衝突寸前
衝突寸前、右に傾くように機首を引きつける。地面に鼻先を向けたまま数秒静止して、それから徐々に引き起こしていった。地上に平行に戻ったのを見て、ほっとした。接地まであと数十センチ、というところで急停止させ、エンジンを止めた。
(……?)
何かが変だった。だがその理由はすぐにわかった。
機体が浮揚している。まるで空を飛んでいるみたいに、わずかに。ミランジュはその状態で機外に出た。
大地があるべき場所に立ってみるとそこは平坦な草地で草木一本ない、ただの地平線だった。見回しても何の変化もなかった。本当にこれは仮想なのだろうか? 疑いたくなるほどリアリティーがあった。それにあの黒い太陽だって現実にしか思えないのに。でもそれは錯覚なのかもしれなかった。きっと自分の心の奥底ではずっとこうなる事を望んでいたのだろう。こんな世界が来ることを、夢見ていたに違いない。しかし同時に、どこか恐い気持ちもあった……。
*
「メル・リンド少尉。統合参謀本部への出頭を要請します」
ミランジュの操縦席で目を覚ましたメルは自分の置かれた状況がわからず混乱した。統合参謀本部とはなんぞや。とりあえず、ヘッドマウントディスプレイとヘルメットを外した。
「少尉殿。ただちにご支度をお願いいたしま……」
パイロットスーツ姿の下士官が敬礼していた。まだ若く、背丈はミランジュの座席より小さいくらい。だが表情のない顔には威圧感がある。
メルは反射的に「了解」と答えた後で、慌てて付け加えた。「すみませんが……ここがどこなのか教えていただけますか」
「えっ?」と驚いた顔をされて、自分が恥ずかしくなった。「ああっいえ、なんでもありません。ここはホワイト・セクターの惑星軍本部基地です。少尉殿は、あの……」一瞬口籠もったのち、「記憶喪失と聞いておりますが、大丈夫ですか」
(記憶喪失?)
言われて思い出した。
確か自分は昨日もここに来た。それで、統合参謀会議とかなんとかで、この下士官に質問された。答えられなくて、そしたら今度は尋問室に連れて行かれた。そこで……そうだ。セクター35という地名に聞き覚えがある。そう思ったんだ。あれ、それじゃあ俺は、やっぱりここに居てはいけないのではないか?……。
いかん。どうにも頭がぼんやりして思考が定まらない。
その時ドアを叩く音がした。続いて「入れ!」と男の声。メルはハッとして背筋を伸ばし、直立不動になった。それから改めて室内を見回すと、先ほどの男が一人ともう一人がいた。
男は机を挟んで正面に座っている。三十代の半ば、短い髪に細い顎髭、灰色の軍服を窮屈そうに身を着こんでいた。
もう一人は対照的にほっそりとしていて、まるで少年みたい。長い髪を首のうしろでまとめて白いリボンを結んでいる。そのリボンと同じようなデザインのスカーフが胸元の階級章を隠してた。ただ不思議なことに、よく見るとそれが星形を二つ重ねたものだという事がわかった。つまりそれは少佐を意味する。
「ようこそ。メル・リンド」と大佐らしき人物から声をかけられた途端、メルの中で疑問が解消された。
彼は椅子を立ち敬礼した。
「おはようございます、閣下。統合参謀司令部へお呼びいただき光栄であります」
「うん。まあ楽にしたまえ」と言って上官は再び席についた。メルもつられて座ったが、内心で舌を出した。偉そうなことを言ってるけれど、目の前にいる人間はただの制服だ。しかも軍人ではなく官僚の匂いがぷんぷんする。きっと大した仕事もせずに勲章だけ集めてきたタイプに違いない。
もう一人の少女は黙って立って、メルの事を値踏みするように眺めた。やがて、くすっと笑いを漏らす。メルは思わず睨み返した。しかし、すぐに自分の失態に気づき、慌てて頭を下げた。
「これは申し訳ございません! 部下への教育がまだ行き届いておりませぬ」
すると相手も笑いだした。
「なるほど」と短く言うと手を上げた。
「では、君が副官のメル・カヴァリエリだね」と今度はメルの方を向き直った。
「はっ!」
「私の仕事部屋で二人も立たれてちゃかなわん。そこにかけてくれるか」
「はあ……」メルは言われるまま腰掛けたが、「失礼ですがその、お二人はいったい?」と訊かずにはいられなかった。
「私の事は気にせんでいい」と言うや否や「ああ、これかね」と大佐の顔に笑みが広がる。指先でちょいと髪を上げて耳を見せた。
小さな三角形が二つ並んでいた。どうみても人間のものではない。
メルは驚いて息を呑んだ。アンドロイドの耳には何度も触っているが、本物を見るのは初めてだ。この世に存在するとは信じていなかったものが今目の前にある。
だが当の本人は涼しい顔でこう言った。
それは紛れもなく機械の声だった。「私はサイボーグなのだよ」
*****
「それで……私が呼ばれた理由はなんでしょう? そのメルと申した少女が何か?」
『お前たちの力を借りたい』という一言で始まった作戦会議だったが、話は長引きそうだった。
まず司令官はメルを指名した理由について述べた後、改めて名乗った。
「失礼しました、司令殿」
「君は確かメルと言ったな……。リンド少尉はどうだね」と、こちらにも声をかけるが、反応はなかった。ただ直立不動の姿勢を取っているだけだった。そして時折、口の端から泡のような音を出すだけだ。
司令はそれを咎めなかった。「まあいい。彼女は戦闘支援に特化したオペレーターなのでしょう?」
サイボーグの表情は全く動かなかったのだが、メルの目には何故か満足げに映った。司令はさらに話を続けた。曰く、メルは優秀であると評価するが、一方で重大な欠落があるとも付け加えた上で。
そして更に話を遡らせる事で、何故、彼女を指揮官に任命したのかを語り出した。
要約すると、次のような事情があったらしい。
事の起こりは百年前の開戦当初にさかのぼる。戦争は当初こそ人類側に有利であった。だがそれは緒戦だけに過ぎなかった。戦線が伸びれば伸びた分、兵站の負担は増す。最前線の兵士達が補給の不備を訴えた頃にはすでに遅かった。
兵士一人が十万人分の労働力を提供できるとしたら? もちろん物資の集積も移動も不可能な戦場においてだ。
人手不足を補う為に前線では自動化と省人が進められた。例えば歩兵の自動小銃が一丁なら一人の兵卒でも運用が可能となり、戦車と随伴歩哨も減らせた。しかしこれが数万挺、数十億発になればどうか?……結局のところ人的損失を最小化する代償は大きかった。機械化した部隊は、機械化した部隊でしか維持できなくなったのだ。つまり人間と機械の戦いとなった。
一方、敵の陣営にも同じことが言えた。
ロボット兵士が三百万体投入されていたら? もちろん十年でそんな数は揃えられないだろうが、百年後に実現するのは可能だ。そして彼らは人間と同じ思考回路を備えていて高度な判断能力を持っていたとしたら? それに対する対処は簡単ではない。だが戦争が始まってすぐに答えは出た。
人間の指揮者が必要なのだと。
司令部には常に膨大な量のデータと情報が蓄積され、処理されている筈だ。それらを把握しつつ、状況に応じて最適解を導き出し、行動に移す。それは人間にしか出来ない仕事だ。
ならばと司令部はアンドロイドをテストする事にしたのだった。
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