3/4 前線の野営地

A09R09:前線だからな

 ちょうどいい山。南側は木々の合間からカラスノ合衆国の都市部を一望できて、北側に回り込めば戦場となりうる平原まで視界が通る。アナグマはこの場所に目をつけて以来、定期的なマーキングを行っていた。登山ブームが起こった頃には肝を冷やしたが、ミーハーな者をもっと難度が低い場に誘導し続け、この場所にはよほどの物好きしか訪れない。元より見所にも達成感にも乏しい地なので、せいぜいが全制覇の過程に限られ、その場合も別のルートがメジャーになる。この場に踏み込むのは、アナグマか、同じ目的の誰かだ。


 ここまでの道程で五人の役目はおおよそ決まっていた。指揮するのがキメラ、二番手候補がミカとサグナ、荷物持ちがイナメ、そして周囲の警戒がヨルメ。普段の後ろ三人はノモズの補佐を担っている。野外での活動には期待していなかったが、それでもアナグマだ。到着が遅れ夕方になるだけで済ませる程度の体力はある。


「今は寝袋だけ出せ。そっちの洞穴なら風もなんとかなる。あれこれは夜明けからだ」


 四人は頷き、自分用の背嚢から寝袋を取り出していく。イナメに任せた大荷物は明日にして、今夜はすぐに眠る。暗闇では何の作業もできないし、ここで明かりを使えば居所が割れる。寝付くまでにキメラは、明日以降の作業を割り振る評価を改めた。


 まずミカは、今回も涼しい顔で登ってきた。ここまでの山道は険しいとは言い難いが、楽とも言えない勾配だった。汗ひとつ見せない。よほどの体力と見て、主に働かせる。


 次にサグナは、体力こそ十分でも、山での歩きかたが覚束なかった。改善が早かったので好奇心と観察は十分、あとは経験だけだ。積極的に重用してやる。


 残るイナメとヨルメに足場を固めてもらう。前衛をサグナに任せられるようになれば、キメラ自身が後衛に加わる日も来る。戦場には安心と安全がない。平時と比べてひどすぎる環境とはいえ、敵も同じ状況にある。ならば腕の見せ所は、どれだけ平時に近い環境を得られるか。地味な部分がそのまま強さになる。戦いは一日や二日では終わらない。


 三〇日。とりあえずの見積もりがこれだ。一番堂の人員を使った都合で、五人全員が女性になった。確実に月経が問題になる。キメラは影響が小さいが、他の四人を把握していない。後で聞いておこう。


 今は眠る。キメラは土を整えて、背骨の形をそのまま受け止める凹みを作った。全員分の、それぞれ違う曲線に合わせて用意していく。立ち姿勢と同じ形で横になり、腰の下の隙間を無くす。寝返りに対応できない点だけ目を瞑れば、優れたベッドの条件を満たしている。


 時は流れて朝。


 キメラは土に線を引いていく。所々に木の枝を立てて、深さの目安とする。線は長く長く続く。一周して元の場所に戻ってから、作業の正体を伝えた。


「ここを掘るぞ。かまどを作る」


 指し示した線に対し、ミカが代表して疑問を投げかけた。


「この大きさと形に理由は?」

「煙を隠すためだ。居所が割れたらやってられないからな。こっちの長い部分は、掘ったら枝や葉っぱで蓋をする。横向きの煙突だな。それ以降は、仕上がったら見せるさ」

「ふうん。前線の知恵ね」


 情報は掘った後で着いてくる。線の通りに、枝を立てた深さまで。ヨルメはこの中では気が弱いので、キメラの近くで教わりながら掘っている。本当にこれだけでいいのかと訊ねると、本当に四角形でいいと返す。


 形が見えてきたので、キメラは残りを任せて、すぐ隣で別の作業に移った。掘った土を手元の器に入れて、油と合わせて捏ねていく。


「そっちもかまどの材料ですか?」

「いや、こっちはカモフラージュ用だ。この辺の土や草の色と匂いをしたインクを作って、顔と服に塗る」

「うぇぇ、ばっちそう。いつもこんなのを?」

「死ぬよりはマシだよ。前線だからな。後悔したか?」


 ヨルメは首を振り、必要ならやると決意を見せる。外見は可愛らしいが、彼女もやはりアナグマだ。とはいえ今回は自分用しか作らない。残り四人をキャンプで目立たせて囮にし、キメラと合わせて挟み撃ちにする。一応、スペアが必要な場合に備えて作業の様子は見せておく。適任はヨルメかもしれない。


 こねていたら油の匂いはすっかり抜けてきた。使い捨てる服に草と土の匂いの泥をつけていく古着のポケットやタグを切り落とし、あちこちを石で擦って毛羽立たせたものだ。人間の目は優秀で、明確な境目を見つけると姿が見えてくる。なのでこうして、ぼろ布同然の不規則な輪郭が周囲に溶け込む助けになる。


 土色に染まった服に着替えたら、髪を帽子に仕舞い込み、首から上も同様に土色に染めていった。耳の中まで周囲と同じ色になり、もうどこにでも隠れられる。


 キメラのカモフラージュと同時に、かまども仕上がっていた。先に言った通り、仕上げとして長い窪みに木葉と土で蓋を作り、沢の水で濡らした。あとは動かすだけだ。鍋をはめ込んで煙の逃げ道を煙突側だけにして、持ち込んだ着火材セットで点火した。


 手前側から空気が入り、煙突側へ抜けていく。空気がよく流れてよく燃える。白煙は煙突部分の水で冷やされ、地を這うように流れていく。煙で位置が割れる事態はこうして防ぐ。


 沢の水は使い道がふたつあるので、頻繁に汲みに行くよう指示した。ひとつは煮沸し飲むため。もうひとつは煙突部分に注ぎ足すため。煙をここで冷やす都合から、途切れたら役目を果たせなくなる。この場所は沢が近い面でも都合がいい。


「さっそく使うぞ。食事だ」


 大自然に囲まれ、ひと仕事を終えた直後の料理だ。誰もが想像を共有する。絶対においしい。長丁場を戦う上で、士気は何よりも重要になる。心が砕けた兵士はどんな武器も扱えない。


 キメラの口出しは量のみにして、残りはイナメに任せた。普段から調理を担っていて、細かな差異にも気づく期待がある。結果は想像以上の大成功で、誰もが静かに喜んでいる。体力を使った後で、体が栄養を欲している時期でもある。美味しいことはいいことだ。戦場では特に。


 長居の準備は整った。ここからは気の長い話になる。いつ来るかもわからない敵を待ち続けて、いざ来たときに動ける状態を維持しておく。

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