしい。ガウリールの部隊が私の生首をエスキスに運び入れ、翼竜たちに託した後でも無事に蘇生できただろう? ちなみに査定爆弾は星の鉱物資源採掘用だ。母船を壊すほどポンコツではない」
ハンニバルは王者にふさわしい男を惚れ惚れと見つめた。
「やはり復位すべきだ」
「こっちよ…」
心の声に導かれるまま、マリスは瓦礫を飛び越えた。汗でぴったりと皮膚に密着した生地がなまめかしい。
「こっちよって…簡単に言ってくれるわ」
ミネルヴァが高さ1メートル超の石柱にしがみつく。クルーネックシャツからうっすらと鎖骨が透けて見える。
よじ登るとようやく神樹の全容が見えた。
「世界樹をイメージしてた」
へなへなとマリスが座り込む。
「あたしも…」
フォルツの娘もへたり込む。
頭蓋骨に後光のごとく腕が生えていた。すべて白骨化している。
本体は直径十メートルほどで丸い台座に載っている。指にあたる枝葉部分には広葉樹の葉らしきものが茂っていて、いくぶん樹木らしい。
しかしその色は乳白色だ。
そして、彼女らの頭上がさあっと陰った。
「え?」
マリスが見上げると前後左右から袖をつきつけられた。
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