まもるべきもの
偵察情報にいかなるバイアスをかけてはならない。敵地で見聞し、持ち帰ったた情報は
そこに私情や個人的な見解を挟めば真実が歪んでしまう。
斥候兵の鉄則だ。
ガウリールという男は20年間ひと時も忘れた事はなかった。金科玉条を座右銘にしている。
しかし、今日初めて己に課した禁忌を自分自身の手で破る決意をした。
「私はとんでもない過ちを犯していた。国家の目鼻耳になる事で降りかかる火の粉をあらゆる角度から予防できると考えた。外堀を脅かされてから挙兵するより外敵を早期発見する。
そうすれば、無辜の血を流さずに済むと思った。だが、私は本当に護るべきものを見誤っていた」
痛みだ。偵察活動は戦場の痛みを持ちかえらない。ましてや
都に向かって風を切りながら歩幅を広げていく。一つ、また一つ、足を前に出し、踵で大地を蹴る。中天の月は荒廃したシルエットを乳白色の慈悲で照らす。
ススキが生い茂る荒野。臥せっている影は兵員輸送車を量産していた工場だ。魔法の絨毯に制空権を奪われたらひとたまりもないことがわかり、重装歩兵に置き換わった。
このように戦争は見えにくい「痛み」を戦いの歴史に埋没させていく。
使えるかもしれない、とガウリールは確信した。委員会は旧式化したからと言って、そう簡単に生産施設を放棄しない。何より安定安全を信奉する重工業国だ。
ちら、と視界の隅に現在時刻を映してみた。処刑の時間まで余裕はある。寄り道したロスは兵員輸送車で取り戻せる。
偵察隊長は幹線道路のガードレールを乗り越えた。灌木や生い茂る雑草を踏みしだいて、車両工場へ急いだ。
立てつけの悪い引き戸をこじ開け、平屋に踏み込むとすぐそば配電盤があった。ケーブル類は真新しい。どうやら定期メンテナンスされているようだ。
「
ガウリールは小躍りした。工作機械に通電された痕跡があり、いつでも再稼働に着手できるよう何者かが準備している。モスボールとはこのように、壊すには忍びないまたは再建に膨大な手間がかかる施設や装備を害虫による劣化などから防護したうえで状態保存することを言う。
そして、ここにも痛みが刻まれていた。過ぎ去りし時という傷痕が。
「デゾブレン翼竜ポータル?」
フライス盤の裏に送付伝票が張り付けてあった。搬入業者が剥がし忘れた一枚らしい。ジャグニの
坩堝で魔法石を溶かし、鉄を眷属に鍛錬させ、魔法陣を描いては堕天使に伺いを立てていた。そうして魔法は電力に、生贄の血は潤滑油に変わっていった。
やがて、ザイドリッツの男性が首から下の肉を捨てて甲冑を纏う通過儀礼を経て一人前の大人になるようになると、
ここまでは義務教育の範疇だ。だが、目の前の伝票はザイドリッツ史の指導要領に反している。
「建国歴273778.75…?? つい数年前ではないか?!」
納品日を見て用紙の鮮度に気づいた。フォルツ公はジャグニを国外追放し、ハードウェア一辺倒から心技体を鍛える魔導武術へ大きく舵を切った。
それなのにジャグニと癒着している。これはいったい、どういう事だ。組み立てラインの装甲車は結界で
すぐにでも出荷できる状態で保存されている。正しく機動の手順を踏めば(この場合、古式ゆかしい魔導の儀式であるが)今にもエンジンがかかる。
ガウリールは当面の足を確保した。兵員輸送車は部下たちの救出を補助してくれる。
それよりも、もっと重大なアイテムがある。
「これだ!これが痛痒なのだ。バーゼノンに放逐したはずの魔女が領内に出入りしている。これを暴露すればザイドリッツの世論はどうなることやら」
理由や背景はどうでもいい。一般大衆はわかりやすい物語を要求する。
「見つけたぞ! 大衆がもっとも知りたいと思っている真実を!}
ガウリールはフライス盤裏の手紙を引っぺがした。
「そして私が仕えるべき者達は大衆だ。祖国の民だ!」
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