当然の帰結

「あ、沢木さん!」水野の声は弾んでいた。


「久しぶりだね」沢木は笑顔で答えた。

「元気にしてた?」


「はい、おかげさまで」水野は満面の笑みを浮かべて答える。

「それなら良かった。水野くんはもうすぐ退院なんだって?」

「はいっ!今日からリハビリを開始しました。来週には学校に戻るつもりなんでよろしくお願いします」

「そっか、がんばって」沢木は手を振って見送ったが、彼はすぐに戻ってきた。

「沢木さん、何かあったんですか?」


水野が質問してきたのは当然の帰結だった。彼は病院に見舞いに来てくれていたが、そのときに見た姿と比べて明らかに様子が違って見えるからだった。沢木の顔には生気が見られず、目の下の隈がひどいことになっている。まるで徹夜続きで疲れ果てたサラリーマンのようにみえる。

「いやぁ……、実は……」


そう言ってから少し黙ったあと、「実は、試薬をぶちまけてしまあって、その対応を今から始めないと」と言いかけて、水野の視線に気がついた

「あっ 、ああ、そうだよね、こんなところで話す内容じゃなかったよ」

慌てて取り繕う。


水野は気になって聞いてみた

「試薬って? もしかして、僕の血のことでしょうか? だったら、そんなに気にすることはないです。検査だってこれからでしょう? それに沢木さんの言うとおり僕には何もわからないんだから、変に気負わないで、まずはしっかり治すことに集中して、それからのことなんて考えた方がいいんじゃないですか? それなら、今話した方が楽になるかも……」

沢木の表情が一瞬明るくなったように見えた

「ははっ、参ったね」そして困り顔をする。


「え?どうしてですか?」


「実は、試薬を撒いてから2日が経つんだけど、まったく検査ができていないんだよ。検査用の機材がほとんど壊されてしまっていて、今朝ようやく一通りが揃って稼働したんだ」

「でも、なんでそんなことになったんですか?」


沢木が言うには難しいことではなかったらしい。薬品会社からの納品が遅れていて、そのために使う機械の準備が間に合わなかったのだという話だった。しかし問題は別の所にあった、


「そのせいなのか、それともたまたまなのかわからないけれど、とにかく今年になってから妙に薬の需要が増えてて、在庫がどんどん消えて行っちゃうんだよ」


それはつまり、そのぶん、仕事が増えたということである、それどころか、さらに仕事が増えているようなのだ、と彼は言った。


「それって、やっぱり例の薬のせいですか? それとも他になんか問題とか、あったりしましたっけ? ほら、例えば感染症の拡大を防ぐために外出規制とか、外出自粛みたいな」


そういわれれば確かにそのように聞こえた。だが、


「それはないはずだ。そういう話は今のところ出ていないと思うけど。でもそうなると、うーん 一体何がどうなってるのかなぁ」

頭を悩ませている沢木に対して水野は聞いた

「それだったら僕も手伝わせてもらえませんかね? 仕事はしばらくできないと思いますが、それでも多少は役に立てるはずです」

「ありがとう。だけど君が居なくなって困る人間も大勢居るだろう?」


しかし彼の言葉に迷いはなかった

「大丈夫です。僕の代わりはいくらでもいるでしょう。だからきっと迷惑をかけることもないですよ」

「わかった、わかった。でもまずは検査を済ませることが先だよ。それが終わったあとはこっちの仕事を手伝ってもらえればいいさ」

「もちろんです。こちらこそ、すみませんでした」

「いやいや 謝ることなんてないさ。僕だって本当はこんなにのんびりしていていい人間じゃないんだ」


「それで、その試薬ってどういうものなんですか?」と彼女は聞いた。


「ああ、これはね、特別な血液型の血から作られたものなんだけど、扱いが難しくて大量に用意しなければならないのが難点なんだよ。本当に困ったものさ」と彼は答えた。


その特殊な血液型というのはAB型の血液のことである。この薬の作用は、特定の血液型に対するアレルギー反応を引き起こして赤血球の分解を促し、貧血の治療ができると言われている。しかし、実際には重度の中毒症状を引き起こし、患者を死に至らしめる恐ろしい毒薬であることが分かっている。副作用も強く、この薬の使用が禁止されている国も多い。


「でも、これがあれば助かる人が増えるかもしれないんだよね?だったら、頑張ってください。僕はここで見てますんで、応援していますから!」と水野は沢木の手を握った。


「そうだね。うん、頑張るよ。君のためにもね。よし、やるぞ!」と沢木は決意を新たにした。


「水野さん!」

看護婦が呼びかける声を聞いて、沢木はハッとした。

「ああ すみません お騒がせしました」

「いえ、あの……」

水野と話をしているとなぜか時間感覚が曖昧になってしまうのだった。どうも気を抜くとボーッとして、


「あの 検査が終わってるみたいですので、移動お願いします」

看護婦が言う。

「わかりました。すぐに向かいます。


水野くん 行こう!」

二人は連れ立って診察室へむかった。


診察室に通される途中、彼は自分の腕がひどく重いことに気づいた。


「水野くんは どうしていつもここに?」

「そうですね、僕が病院に来る理由は特にはないんです。ここしか居場所がなかっただけで」

「それは違うと思う。君は君の家にいるべきなんだ。きっと君を必要としてくれる家族が沢山いるはずだ」


「必要としている人はいますけど…… でも……」

「君のお父さんやお母さんのことで、ずっと負い目を感じてきた。もっと早くに力になれていればと思っても、なかなか踏み出せなくて」


そうこうするうちに、沢木と水野は医師の前に座って採血を受けていた。


「はい。これで今日の予定は終了です。結果は3時頃までにはわかると思いますので、あと1〜2時間ほど待っていてください。沢木さん、お忙しいところ大変申し訳ないのですが、後片付けがまだ終わっていないもので、もう少々時間がかかってしまいそうなのです。ですからその間に他のスタッフの方のご挨拶でもいかがでしょうか?」


水野と沢木は顔を見合わせた「それじゃ 行ってみましょうか」と水野が促す。


沢木は内心不安を抱いていた。


「どうされたのですか? 緊張なさっているのですか?」

医師は優しく問いかけてくる

「はあ、少しだけ。でも大丈夫です」と沢木は答えたがそれは強がりに過ぎなかった。


彼はこの施設の責任者に面会するつもりだったが、それがどんな相手なのかは知ることができないまま、


「こちらになります」と言われた場所に連れて行かれた。案内役である看護婦がドアノブを引くと部屋の中に白衣の男がいた

「失礼します」水野と沢木の姿を見て驚いた顔をする「これはまた奇遇だな、沢原くん。元気だったかい?」


「お陰様で。その節はお世話になったようです。ご丁寧にどうも」

沢木恭平はその男の方に一歩近づいたが、同時に男の方が一歩下がった

「まあまあ、落ち着いて、座って話そうじゃないか。お互いいろいろと話したいこともあるんじゃないかな?」


「はい、じゃあ遠慮なく……」

「おい そこをどいたほうが身のためだと思うぞ。この先は行き止まりだからね。もしどうしても入りたければ」

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