選帝侯ギグル
「大山鳴動して成果なしとは何事かっ!」
ザイドリッツ重工業主義選帝侯国の軍都ギグル。溶鉱炉と作業機械と鉄材のジャングルにケーブルの蔦が這いまわる。空気は錆びと重油で淀み、鋼の巨人が闊歩するような地響きが絶えない。
旋盤フライスが金切り声を合唱する工廠の向こうに選帝侯宮殿がどっしりと構えていた。
「ええい!何はなくとも無事に帰還せりすればこそ、それも情報であると納得もできようっ!」
家臣が頭を下げれば下げるほど、君主の血圧は上がっていく。
かしずく男の頬はやつれ、顔は土気色で、目は死んでいる。そして下顎骨がギリギリと軋んでいる。
「申すことはなかろう!ああ、なかろうとも!!」
一方的にまくしたてる彼は聖剣を振り回し、腹いせに石畳の境界をキンキンと突いて回る。
「」
拝謁する男は押し黙ったままだ。
「ガウリールの処遇はいかがなさいますか?」
玉座の隣で妃が口を開いた。
「首を撥ねて晒すのは簡単だ。それで納得するほど愚かな民ではあるまい」
王は振り返って一蹴した。
「袖砲の斉射でバーゼノンの魔女列を一掃した。外壁を突破しエスキス内部へ侵入した直後、背後から同じ規模の奇襲攻撃を受けた。王立アカデミーが検証した所、ザイドリッツ製の粒子砲特有の弾痕を認めた…ここまでは壁新聞が報じる通りです。人民が知りたいのは…」
「ええい!わかっておるわ!!」
妻の反駁を一喝で封じた。この男、見かけ倒しの小心者である。確かに王の象徴たる重機動甲冑を纏っているが、権威をかさに着ているに過ぎない。先代のフォルツ公が急病に斃れ、決定打に欠ける後継者から才覚より派閥力学の均衡を優先して推挙された。彼以外の候補者はどれも団栗の背比べで、結局のところババ抜きをさせられたのだ。だから、本人はあやふやで迷いも多い。
「ギグル様」
家臣団から鋭い目つきの瘦せ男が歩み出た。選帝侯に直接意見する無礼が許されている”委員会”のメンバーだ。もっとも彼らが本来の主権者であるが、学者肌ゆえに歴代選帝侯の独断専行を許している。
「おう!学者先生がた、何か妙案でも?」
ギグルの表情がぱあっと明るくなる。渡りに船とばかり、彼は不安を饒舌で隠し始めた。
「袖砲の開発秘録が漏れたのではないかと、拙も勘ぐっておったところであります。どうですかな?ギャモン先生」
名指しされた痩せ男はギロリと眼光を輝かせた。
「それを認めるとギグル様の御名が傷つきます。漏洩も何も魔女を招致したのは貴方様でありませんか」
クッ、と選帝侯は怯み、少し間をおいて続けた。
「我が民の為だ。彼奴等は代々王家に仕えていた忠実なる僕。それをフォルツ殿が廃した。まったく何を考えておられるのだよ、あの方は」
「ギャモン、私を疑っているのですか?」
今度は妻が声を荒げた。
「め、滅相もない。魔女を復職させたギグル様の慧眼には脱帽いたします。それが証拠に袖砲をはじめとする王立軍甲冑の火力が飛躍的に向上しました。フォルツ公の肉弾戦略は間違っておったと認めざるを得ません」
「では、魔女が裏切った…と?」
王妃が詰問した。
すると、ギャモンは振り返った。「そこの偵察隊長殿が詳しいのでは?」
指名されたガウリールは動揺した。「い、いいえ、そのような事は」
「MIA(作戦行動中失踪者)が一名…」、とだけギャモンは告げた。
「ジャドール少尉はそのような卑怯者ではありません!」
「ジャドール…しかと覚えた。その者をひっとらえい!ガウリール、でかした。今回は免じる」
選帝侯一行は慌ただしく退出した。
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