A03R03:聞かれたくない話
アナグマの地下室は朝でも暗く、半端なうちに起こされはしない。反面、自力で活動を始めるまではいくらでも置いてけぼりにされ続ける。アナグマから人員への唯一の要求だ。行動せよ。待つだけでは何も得られない。疲れる前に休み、休んだら動く。原始的ながら普遍にして不変の理だ。
「起きたね。キメラに手紙」
「おかげさまで。もう行くのか?」
「まあね。呼ばれてるから」
ユノアは自らの行き先と役目を伝えた。カラスノ合衆国で情報を集め、時には流す。スットン共和国が宣戦布告をするなら、ほぼ確実に、相手はガンコーシュ帝国だ。高山にもエルモの大聖堂にも阻まれず、工場や資源がある。奪って価値がある宝が奪いやすい場所にある。共和国は全体的に考えが浅いが、そのぐらいの頭は回る。
仮に大陸の全土支配まで目論むなら、ガンコーシュ帝国を陥落させた後、七十年ほどで親まで占拠後生まれの世代が壮年期になる。拡大した国土と人口を総動員してカラスノ合衆国も陥落させたら、残るエイノマ王国は片手間で捻り潰せる。
この状況なので、今のうちにカラスノ合衆国に働きかける。今なら動けば勝ち目があり、手遅れが迫るほど焦りにつけ込める。すでに準備は整っている。キメラが知っている通り、情報戦においてユノアの右に出るものはない。
「もう出るけど、他には」
「話は何も。こっちをひとつ貰おう」
キメラは唇を差し、ユノアは応える。あまり長くすると貼り付きそうなので、短く済ませて、せをむけた。
ユノアを見送り、渡された手紙に目を通したら、キメラもやることは決まった。まずは軽い体操を。体の軽さを味わったら、顔を洗って地上へ向かった。
目先の要求はごく単純。普段の拠点としている礼拝堂、通称一番堂へ向かう。その際、アナグマの一人を同行させる。
新入りか、普段は顔を見せない誰かか。決して珍しくないが、一番堂へ向かう理由が見えてこない。あそこは指折りのエリートに最適化され、雑務への対処役も間に合っている。これから人不足になるとは思うが、これまでは補充要因よりも縮小運営で保たせていた。シスターが体調を崩す日として入念に仕込むような奴だ。
大聖堂に近い重要な拠点でありながら、唯一、地下にトロッコを通していない。キノコが加わった初期に手を加えた結果、トロッコと干渉する設備を築いてしまった。元々が動きやすい立地な上、安定もしているので不便はなかったが、今回ばかりは恨めしい。
広場のどこで待っているか、答えは決まっている。秘密の出入り口から地上へ出たら、商人が集まる広場の東屋へ。目的の人物はすぐにわかった。なおかつ、キメラに気づくとすぐに立ち上がる。
輝く金髪に、豊満で長身。スカートは膝を隠しつつも、片側スリットで大胆な運動にも転じられる。ケープをはじめ、暗器を隠せる場所が多い。そのひとつでもある胸元は視線を吸い込む役目も兼ねる。凛とした顔つきもあり、キメラからの印象は、絶対に喧嘩をしたくない相手だ。
「おはようさま。貴女がキメラね。案内よろしく」
「ご丁寧に。なぜすぐにわかった?」
「金髪は珍しいでしょう。けれど、商人にしては荷物が少ない。決まりよ」
キメラは自身のくすんだ金髪を持ち上げて、目の前で輝く金髪と比べる。日光の下でも同じだ。やけに主張する体型も合わせて妬心と劣等感が混ざって沸き出る。アナグマなら当然、意図的にやっている。味方であっても気を許しきってはいけない。キメラは粗野な態度で「そんな手には乗らない」と言外に伝えた。対するミカが見せる大人の余裕で劣勢を悟り、これ以上の張り合いは控えた。
「あんたも珍しい奴だ。見失いにくくて助かる。名前は?」
「ミカ。早く行きましょう」
キメラが歩き出すのを待って、すぐ後ろを歩く。足音の様子からナイフなら四歩の距離、ミカなりの気の使い方か。視界の隅でミカを見ると、目線は周囲よりもキメラの顔や手の先へ向いている。ずっとこんな調子で歩くのは、嫌だな。
大聖堂から一番堂へ向かう道はふたつある。
ひとつは、なだらかで歩きやすいが数日を要する道。誰もが通れる道にするため、山を大回りしている。巡礼者が牛車で集落を渡り歩いたり、相乗りした一般の旅人が主となる。レンガの道は凹凸も倒木もなく、途中の街で休憩もできる。カラスノ合衆国領らしさがよく出ている。
もうひとつは、わずか二時間ばかりで着くが、険しい高低差や岩場が立ち塞がる道。足を滑らせればもちろん命はなく、倒木があったら乗り越えるしかない。雨風の影響が強く、天気の幸運を前提にしてなお技術も要求する。ほとんどアナグマ専用の道。
キメラは何も言わず、険しい方へ向かった。アナグマなら道を知っているし、急ぐ理由も共有している。今日は雨風がなく安全ではあるが、暑さにより運動すればすぐに汗が出る。体力の消耗は免れない。
ミカは横顔で平気だと語り、そのまま着いてくる。華奢な体だが露出は限られ、内に秘めた筋肉はわからない。自信に対する技量はどの程度か。ただの散歩道が最初の対決が始まった。一番堂で前線を担うキメラとして、名も知らなかった誰かに情けない所は見せられない。
「ねえねえ貴女。歩きながらお喋りはいかが?」
「なんだよ、急に」
「仲良くなるチャンスに寂しいじゃない。それに、そろそろ人の耳は無くなるしね」
「聞かれたくない話でもあるのか」
「まあね。たとえば、そうね」
ミカは考え込む素振りをそこそこに、すでに準備していた話題を続けた。
「アナグマの姫の噂、聞いたことある?」
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