A02R02:おおよそ六ヶ月以内

 大聖堂の近辺は、地上のすべてをそのまま地下にも持ち込んだように巨大な空間がある。地上の雑踏は隠れ蓑となる宗教団体エルモの人員か、アナグマが溶け込まずに本来の顔でいられるのが地下の宿舎だ。地上では商人が牛車や馬車を歩かせるのと同様に、地下ではアナグマのトロッコが走る。資材、人員、情報など、あらゆるものがトロッコで運ばれてくる。


 明かりは弱々しく、オイルや古い木の臭いが鼻につく。一緒に乗ってきた北側の寒冷地の名産らしい食糧のせいでさらに臭い。たったの一晩できっと、昼夜の感覚がなくなる。牢獄のような空間。それでもここはアナグマの憩いの場だ。敵がいないと明らかな空間はいつになっても有難い。出迎えてくれる誰かもだ。


「おかえりなさい。ん、あれ、そちらはキノ先生!? なぜこんな所に?」

「いやあ、ちっとひどい目に遭ってね。報告に戻ってきたんさ」

「お怪我は、歩ける程度でしょうか」

「もちろん。きのは歩くよ。こっちのキメラおねえちゃんも」


 重要拠点の例に漏れず、安全のためにいくらか不便にしている。このルートから侵入されたら準備できず全滅、などを防ぐため、地平線までと同等の距離を歩く。地上の都市でもそのぐらい歩くが、ここなら床は平らで脇道もない。歩きやすさの分だけ近く感じる。途中にバラバラに置かれた居住区では、アナグマの住民とすれ違うたびにキノコだけが挨拶を交わしている。


「キノって他所でも慕われてるんだな」

「もっちろん! 特にこの近くは、きのが直々に掘ったからね」

「すげえや、キノは」

「えっへん。で、急に悩み事でも?」


 キメラの言葉にいつもの覇気がない気がして、しばらく居住区がないこの場で話題にした。手を繋いで次の言葉を待つ。今日はキメラの右手を掴んでいる。


「私さ、逃げてばっかりなんだよな。最初から今日までずっと」


 喋る内容を決めるため、無意識のうちに脳が情報を取り出していき。キメラ自身も気づかないうちに胸中には答えが出る。似た出来事はキノコにもあった。今回はキノコが、最後に背中を押す一言を送る番だ。


「生きるため。だよね、全部」


 キメラは受け取った言葉をゆっくり飲み込む。明らかに大違いではなく、考えれば中違いでもなく、きっと小違いでもない。深く頷き、肯定した。今の心境を喩えるならば、山を降りる予定日の朝に霧が晴れて茂る木々を眺めた日に似ている。


「聞いてくれてありがとな。疲れたろ。おんぶしたるよ」

「やったあ! キメラおねえちゃんだいすき!」


 解決し、調子を戻したころに中枢の扉が見えてきた。表札があるならどうにか読める距離。待ち構える人影がこちらに手を振っている。


 観測手のユノア。地下から戻る予定ではなかったのに、地下で待っている理由はもちろん、どこからか見ているらしい。方法は恋仲のキメラも知らない。肩下ほどの銀髪を今日はひとつ結びにして、スカートで膝まで隠す。彼女の仕事モードだ。


「おかえり。早速だけど、報告を」

「物的損害はキノのランスホイール号と積荷すべて、人的損害はなし。情報は、でかいから落ち着いて話そう」


 中枢の、地上からも地下からも離れた宿部屋。偶然にも普段の拠点を同じくする三人が揃った。場所は違えど気兼ねない、いつもの会話が始まる。ユノアが飲み物の用意をする間に、お疲れ組はソファで足腰を休める。トロッコでは座っていても休めなかった分をよく伸ばす。全身の緊張を解していく。


 報告の前に、四人目が入ってきた。中枢での情報管理を担うあまり見ない顔の男で、短くガガと名乗った。役者が揃ったところでキメラは報告を始める。スットン共和国で飛行機を飛ばしていたこと。対地攻撃の狙いが正確だったこと。これまでから考えて、そんな技術を持つには発展が早すぎること。


 加えてキノコから補足を出した。


「きのも飛行型は作りかけてるけど、あの高度はまだ飛ばせてない。まずいよ、あれ」


 ガガは頷き、先に結果が出たばかりの新情報を共有した。「何者かがキノコの設計に関する情報を流したかもしれない」情報源はちょうどこの日に、ガンコーシュ帝国領で密輸を企てた連中の車を解体して調べていた。ただし、どうにも精度はまだ悪いので、そのまま渡したのとは違う。キノコの設計なら絶対に起こらない動作をしていた。


「きのは行くよ。早く進めなきゃ」


 何人かの、キメラもユノアも知らない名前を出すと、ガガはその全員がすでに工房を温めていると返す。キノコは一番の若さゆえか回復も早い。コップに残る水をさっさと飲み干し、工房へ向かった。ガガも離席して、部屋に残され恋仲の女二人。本題に入る。ユノアは二種類の小箱を取り出した。


「これ、食べてみる? 帝国で人気のチョコ」

「勧められりゃあ食べるが、キノが席を外すまで見せなかったな。裏を見せろ」

「いい勘ね。きのちゃんには早いから伏せたんだ。このチョコにはある植物から抽出される成分を含んでる。片方は鎮静作用、もう片方は多幸感が得られる」


 ユノアの話では、ガンコーシュ帝国では他にもビスケットや錠剤などでソフトドラッグが広く出回っている。依存性が低く体や神経への影響も少ない、気軽に使えるものだけが。同時に、旧来より嗜まれてきたドラッグへは規制を強めている。コーヒー、紅茶、アルコールの税率をあげて多くが廃業し、よほどの物好きな金持ちだけの嗜好品になった。


「他にも様々な情報と合わせて、まとめるなら一言だけ。おおよそ六ヶ月以内に準備が整い、戦争が始まる」

「工場を動かし続けるのと、兵の回復を促すドラッグ、か。筋は通ってるが、引っかかるな。共和国で準備が整いつつある頃に間に合うようこれだ。都合が良すぎる」

「その通り。そこに追加で、きのちゃんの技術が流出してる可能性と聞いたら、もう決め打ちでいい。内通者がいる」


 二人は同意した。しかし、見つけ出す方法は持っていない。アナグマの共通項として戦争をさせる利はない。ならば外部からの侵入者、または個人か少人数での企てだ。素直に考えれば最も無視されやすいエイノマ王国からの工作員が最大効率になるが、他の各国からの工作員ももちろん大いにありうる。わからないことだらけの今、余計な考えは起こさず、情報を集め続ける。気づいていることに気づかれない範囲で。すぐにできるのはそれだけだ。


「キメラ、これから戦争を止める準備をするけど。そうなれば次がいつになるかわからないし、来るかどうかも怪しい。わかるね」

「わかるよ。私はまたユノアと会えるようにする。今のうちに元気を貰ってな」


 生きていればおおよそ誰もが必要な時間を過ごす。ちょうど手元にあるドラッグには頼らない。求めるものは人間が自力で生産できる。二人は心地よい疲労で疲れを癒やすのが明日への備えになる。間の悪い客人のノックを無視した。残された手紙は朝まで待ってくれる。

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