仲間
「えっ? 帰還命令ですって?」
ドミトリーは耳を疑った。隣国を
しかし城塞都市エスキスに侵入を果たした者は自分ひとり。通信が途絶えた仲間たちはどうなったか安否は依然として知れない。
しゃにむに情報収集を行い万難を排して祖国に生還することが彼に課せられた使命だ。
それを中断しろとはどういうことだろう。しかもガウリールではなくベライゾン王妃じきじきの通達だ。
「隊長はどうなさったのですか? 法令の定めで、彼の頭越しに命令を受けることはできません。ご存知のように偵察部隊は王立軍や王朝から独立した…」
「黙らっしゃい!」
王妃は一括した。そして衝撃の事実を伝えた。
ガウリールが裏切った、と。
「あろうことか技術革新の父ハンニバル委員長を殺害し、あまつさえ古都フォルツを焼き払ったのです」
「そ…そんなの…うそよ…」
ジャトールは女のように涙腺を緩めた。泣くなどザイドリッツの兵士にあるまじき行為である。
「私も彼を信じたいと思います。しかし、現に先帝の故郷は燃え、委員は命を落としました。そこで彼に釈明の場を用意しました」
ベライゾンの署名入り動画が送信されてきた。瞼に声明文を読み上げるギグルの姿がよみがえる。
「明朝、こちらの夕方ですね。それまでに隊長が戻らなければ仲間が?」
「私としても残念なのですが、国民が黙ってはいないでしょう。我が国はバーゼノンを攻め滅ぼさねばなりません」
やり取りを聞いていたフェルミが口を挟んだ。
「ドミトリー。あなた、敵だったの?」
「…えっ? いや、その。何をいまさら」
鳩が豆鉄砲を食ったように少尉は取り乱す。その恰好が付け焼刃の女装だからますますおかしい。
「ガウッ! ガウッツ!!」
盗み聞きしていたワイバーンが思わず腹筋をよじらせた。翼竜は爬虫類の枝葉と誤解されているが、智慧と感情を持つ魔獣である。
そして彼は人語もある程度は解する。特にケルヒャー級は体躯に比例して脳容積も大きい。
野太い声で会話に割り込んだ。「お客さんがた、新婚夫婦だと聞いていたが?」
「あらっ、ちょ、何を言い出すの」
フェルミもケルヒャー級の性能を見くびっていたらしく、驚きを隠せない。
「困りますね。あっしゃあ、新居へ引っ越すと聞いたから、この重たい
彼の苦情によれば目的外の運航は闇営業と見做されるらしく、バーゼノン当局の取り締まりも厳しい。
最悪、デゾブレン翼竜ポータルのお取り潰し処分もあるという。
「あっしゃあ、引き上げさせて戴きやすぜ。人間どものくだらない揉め事なんぞ真っ平ごめんでさあ」
右へ左へ大きく体を振って二人を振り落とそうとする。
この展開はベライゾンも予想外だったようで、臨機応変な対応ができない。
「まって、翼竜さん!」
フェルミは濁流のように暴れる手綱を離すまいと必死だ。そして制服の裾がふうわりと帆をはらむ。
「むわ!」
ドミトリーの視界がスカートで遮られた。見当識を失った彼はバランスを崩し、そのまま落下する。
「お客さん! っつたく、しょうがねえなぁ」
翼をひるがえし、ワイバーンは一気に加速する。
「キャーッ」
フェルミが弾き飛ばされた。
「ジャトール少尉。その娘を何としてでも守るのです。そなた、それでも…」
どこまでも自己中なベライゾン王妃だ。それに対してドミトリーはようやく己に目覚めた。
「守れ、守れとおっしゃる。あなたはそうやって人に防衛することを強要するが、本当に護りたいのはあなた自身ではないのですか」
「何を言い出すのです。私は本分をわきまえています。大切なものは祖国。それはお前も重々承知でしょう?」
「いいえ、やっぱりわかってない。貴方はさっきフェルミを守れと言った。魔女っ娘をなぜ、私が守る義理があるのです?」
そして、彼はワイバーンを踏み台にして、その背を駆け上がった。ホップ、ステップ、尻尾の先を蹴ってジャンプ。
虚空へ躍り出るやいなや、世界が白濁した。大の字のシルエットが閃光を刻む。
黒煙と爆風がもうもうと立ち込め、急速に闇が満ちる。
と、ひときわ大きな雲の塊から黄緑色の光線が生えた。
「みつけたわよ! 敵の主力部隊」
メリッサである。学園特警の斬り込み隊長。その彼女が無数の箒を引き連れて翼竜を包囲する。
ケルヒャー級は見かけによらない。軽い身のこなしでマジックミサイルを回避する。遅れてズタボロのドミトリーが背中に着地した。
フェルミがしつらえた女装は焼け落ち、重甲冑もあちこちがひび割れている。
「あっしに任せてくだせえ!」
翼竜はそういうと、大口をあけた。
「なっ——?!」
メリッサたちは怯む間もなく紅蓮の炎につつまれた。
「……ったく、どえれぇ新婚旅行だ」
ケルヒャー級が青白い吐息を吐いた。学園本校舎の地下深く。いわゆるダンジョンと形容される場所だ。ドミトリーは学園特警の奇襲を全力で迎撃した。
それで、甲冑の武装とエネルギーを使い果たしたらしく、息も絶え絶えだ。翼竜に身を体重をあずけている。
「勘違いするな。僕は君を守るんじゃない。ベライゾン王妃と魔女に毒されたザイドリッツを守るんだ」
へとへとになりながらも、一歩、一歩、石畳を進む。
「そんな身体でどうするの?」
フェルミが心配そうに手をのばすが、彼は押しとどめた。
「下手に触らない方がいい。僕の身体は作りものなんだ。内部には君たちの魔法と相いれないものが詰まってる。危険だ」
「そんな! 首から上は人間じゃない。家で貴方の服をあつらえてるとき、顔は温かかった」
「首だけね。君だって本当は人間”では”ない」
ドミトリーは副脳から授かった内容を語った。ベライゾン王妃が帰還命令に添付した最新情報だ。
「そんな!」
少女はひどく傷ついた様子だ。へなへなと地面に腰を下ろす。
「ちったぁ乙女心とやらを理解しないと、この先、お先真っ暗ですぜダンナ」
翼竜はほとほと呆れた。彼が夫婦に同行している理由はただただ仕事の完遂にある。魔女学校へ行けという注文に応じて二人を届けるだけだ。
「いいんだ。クリストバル。僕は君のとっさのひとことで気づいたんだ。僕にとって一番大事な物は任務だ。だが、僕に命令をくだす祖国が間違っていたら、それでも僕は忠実であるべきだろうか」
ゲフンゲフンと吐息が揺らぐ。それと一行の影法師がシンクロする。
「いいですかい?ダンナ。あっしにも巣があるんでさ。帰ぇって、いの一番に考える事は、嫁が温めている卵と、あっしらの群れの事でさあ」
「ケルヒャー級の巣だって?!」
ドミトリーはガバと身を起こした。
「脅かさなないでくだせぇよ!」
「どうしてそれを先に言わない?!」
少尉は翼竜を強請った。
「あ、あっしらにも平和って概念があるんでさぁ!」
「どういうことなの?」、とフェルミ。
ケルヒャー級の血肉はこの先にある神樹の栄養になるというのだ。しかし成獣を全頭確保して新鮮な身を絞ったところで、まだまだ足りない。
「ケルヒャー級の受精卵だ。きみたちがこの星に堕ちて来た。いや、戦争当時の人々に呼ばれた時、還る方法も用意されていたに違いない。人と龍はすぐには共存できないものな。それで昔の人々は神樹を作った。重力の井戸から逃れるためには犠牲がともなう。君たちは同胞の命と引き換えに昇るんだ」
「勘弁してくだせえ! その
クリストバルが悲鳴をあげた。
その鱗をドミトリーは優しくなでた。
「ベライゾン王妃のたくらみはわかってる。好きなようにさせない。でも、それには協力者が必要だ」
「お安い御用で! と、いいたいところですが、ケルヒャー級は全員、空で戦ってますぜ」
「デゾブレンの在庫はお前たちだけか?」
その時、フェルミが気づいた。
「そうよ! おかあさん、色んなものを通販で買ってた。手のひらサイズのちっちゃな翼竜も出入りしてたわ」
少尉は翼竜にめくばせした。
「注文記録、見れるか? あんた社員なんだろ」
「へぇ。それは朝飯前で」
クリストバルが鞍から水晶球を取り出した。器用にくわえて吐息で照らす。すると、壁に無数の履歴が映し出された。
「おい、百匹二百匹どころじゃねーぞ!」
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