A11R11:エン・ブレイド

 キャンプに迫る音を見つけたのは幸いだった。敵は推定一人だけで、他の動きはない。風が草木を鳴らすたびに、一歩か二歩の緩慢さで、ゆっくりと進む。教科書通りの動きに対し、キメラも同じ動きで対応する。月はまだ低い。この位置と距離なら、キャンプに着くころに頂点に達する。


 虫が鳴き続けている。警戒を解くまで馴染ませていながら音と匂いが残る。きっと腕の悪さではない。長期間に渡る補給なしでの活動。仮説としては突飛でも、否定しきれないのはこれだけだ。消臭能力の減衰と嗅覚疲労が合わさり、誰の指摘も受けられなかった。何者だ? 今回の作戦に携わる部隊がそんなへまはしない。几帳面なガンコーシュ帝国なら、なおさら。


 月光が木々に遮られ、足跡探しは難しい。しかし草が折れた匂いなら。風はキャンプ側からキメラのほうへ流れている。匂いを一方的に察知できる、襲撃向きの日だ。同時に、背後からの接近を見つける材料が減るので、キメラがこうして追っていける。


 近づいたら新たな情報が聞こえた。呼吸らしき音。気道のどこかが腫れたような、不調を示す音。こんな状態でこの場にいるなら、敵対の意思も怪しいところだ。味方に引き入れられるか、交渉の余地があるかもしれない。徐々に距離を詰めながら、そんな考えをしていた。


 キメラの間合いに入った。音を立てても反応の前に捕らえられる。飛びかかると同時に、虫たちの鳴き声が止まり、鳥たちがどこかへ飛び去る。異常を知らせる音により、異常の源が隠される。


 キメラは四肢を絡ませて叩き伏せた。本来ならさっさと首を折る所だが、呼吸器を腫らしてまで現れた奴だ。理由を聞いた後でも遅くない。


「そこまでだ。残念だったな」


 キメラは耳元で囁いた。手を開いた甲を地面につけ、落ち着き払った言葉を返す。


「敵対の意思はない。私に味方はいない。話をさせてほしい」


 声帯が弱った音で期間がわかる。十日やそこらより、もっとずっと長い。キメラは押さえつけたままで話をした。体をぴたりと重ねて絡ませ、一人分のシルエットが横たわっている。


「何者だ、あんたは」

「私は、エン・ブレイド。知られた名は、ガンコーシュ帝国、六代目皇帝、エン・B・ガンコーシュ」


 キメラは警戒を強めた。現皇帝は八代目のコートムで、エンは彼の先先代にあたる。それでも変わらずビッグネームだ。キメラが泥に塗れるのとはわけが違う。自身と同等に泥にまみれた元皇帝など信じがたい。そもそもが、生きている自体が怪しいものだ。


「本気で言ってるのか。そんな大物がなぜこんな所にいる」


 エンが少しの発話ですでに疲労困憊の様子を見せるので、キメラは仕方なしに「飲みな」と囁き手元の水を口周りに流した。エンは貪るように飲む。続く言葉は礼より先に、伝えるべき情報だった。


「簒奪者がいる。素性は不明、我々は妖姫と呼んでいる。今の帝国は分裂状態にある。私は早々に表舞台を去り、七代目に押し付けた。その後は、片付けられたか、妖姫側についたか」


 エンはまだ呼吸器からの音が目立っている。作り話にしては荒唐無稽で、裏を取れるような話でもない。騙すならもっとマシな話をする。加えてキメラの手持ち情報の、アナグマの姫の噂と合わせても気にかかった。


 これ以上はキャンプに戻ってからだ。荷物をまとめた洞穴の奥で、誰かを交えた三人で。普段より少しの音を増やして進んだ。手前で月光が顔を照らす。もうしばらく進めば誰かが気づく。


「その顔、アナグマか。ひとつ依頼をさせてほしい」


 キメラの顔が割れていると言外に伝えてくる。これだから、ものを言わない奴は厄介だ。

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