A15R15:過去を呼び戻してはいけません

 前線組は山を降りて一番堂に戻った。登山家の間では登りは体力・降りは技術と言われるが、今回の降りは早かった。把握している道が増えた分だけ消耗が和らぎ、念のための休息がなくなった。荷物が減ったり、低身長のヨルメが抜けた影響も重なっている。出発は朝で、到着は正午すぎだった。


 五人で出発して、三人で戻る。計画外はいい方に転んだ。ヨルメとエンが手を振りながら、すでに浴場が整っていると知らせてくれた。待ち時間なく、揃って入れる。


 一番堂の浴場は三人ではやや狭い。サグナとイナメが体を洗う間に、隣では二人分の服をキメラが洗っておく。万全にではなく、大きな汚れを先に。二人が湯船へ向かった後で、ようやくキメラが体を洗う番がくる。


 床に土色の液体を広げる様子を見せて、功労者でも後回しが正解だと教える。もし隣にいたら、洗ったそばから新しい汚れが飛んでくるし、順番待ちをしたら長すぎる。キメラが全身の汚れを落とす頃には、すでに二人は服を身につけていた。


「待てサグナ、皆が戻ったら呼びにきてくれよ。すぐ出る」

「わかりました。ごゆっくり」


 わかってないかもな。キメラはどことなく、気を利かせそうな気がしている。かといってイナメに頼めば料理の邪魔になる。諦めて甘えるしかない。


 予想通り、サグナは気を利かせた。キメラを呼びに来る頃にはすでに秘密の会議室に全員が集合していた。ここまでの動向を共有する会合だ。机を八角形に並べて、ひとつだけ空いた席へ向かう。


 アナグマの七人が雑談に花を咲かせて、片手間にノモズが茶菓子のおかわりを配っている。キメラの前にも置いたら、ノモズから議長としての挨拶をして、最初の話を始めた。


「皆様、今回は珍しい顔触れゆえ、まずは簡潔な自己紹介から。私はノモズ、僭越ながらここ一番堂の長を務めています。次はキノコさんから、順にお願いしますよ」


 ノモズは隣へ顔を向けた。その通りの順番で名乗っていく。


「きのだよ。機械や設備の話なら任せて」机の下で足をばたつかせながら話す。


「僕はガガ、共和国近辺からの連絡役です」この場では唯一の男性ゆえ肩身を狭そうにしている。


「私はユノア、担当は情報収集」短く端的に伝える。


「キメラだ。私とこっちの三人はシュカラ山で斥候を叩く班だった。あとは私だけ、この場の全員と面識がある」ノモズが自分もだと指摘し、キメラはそうだったと返す。


「サグナと申します。主な役目はノモズの補佐ですね」丁寧な物腰だがノモズだけは呼び捨てにする。


「イナメだ。調理や資材管理を一員として担っている」腕を組んで短く話す。


「ヨルメです。私はここのお手伝い担当です」足が届かなくても大人しくしている。


 一周は早い。最後の一人に注目が集まった。情勢の都合で馴染む間もなくプレッシャーに曝したが、何事もない顔で立ち上がって話し始めた。初日から肝が据わった人材はアナグマでも珍しい。


 長い赤髪で右目を隠し、パンツスタイルで長身と引き締まった体型を引き立てる。ユノアは彼女を気にしていた。ここまで雑談に加わらなかったあの人物に見覚えがあり、声と話を始めたら確信はすぐだった。


「初めまして。私はエン・ブレイド。知られた名前と肩書きは、ガンコーシュ帝国六代目皇帝エン・B・ガンコーシュ。この度は縁ありアナグマに身を置かせてもらえる運びになりました。先輩方、どうぞよろしくお願いします」


 動揺が走った。アナグマに加わる前の経歴がいかに多様でも、それなり以上の地位から入った例は誰も聞いたことがない。ましてや元皇帝など。


 最初にキノコが疑問を発し、ノモズが議長として短く概要を答える。


「王さま?」

「地位は同等ですが、王国とは継承の方法が違います。そうですね?」

「その通り。エイノマ王国は血統を重んじるが、ガンコーシュ帝国は伝統ある杯を掲げて宣誓する儀式により新たな皇帝とする。詳しい要項は省くが、ああ失礼、省きますが、ひとまず出自では左右されません」


 エンの説明に、キノコ以外の多くも初耳だった様子で頷いている。ノモズも詳細までは知らなかった。これからは必要なときに訊ける。手札が増えるのはいいことだ。


 ユノアが立ち上がった。エンへ向き直り、頭を深く下げる。何事かと注目が集まる。ユノアはそのままの姿勢で声を絞り出した。


「エン様。お慕いしておりました」

「顔を上げてください。失礼ながら、何者でしたか」

「民だった一人です。エン様からの代替わり以来、帝国の住み心地は悪化の一途でした。私にとっても、周囲にいた皆も」

「すぐに顔を上げて。あなたが知る皇帝はもういません。ここにいるのは保身のために姿を晦ませた軟弱者にして、ユノアさんの後輩です」


 どう言葉を並べてもユノアは頭を下げたままでいる。二人だけでは埒が明かない。目配せの末にノモズが割り込んだ。手を叩く音で思考を切り替えさせて、手振りで座るよう促す。エンだけが着席した。


「過去を呼び戻してはいけません。アナグマの数少ない掟ですよ。エンさんが名を改めない方でも、これは同じです。いいですね」


 ユノアは過去の憧憬を飲み込み、やや時間をかけて、顔を上げる頃には元通りの顔に戻した。すぐ隣で見ていたキメラだけはまつ毛の変化に気づく。


 まだ落ち着くには遠いようなので、キメラから話題を出して意識の矛先を変えた。


「私からもひとついいか? あんたが六代目ってのは、帝国の規模に対して歴史が短すぎる。現に合衆国は暦が一五〇〇を超えてるし、共和国にある年代物の品だったらもっとだ」


 ユノアも把握してない様子で、少しだけ気分が戻ったように見える。一方で今度はエンの顔色が翳った。


「私の調査では、記録すべてを抹消する出来事があった。気去来ききょらいと呼ばれていて、もうすぐ百年になる」

「調査って、どこを叩いて出た情報だよ?」

「妖姫派だ。これ以上を調べた者は消されてきた。きっと重要なんだろう」


 断片的な話だが、不気味さだけはわかる。キメラは考える素振りをしながら横目で様子を見て、ユノアがもう大丈夫そうと見たら話を振った。


「ごめん、みんな」

「咎めやしませんよ。さて、本題に移りましょうか」


 ノモズは茶菓子を流し込んだ。状況は手遅れだが、同時に緩慢だ。この場で時間をかけても大局には関わらない。


 まずは前線組が知らない、各地の現状を提示する。

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