いつわりのビート

<ちょっと、さっきから変な音がするんだけど?>


隣室の女がドアを激しく打ち鳴らした。慌てて奏が応対するとバチで排水管を小刻みに叩いている。

よほど腹に据えかねたのだろう。変則的なビートが彼女の苛立を如実に表現している。

<ごめんなさい。つい、弦楽器の練習に熱が入っちゃって>

奏はヴィオラを取り出した。かなりくたびれていて埃をかぶっている。

<あんた、こっちの部屋まで聞こえるって事はよっぽど好きな人が出来たんだねぇ?>

ふくよかな女が厭味ったらしく弦をツンと弾いた。絡まっていた綿埃が舞う。それは淀んだ空気に乗って二人の間をしばし漂っていた。疑念に満ちた視線が繊維から奏に遷移した。

<好きって程でもないですけど…気になる人が出来ました>

しどろもどろになりながらも、奏はその場を取り繕うう。たしかにヴィオラは響の贈り物だ。それも昔の話。返事は何年も保留したままだ。

<それで恋の調べを贈ろうってのかい。それにしちゃ、ずいぶんと複雑なメロディーだったねぇ>

ドラム女は奏のアドリブを疑い始めた。タッタカ、タッタカとテンポがあがる。奏の動悸もシンクロする。

<あ、でも、あの、なかなかうまく曲が心情にはまらなくて>

演奏が乱れ始めた。音程もいくつか外している。

<おや、それはそれは御熱心なことで>

女はおおげさにうなづいた。そして綿埃を箸のようにつまんだ。

<ありがとうござい…>

奏の眼前にニュっとつきつけられる。

<埃が降り積もるほど古いつきあいなのかい?>

<えっ?>


静まり返った玄関がガシャンと閉じられた。

状況は閉塞しつつある。


やっぱり、歌姫なんか拾うんじゃなかった。

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