A10R10:キメラなんて奴は誰も知らない

 設営が済んだので、情報の探し方も共有する。天然の物見櫓として使える地点は、山の反対側へ回り込んだ先にある。道は短いが、やや険しい。すれ違うには幅が足りないので、運用は時間になったら一人の交代要員を送り、入れ替わりにキャンプに戻る。遅れたならキャンプでトラブルがあったと伝わる。おそらくは敵襲による。その場合の逃げ道も共有した。


 そんな道を越える価値はある。頂上ではなくともここから、ジャダリジモーレ大陸の中央北平原を一望できる。ただし、今回の主戦場は遥か遠くにあり、双眼鏡の先で動く豆粒が戦車だ。


 ミカの露骨にがっかりした様子に対し、キメラから説明をしていく。同じ内容をあと三回もやる。一度にやれれば早いが、野営地を無人にするリスクは高い。


「で、なぜこれでいいの?」

「あんな本隊にちょっかいをかけて、勝てる見込みなんてないからな。あっちはおおよその戦局を見るだけで、あの側面を取るための別働隊が狙い目だ」

「そいつらの通り道が見える、と。きっとあの辺よね。いつごろ?」

「三十日。この場で生き続けてれば、そのぐらいで通る」


 待つには忍耐力が必要になる。いつ来るかもわからない敵のために、常に準備を備えておく。先が見えず、自分たちの行いに意味があるかどうかを自分で決めなければならない。


「後悔したか?」

「まさか。知っておくのは大事だからね」

「そりゃあよかった。よかった繋がりで、何を探すといいかも覚えといてくれ」


 キメラは手元で日陰を作り、双眼鏡を動かして見せた。日光の反射は角度によって変わる。反射光は遠くまで届く。戦場にいる連中も同じだ。自分の反射光を隠しつつ、どこかに見える反射光を探す。


 スットン共和国の軍勢に対し、ガンコーシュ帝国側は森林部と山岳地帯の傾斜を使って迎撃態勢を整えている。接近を視認するために双眼鏡を動かす。ちょうど今、動いた。風で木が揺れるのとは違う、不自然な光だ。同様に西向きの山道からも不自然な反射光を探す。


「気が遠くなるわね」

「そうだな。まあ、そのうち見つかるさ。気楽にいくぞ」

「誰より気楽じゃない格好で言われるの、気持ち悪いわね」


 キメラが泥の迷彩服とフェイスペイントを纏ってから、ミカは喋るときでも露骨に距離を離している。汚れを避けたがるのは何ら珍しくはないが、囮になるほうがマシとまで言い切るのはミカだけだった。


 次の交代まではミカに任せて、キメラはキャンプに戻る。用意するものはまだまだたくさんある。たとえば、迷彩服の性能を味方にも見せつけておく。来るとき以上の時間をかけて、風の音と同時に動き、気配なく近寄る。虫が這うよりも遅いが、見つかって台無しになるよりはずっといい。


 キャンプに戻ってもその場にいるキメラには誰も気づかず、荷物の確認と武器の点検をしている。言いつけた通り、かまどの煙突部分の水を補充しているし、すぐ動ける体制になっている。その中の一人、サグナがキメラの近くに来た。すぐ横を通り過ぎて排泄に便利と教えた場所へ向かう。岩場の窪みが日光で熱され、小水が蒸発するまで早い。すっきりして戻るところに、キメラが背後から絡みついた。口を押さえて、耳元で囁く。


「味方だ。キメラだ。気づかなかったな。もし敵なら死んでたぞ」


 顔も見せて、落ち着くまで待ち、キメラは腕を離した。まずは驚かせたと謝り、敵が来たならこうなると伝える。サグナは身をもって学んだ。伝達係を担う機会が多く、他のどのメンバーともそこそこ以上に話が通る。長期的に情報が広がる期待がある。


 キャンプに合流し、すべてよくできていると伝えた。煮沸した水を飲み、少しの食料を腹に入れる。このまま休むと思われている様子だが、キメラはまだまだ動く。


 逆側の森林へ向かう。様子を窺いながらゆっくり進むので、後ろをヨルメがついてきた。勉強熱心な奴だ。キメラは今後を楽しみにして、質問に答えてやる。


「どこへ?」

「私の寝床を作る。じつは私だけ、マットも寝袋も持ってきてないんだ」


 キメラはちょうどいい場所に体が入る大穴を掘り、蓋として枝を肋骨型に組んだ。隙間を泥と落ち葉で埋めたら、横から見れば少し膨らんだ程度の寝袋になる。周囲と同じ色なので決して目立たず、風を防ぐ以外にも役目がある。寝心地の確認を兼ねて中へ入り、耳を土に当てながら話した。


「覚えておけよ。地面は音をよく伝える。空気中なら届かないような距離でも、穴に耳を入れたら話が変わる。今は向こうから、この間隔はイナメだな。こっちに向かってる」


 キメラが指す方向から本当にイナメが来た。音なく歩いたつもりでも気づかれた事実から、隠れるにはまだ未熟と知る。


「覚えておくのはこれが最後だ。私はもういない。キメラなんて奴は誰も知らない。キャンプには六人分の荷物がある。だが、キャンプにいるのは同時に三人だけだ。たまに動物がつまみ食いに来る程度に思ってくれ。一切頼るな。そのかわり、そっちの気配は少しぐらい漏れてもいい」

「私たちは囮だから?」

「そういうことだ。誰も死なさないつもりだから安心しな」


 長かった説明も終わり、ようやく代わり映えのない日々を始められる。主戦場を眺める役、キャンプで水と食糧を用意する役、キャンプへ近づく者を見つけ出す役。たまに食べ物が減った様子だけがキメラの生存を伝えて、キャンプは最初から四人だけで来たも同然に振る舞う。


 食料は豆が多い。キメラは普段から肉を控えているが、他の面々は違う。どこか物足りなさそうでも、栄養と味は整っているので大きな不満は出ていない。


 しばらく日を進めた夜。


 戦場側の見張りをミカが担い、キャンプでは残り三人が武器の手入れをしている、束の間の団欒を、キメラは寝床まで届く音と匂いで楽しんでいる。今日の風向きでは一方的に匂いが届く。


 その間に別の匂いが割り込んだ。草が折れた薫り。何者かがキャンプに近づいている。

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