ウルフムーンはよく吼える
「そう…これはアメリカ開拓団の呪いなの」
赤茶けた奇岩の陰に白い半月が浮かんでいる。それがすっと縦に閉じ原色の生地に隠された。カラフルで鮮やかなブラウス、スカート、ベールからなるインドのサリーに似た衣装だ。斜線と正方形を組み合わせた独特の刺繍が民族の上品さと伝統を感じさせる。彼女の胸と腰を覆う化繊は別として布地の縫製は丁寧で自然由来だ。
彼女は漏油町を照らすもう一つの月に言い聞かせた。
「ウルフムーンの名に恥じない働きをしてちょうだい」
今夜の満月には特別な名前が冠せられている。彼女の祖先は太陰暦を活用していた。月ごとに別称をあたえて生活単位とした。
二月はオオカミにとって恋のシーズンであるが飢えたオスが増える時期でもある。彼らはその前に繁殖の準備に取り掛かるのだが厳冬期は餌が少ない。それで空腹のストレスを遠吠えで発散する。乾燥して清んだ空気はクリアな音質を保つ。一族は危険を避ける生活の知恵を月に記した。これが由来だ。
そしてもう一つ。ウルフムーンにはスピリチュアルな力が備わっている。
激しい自己主張だ。
「アメリカ開拓団の呪いのせいよ」
彼女は前髪をかきあげ指に絡みついたブロンドを夜風に流した。変化が始まっている。やがて風が強まるとハラハラと豊かな長髪を吹き飛ばしていく。
「あら、まあ、もう、いやだわ」
風下に身を潜め抜け始めた爪を地面に振り落とす。既に二の腕ははちきれんばかりだ。スカートのホックが縫い糸ごと外れた。
「もう、成田家が悪いのよ」
満月は透き通った天空を貫いて彼女の内面を照らし出す。
過疎地に農婦の跡取り娘として生まれ婿養子を迎えるにふさわしい教育を施されてきた。しかし今月今夜の月がいつわりの生活に刺激を与えた。予兆は前夜からあった。得体の知れないソワソワ感が無意識にスマートフォンを操った。見たことのない設定画面を開き親しか知らぬパスワードを打ち込んだ。携帯会社のペアレンタルロックやクレジット会社の二段階認証も突破し親名義でコスプレ衣装を購入した。当日配達便の受取先を学校近くのコンビニに指定し個室を借りた。セーラー服とスカートはゴミ箱に突っ込んだ。学校帰りの友人に丈の短い裾と内面を見られたが気にせず駅の階段を駆け上がった。そしてスマホ決済で漏油町駅まで乗った。
ウルフムーンは自身の個性や人となりを暴き活用する自己判断を促す。そしていつわりの人生を反省させあるがままに生きる高貴を教えるのだ。彼女は包み隠さぬ本領を発揮した。それを邪魔してい薄っぺらな公衆道徳が悲鳴をあげ、散り散りになる。彼女は四つん這いになり自己発見の喜びを放送した。
すると遠くの地平線がかあっと明るくなった。隣町の高層マンションがかすんでいる。それがみるみる火球に吞まれ影が横倒しになる。地図上では道路を隔てて工場がある。連鎖反応がひろがっていく。
彼女は裏返ったハーフパッドを踏んで我に返った。
「やっちゃった!」
岩場にはとりどりの破片が点在している。そして馬の尾みたいなひと房も。辛うじて表面張力に勝利した一枚だけが身に食い込んでいる。それもよれよれでいつまでもつかわからない。そしてもっと悲惨なことになっているのは東洋人の色を取り戻した肌だ。頭のてっぺんからつま先まで新陳代謝が完了している。真の自分を取り戻しはしたが社会は公序良俗の仮面をおしつけるのだ。
「あー。どうしよー」
彼女は胸元よりすっかり寂しくなってしまった頭を抱えた。獣毛が身体を離れる。寒風が肌に突き刺さる。
「どうやって帰ろう」
唇を紫色に染め丸まるようにして座った。そしてハタと気づいた。
「あたしのスマホ!」
それは地面を転がり落ちて谷底で緊急避難速報を繰り返していた。漏油町周辺に異常乾燥警報を告げている。
「学校の制服、捨てるんじゃなかった」
後の祭りである。姿なき声に逆らえないまま儀式に突き進んだ。そこに自由意志が介在する余地はない。「ぜんぶアメリカ開拓団の呪いが悪いのよ」
彼女はどんどん低下する体温をどう補うか考えた。あの雄たけびは体力を消耗するらしく再び姿を取り戻す余力はない。四つん這いであれば逃げることもできるのに。真の自己発見とは死出の旅を急ぐことだったのか。わからない。すべてアメリカ開拓団の呪いがわるいのだ。
ウルフムーンにおねがい 水原麻以 @maimizuhara
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