潜入前夜
ジャララバード・チャンドラ・ラマン。それが歌姫の本名だ。
沈静局を雲の下に見る祇音統治機構から独立した監査組織。<正弦>の要員だ。
<君を試すつもりは毛頭ないが…>
第三戦闘飛行音楽隊の楽長は奏に断ったうえで、騒嵐の夜から今までの経緯を話した。
あの日の晩、夜の静寂を超えて奇棲から一本の緊急連絡が入った。潜入工作員ラマンが重大な重大な兆候をつかんだ。
近く、祇音に対する大攻勢が行われる。その前哨戦として数個部隊による威力偵察を兼ねた奇襲が企図されている。
第一報を受け取った時、正弦は陽動作戦を疑った。当然のことだ。しかし、保険として複数の情報網を敵方に構築してあり、それらを参照、精査したうえでラマンの報告が真実であると確証を得た。
問題は彼女の挙動だ。通常ならば機密をえるために長年にわたり敵国に人生を捧げ、要職に上り詰めなければならない。
時には伴侶や子孫をもうけ、安定した生活基盤を築く必要がある。
そこまでして偽りの忠誠心を純朴な祖国愛に昇華した時、果たして使命感が揺らぎはしないかという疑問は誰もが持つ。
正弦は甚だ非常識で意表を突く策略を取った。二重三重の裏切りを承知のうえで防諜にコストを費やすなら最初から離反を想定した人選をすればよいのだ。
ジャララバード・チャンドラ・ラマンは奇棲の下層民ではなく、裕福な家庭に生まれ育った。高等教育を受け知識も素養もある。
しかし、エリートにありがちな好奇心の不完全燃焼が平凡を嫌う性格を惹起した。
そして冒険心が周囲に対する八つ当たりとなって次第に居場所を過激思想に求め始めた。
正弦はこのような不穏分子に唾を付けており、援助者を装った工作員が立身出世をお膳立てし、将来の造反を誘導する。
ラマンはこうやって忠実の仮面をかぶったまま政府の中枢に入り込んだ。
<じゃあ、予定調和だったんですね>
奏は歌姫を拾った夜の出来事が脚本ありきであった事実に戸惑いと失望をおぼえた。
楽長は続けた。
そういう事だ。
威力偵察部隊はクオリア88の返り討ちに遭い、大敗北を喫したが同時に貴重な戦力データを持ち帰った。
ラマンは生還を願わぬ斥候兵として敵陣深く潜入し、追加情報を送信する。
そう見せかけて沈静局の宿舎に接近したのだ。
<君が彼女をどう扱うか注意深く観察させてもらった>
楽長は実験動物に告げるかのように軽々しく言う。
奏はラマンの諫言に乗り、出生の秘密を知ろうと本人を隠匿した。
楽長は隣人を経過観察がてらに差し向けたが、それでもなお、規律に反して歌姫を守り通そうとしたため、奏を陰謀工作の適任者だと評価したのだ。
<君の意志は鉄板だ。だから、今回の任務が相応しいと判断した>
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