ハンニバルの最期

「貴君もおかしいとは思わなかったかね? 偵察隊長としての意見を聞きたいのだよ」

丸々太った鶏から肉汁が垂れている。機械に身体を置き換えても人間を突き動かすものは精神力だ。食文化はザイドリッツでも大切にされている。経口摂取した食物は体内で完全分解される。

ハンニバルはざっくばらんな野生児で首から下が鋼になっても体を鍛えている。砲身のように太い腕が器用に塩を振る。

「軍歴20年になります。私めを処刑しようと思えば、幾らでも理由をつけられるといっても、それは相当な難工事になりましょう」

ふむふむ、と委員はうなづいた。「それで、重箱の隅をつつき難い指揮官を失脚させる手立てに戦時行方不明者を用意したと?」

「功労者をあだやおろそかに処刑すれば、追及は免れません。しかし、解せませんなあ。ドミトリー・ジャトールは血の気が多いヒヨッコで葬式代を出す方が高くつく人材だ」

わっはっは、とハンニバルは豪笑した。「貴君もなかなか手厳しい」

「それだけ部下を慮っているとご理解の程を」

ガウリールは塗りつぶされた星空を仰いだ。米粒のような正方形が鈍く輝いている。それに背を向けて例の部品を端子に挿した。

”ベライゾン妃に聞こえるように申し上げましたが、ここからは貴殿との直接対話です。ずばり単刀直入に申し上げたい。なぜこんな茶番をお膳立てするのです? そもそもあなたは何故ここにいらっしゃるのです?”

すると、ハンニバルは片膝を立てて、右手で地面をまさぐった。太い鉄パイプのような物が埋まっている。それをやおらつかむと、砂がなだれ落ちた。

ロングレンジライフルだ。同時にガウリールを突き飛ばす。


「命を狙われておるからだッ!」


焚火が爆散した。鶏肉がぱあっと燃え上がり。飯盒がもんどりうつ。ドカンと地響きがして、キャンプファイヤーの跡が窪地になった。

隙を見てガウリールはクレーンの陰に逃れたが、ハンニバルは孤軍奮闘している。ドカッ、ドカッと暗闇に閃光と砂嵐が巻き起こる。

爆風の合間を縫うように走りながら、立ち止ってはロングレンジライフルを撃つ。見えない敵に応戦するリスクは高い。ガウリールは平文通信でハンニバルに呼びかけた。

彼に貰った秘話装置は至近距離しか届かない。


”私に構うな。貴君はフォルツ都からのがれよ”

”しかし、ハンニバル殿”

”貴君は試されているのだ。しかし選択は任されている”

”どういうことですか? あなたは直属の上司でしょう”

”短い時間で他人の人生を決断する。それが偵察隊長の近侍ではないのかね”

”それはそうですが…危ないっ”


ハンニバルの足元に閃光が走った。超低空ドローンだ。航空戦力をあえて持たない(空飛ぶ絨毯に航空重甲冑の敏捷性はかなわない)ザイドリッツが魔女の足並みを崩すたえに開発している。


ガウリールは自慢の審美眼でその戦力を即座に査定した。そして、袖口にカートリッジを込めると一発で仕留めた。

カラン、カラン、空薬莢が造船所のコンクリート床に撥ねる。

”馬鹿者めっ!俺に構うなと言っただろう”

造船所の柱からハンニバルまで20歩ほどの距離だ。屋内に逃げ込めば、粒子砲の直撃は免れる。建物の耐性は心もとないが時間稼ぎにはなる。


”毒を食らわば皿までです”

ガウリールは大きく手をさしのべた。もう少しだ。


”すまんっ! 恩に着る”

ハンニバルが胸に飛び込んできた瞬間。

腹部に強烈な衝撃を感じた。ガウリールの視界には遠ざかっていくガントリークレーンが見える。そして、ゆっくり旋回する世界を紫色のビームが照らした。


「もらった!」

ハンニバルは蹴り上げた足を大地に戻し、安定した角度でロングレンジライフルを放った。


宙に舞うガウリールと、彼を掠めるように流れる殺人光線。その位置関係と距離から頭上の脅威を特定したのだ。


ぱあっと虚空に鮮やかな花が咲く。

”ガウリール、これは君への餞別だ。そして、ありがとう”

「ありがとう…って?!」

砂に頭を突っ込んだまま、彼は最期の言葉を聞いた。


遺棄されたガントリークレーンのあちこちから火の手があがる。やがて、それは駿馬が力尽きるようにゆっくりと姿勢を崩し、粉みじんに砕けていった。



”査定爆弾か…はっは…やりおった…とうとうやりおった…そういう国なのだよ”




無人の塩湖をひた走るガウリール。激しく腕を交互に振る。ハンニバルの哄笑はいつまでも耳にこびりついていた。

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