1話完結『水面下の高官』
エコエコ河江(かわえ)
ユノアの故郷、波乱の序章
アナグマがエルモの姿で動くとき、隣人にさえも姿を隠す。薄い壁ひとつの先では秘密裏に情報を包む準備をしている。
傭兵団体アナグマは正規の入国はまずできない。国境を越えるには人間が管理する門を通るか、野生が管理する原生林を乗り越えるか。どちらも確実に騒ぎが起こる。だからこそ、騒ぎが起こるまでは人々を楽観が支配する。
宗教団体エルモは便利な隠れ蓑だ。所属を示すだけで国境を障害なしに越えられる。大陸を分ける四カ国のどれもが国教と定め、迷える仔らを統治する助けになっている。必要に応じた人員の移動を利用するため、各地を渡り歩くパスポートとして加わりたがる者も多い。その際に、アナグマとの関与を四か国とエルモの合同組織で調査している。
傭兵団体アナグマとの繋がりを知る者はごくごく一部だ。寄付金を使った暗号とか、相談での合言葉とかで、アナグマに伝わると囁かれている。一方で、ときには心当たりがない理由で望みの情報が届く。不確かな情報を合わせるとエルモとの関連のほうが少ないので、あくまで都市伝説に留まっている。そうさせるために無償で情報を送るのも安く済む。動けばなおさら都合がいい。
エルモの一員として、ユノアはガンコーシュ帝国の都市部へ向かっている。理由を聞く時間はない。理由はいつでも弁当から読み取る。普段の拠点とする、カラスノ合衆国領の森林部にある礼拝堂を取り仕切るノモズにより、暗号入り弁当が配られる。今回はまずマッシュルームの数。食べ終えるまでに見えた九枚を四で割った余りが一なので、目的は情報収集だ。主食が麺系列なので場所は一般の民草、市場で買い出しのついでにでも見ておける。
ユノアは埋没を得意としている。本心を消して、誰でもない大勢の一部として暗躍する。今回は短くても十日はかかる一件だ。ユノア以外なら隠し通すにはボロが出たり、抑えこみすぎて不調になるのも珍しくない。ユノアが本心を見せる相手は誰か、決めるのはユノア自身だ。当分は相手がいない。ユノアにとってはそれだけだ。
「エルモの皆様、まもなくですよ。立ち上がる準備を」
騎手のひと声でシスターたちの顔つきが変わった。優雅な振る舞いで民の不安を拭う。ユノアは若くして板についているが、周囲のに多い新人はまだまだ気張っている。ここまで三日間の道程を休みに感じる若手が多い。
足をつけたこの場は市街地の中心、大型公園の一角に構える礼拝堂の正門だ。アナグマの設備を持たない孤立無援の建物でも、ユノアなら問題はない。人選は適切だ。
まずは階段で上へ。都市部の礼拝堂はどの地域も、宿舎を兼ねた大型の建物で、非常時には住民の避難所として使う。平時は上階から順に使い、すぐ動けるよう、大きめのテーブルクロスがあちこちに敷かれている。いつでも直ちに包んで持ち出す、アナグマの都合を取り入れた備えだ。たまに現れる荷物が多い者には、別の建物を契約する補助金を送る。大義名分もあるので、ユノア以外も荷物が少ない者ばかりになる。
少ない私物を置き、まずは挨拶をする。ルールでもないがどの地域も昼は一階の食堂を休憩所にしている。外からの声に気づきやすく、出番がなければ座ったままで夕食を待ってもいい。今日を暇にする者、言い換えるなら昨日を忙しくした者が集まる。新しい話を得るには最適の場所だ。顔ぶれを見る限り、応援に来た中ではユノアが一番乗りらしい。
「初めまして。明日から本格的に協力します、ユノアと申します。早速ですが、人手が必要な理由を詳しく訊いてもよいでしょうか」
「おうおう、その若さでうんと律儀だね。おばちゃん安心だゾ」
本題の前に中高年の話が続く。アナグマ以外のシスターはいつもこれだ。話し方から二人は地元、一人はカラスノ合衆国の出身と見える。仲間内で盛り上がる様子にそろそろと切り出したところで一人が「静かに」と制し、ユノアに聞き耳を促した。
窓の外では役人風の二人がシスター長と話をしている。ガンコーシュ帝国の制服は青を基調として、帽子とマントの意匠や白ラインの数で階級を示している。長いマントが膝まで守り、縦長の帽子で長身がさらに高い。街中にはおおよそ不釣り合いな高官だ。せいぜいが事務仕事の監督か、通常なら中央に近い重要な施設を指揮するような大物がなぜ。遠さもあり聞き逃しも多いが、断片からの推測では税金の話らしい。
「このところ連日、あいつらが来てる。名前はひょろ長のほうがハイカーンで、ガタイの良いほうが部下のドウカーン。税金の滞納がどうのと言いがかりをつけてくるけど、こっちにそんな事実はないのよ。それで応援を頼んだんだけど、ユノアさん、どう思います」
本当に言いがかりかは潜伏するアナグマから確認できる。徴税だけで出るには不自然な相手だ。十中八九、何か企てている。
この場でのユノアは当たり障りのない返事で席を外し、自室のベッドで考えをまとめる。本当の指示と合わせて、税金と称し何かが動いているのはほぼ確定だ。礼拝堂では追加で怪しげな高官も。まず調べるべきは範囲と規模、そして予想できる影響あたりか。それ以上は期待せず、あとは大前提として、企てに乗らずにいること。
まずはそのまま仮眠を。夜中にこっそり起きておくためだ。夜の様子を狸寝入りと聞き耳で探る。普段の音を知り、異常を異常として気づく準備をする。次の二日も礼拝堂の雑事をしながら聞き耳を立てておく。掃除好きの不足は幸いだった。ユノアが隅々までぴかぴかに磨き上げる。その建前でどこにでも細かく近寄れる。三日目に街へ繰り出そう。買い出しもやはり、細かい道を歩く口実だ。
計画通りに情報を集めていく。深夜の音は虫の他は何も目立たない。楽観はできないが、面倒ごとでもない。日中の違和感は例の男ハイカーンが何度も来るのみ。単に落ち目で暇な場合も一応は候補にある。誰かが応対でボロを出すのを待っている線と比べれば弱いが、考えすぎは自滅への道だ。それでも対処ははやいほうぎい。日ごとに担当者が変わる今、誰かが変なことを言って隙を見せるのも時間の問題だ。疑惑があれば捜査に踏み込まれ、捜査に踏み込まれれば事実をでっち上げられる。
様子を尻目にいまは買い物へ行く。夕方とはいえ街中だ。礼拝堂から外へは出やすい。ガンコーシュ帝国は治安がいい。
ユノアは市場を歩く。見慣れた街並みのまま、青果店の品揃えも異常は見当たらない。旬の果実が多く並び、店主の挨拶は主に話し相手が少ない中高年に向けている。ユノアは歩く。お小遣いを持たされていなそうな歩き方で。通りの反対にある狭い料理屋や自転車屋を眺めても、客引きが声をかけるのは客候補だけだ。
変わらない日常がそのままある。
変化はスーパー・マーケットにあった。売り場の奥にお菓子らしき一角がある。チョコレートやビスケットなどが並び、共通点はお菓子であことと、見慣れない単語を含むこと。他のお菓子から意味ありげに離れた場所に、説明書きもなく並ぶ。ガンコーシュ帝国の文化で「説明がなくても知っているのがカッコイイ」と考える働き盛り世代に向けている。
数が多いので、ばらばらの数個を買い物かごに放り込む。土産として「流行っていそうだから買ってみた」が通る程度の量を。謎の単語や中身の詳細は後で確認する。おそらくはノモズに頼むのが早い。
金額は大人向けとしては安い側だ。片手に収まる大きさで、買ったものを外から見えないポケットにしまう。シスター服でない今は何を見せても構わないが、ユノアは普段からの癖にしている。音を隠すには、隠せない音があってはならない。どこで隠せないかを知っておく。この手のお菓子にありがちな、中で揺れる音を出さずに歩く。
礼拝堂に戻ると、例の高官、ハイカーンと助手が待ち伏せしていた。ガタイがいい方をベンチに待たせ、さも偶然を装って礼拝堂の前でユノアと接触する。柵の都合で狭くなる正面では避けようがない。ユノアは可能なら気づかないふりをしようとするが手を振って呼び止め、上っ面だけは整った笑顔で話を始めた。
「これはこれは。シスターどのですね」
「そうですが、お二人は」
「お聞きでいらっしゃらない? 税金の滞納一四八件を調査しに来たと思っていましたが」
わざとらしく揺さぶってくる。アナグマが使う暗号と関連した数字を提示している。顔色や反応を見たがっている。ユノアなら平気だが、すでに勘づいた様子は時間制限を示している。
「まだここでの暮らし方を覚える段階なもので。参考までに、あなたから話を聞いても?」
「いいですとも。言った言わないのトラブルがあってもいけませんから、書面で」
ハイカーンが目配せをすると、大柄な男がベンチから立ち上がって鞄の書類を出した。一枚のコピー用紙に片面刷りの、ごく単純な内容だ。
「受け取りました。読んでおきます。情報ありがとう」
「よろしくお願いしますよ」
ハイカーンは大袈裟な礼を残して立ち去った。胡散臭い男だ。差し迫る危機とは別にも何かを企てていそうな直感があった。根拠の提示こそできないが、情報には違いない。人間が顔を合わせれば意識的には気づかない程度の細かな仕草や匂いを読み取っている。[#「ハイカーンは大袈裟な礼を残して立ち去った。胡散臭い男だ。差し迫る危機とは別にも何かを企てていそうな直感があった。根拠の提示こそできないが、情報には違いない。人間が顔を合わせれば意識的には気づかない程度の細かな仕草や匂いを読み取っている。」は中見出し]
この日のユノアはさっさと眠り、情報の統合を進めた。自らの目で得た情報の他に、こっそり読んだ文書も。
別の日、今度はシスター服で街中を歩く。礼拝堂に集まりにくい事情にも手を差し伸べるためだ。体力がないとか、怪我をしているとか。そんな理由で見捨ててはならない。その建前で、暮らす様子を観察する。民に根付く存在として誇示し続ける役目もある。本当に必要なのか情報がなくとも、仮定を信仰して動く勇気を持ち、コストをいくらでも注ぎ込む。自らの手腕と選択を研ぎ澄ませて重んじるアナグマのやり方だ。
ほとんど町外れの一角。狭くとも人通りがないので広々と感じられる。ここを歩くのは住民か、特殊な用事があるものだけだ。ゆえに、ユノアの前に見えた中年の女性はもちろん住民とわかる。装いから、家計を担っていそうな雰囲気がある。
世は声をかけたもの勝ちだ。話しかける側はいつでも吟味した上で最善の相手に話しかけるが、受け取る側の選択肢は拒否の有無に限られる。彼女にとってユノアが最適でなくとも、積極的に拒否する理由がない限りは、ユノアを頼るしかない。
女性は「エルモの方に言っても仕方ないと思うが」と前置きをして話し始めた。
「皇帝さまがここ数ヶ月ほど、増税を繰り返しています。考えあってと信じていますが、それでも生活が昔に戻ったみたいに苦しくなってしまいました。他の方々はまだ平気そうですが、うちは子供が多いゆえ出費も多く、働き手が少ないゆえ稼ぎも少ないのです」
八代目の皇帝、コートム・K・ガンコーシュ。初めはどの施策も荒唐無稽と言われていたが、無理矢理にでも実行してみたら国が豊かに発展していく。彼への評価はすぐにひっくり返った。今では慧眼の持ち主として絶大な支持を受けている。
あの皇帝には矜持があった。税金を課すにしても民が困るほど大きくするとは、相応に大きな計画が動いている。彼はいつでも「民の信用を得てこそ」と語っていた。これまでに築き上げた信用を換金する価値がある計画か、内部でのいざこざか。
「この頃は高官さまも間近で見るようになり、向こうも苦しいとは想像しています。それでも、これ以上の貢献ができない自らが情けなくて、情けなくて」
ユノアは話をただ聴く。自らをどう思っていてもエルモは受け入れる。否定も指図もせず、ただ耳を傾ける。言葉より強い行動で、そうするだけの価値があると伝えている。
エルモは無力な民に寄り添う。弱者を食い物にする不届き者から守るほど、情報からノイズが減る。それでもなお悩む者から具体的な内容を聴きとり、似た内容が多いならば、何者かの作為を見つけ出す。
ユノアは十分な情報を得た。住民の買い物袋の大きさと、ゴミ集積所の溜まり方。買うものと捨てるもの大きさを比べる。新しい何かを試せば馴染まなかったときにゴミが増える。今はそうなっていない。失敗を恐れる理由がある。
礼拝堂には投書箱もある。大抵は書く段階で考えがまとまるので労せずして悩みを解決し、除ききれない範囲に目を通す。多くは掲示するのでもちろん、アナグマが持ち帰るにも都合がいい。
エルモはすでに大陸中の情勢を掌握している。どの国も手を切る痛みより利用を企てて、望み通り利用されておく。強者は些細な負けを受け入れる。浮かせた余力と得た情報で、核心ひとつを守り抜く。
統合した情報は持ち帰ってから使う。そうなると、目先の問題はハイカーンのちょっかいだ。どこかで濡れ衣を着せられれば他の動きに回せなくなる。被害が最大になるタイミングに合わせられれば、少し削がれただけで破綻が見える。
渡された書面を何度読んでも、こちらの行動では根拠ある回答が提示できない。たった一枚の単純な内容だが、論理としては繋がらない横暴な要求が者かれている。考えるだけ無駄だ。アナグマとの繋がる前提で尻尾を出すまで邪魔を続けるのだろう。根拠ある回答を出せないなら、根拠なしの回答を使うだけだ。
ユノアは部屋で一人、窓から夜空を見上げる。満月が光を投げかける。弱々しい光でも手元の蝋燭と合わせれば本を読むには十分だ。ユノアは右側から月光を、左側から蝋燭の光を受けて。本のページをめくっていく。ぱらり。ぱらり。時々、ひとつ前のページに戻る。
これがアナグマ同士の合図になる。ユノアがページを動かすたびに、蝋燭の光が通ったり、遮られたりする。その点滅をはるかと多くにある観測所から読み取っている。そのために礼拝堂はすべて、窓がアナグマの拠点を向いている。
とはいえ時間がかかるし、内容も薄い。一晩かけても長文は扱えない。伝えるのは探られている現状と、ハイカーンの拠点だ。ぼや騒ぎでも起こせばハイカーンもこちらに手を回す余裕がなくなる。直接の交渉も手だ。成立ならよし、決裂でも目的は果たせる。どれも時間稼ぎでしかないが、その時間を使い外を動かしている。ノモズが手を回しているし、まだ見ぬ他の似たものもいる。
手段は本部に任せて、ユノアは情報収集に集中する。誰がどこで何を進めるか、確認できずともアナグマ同士の信用は厚い。それぞれが、それぞれを。
1話完結『水面下の高官』 エコエコ河江(かわえ) @key37me
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