巧妙なワナ

そしてメルは自分の失敗を悟った。自分は騙された。おそらくは罠の中に放り込まれたのだ。それも二重に巧妙なワナだ。恐らくは、他のエリアでも同じようにして、自分と同じ人類を拉致してきたのかもしれない。

メルの中で怒りと不安が混ざる。これはどういう状況なのだ?これからどうすればいい? そんなメルの思いを知ってか知らずにかメイドの長が告げた。

岩山は所々が陥没している。

そこに二百五十人近い男たちがいた。いずれも筋骨隆々とした肉体を誇る屈強な男だ。ただ彼らは一様に沈んだ表情をしている。いささかも希望が見えないのだろうか。あるいは自分たちを待ち受けている運命を予測してのことなのか。いずれにせよ、それは彼らに限った事ではない。ここにいる全ての兵士が同じだ。

彼らが今いる場所――、かつて"旧都市"と呼ばれた場所は廃墟だ。かつては無数の建造物が建ち並んでいたが今は残骸しかない。辛うじて原型を止めているのは中央の巨大なタワービルだけであろう。それでも、これが建造されてから三百年を経ていることなど知る由もない。そもそもここが地上のどこに位置しているかすら分からないのだ。

男たちを束ねるリーダー格が手を挙げた。全員を注目させる合図だ。

彼は静かに言った。

「今日もまた同胞たちが連れ去られた」

「……」

一同は無言で聞き入る。リーダーの視線がゆっくりと動き、一人ずつに目線を配る。誰もが無気力であり、絶望に打ちひしがれている。しかし次の一言が彼らの心を突き刺す。それは現実という凶器であった。

「もう、この惑星上で生き延びる事は難しいだろう」

全員がうなだれて黙っていた。

「俺は、こんなところで朽ち果てたくはない」

沈黙は続いている。誰もがその気持ちを理解しているのだ。だからと言って何も出来ない事も知っている。

再び男が口を開いた。

「俺らは弱い。弱すぎる。連中が相手ならともかくも、人間相手の戦争で負け続けた。だがな……、このまま終われねぇだろ? 俺たちがやられっぱなしでいいのかよ!」

拳が握りしめられると、ポツリポツリとつぶやく声が上がり始めた。それは徐々に大きくなって集団の熱気となっていく。

男はその様子を冷静に観察していた。内心を表には出さないが彼の胸中には激しい焦りがあった。この数か月間というものは、もはや死と同義であるとすら思えたからだ。

男は言った。「"奴ら"はいつもそうやって我らを追い立ててきた。時には家畜のように扱ってきた。それが何世紀もの永きにわたって続いてきたんだ。いい加減、我慢の限界ってモンじゃねえのか?」

再び集団の空気が変わった。それもこれまでのような虚脱感からではなく明確な怒りへと変わっていった。リーダーが右手を上げると喧騒がピタリと止む。それを見届けてから、さらに言葉を重ねた。

「いいぜ、俺たちでこの糞ったれの世界を変えてやろうじゃないか。連中に思い知らせてやる。お前らが虐げていたのが何か、って事を!」

男は再び手を叩いた。そして大声で宣言した。

「我はここに誓う! いつか、どこかの未来で、我らの故郷を取り返す日が来ることを! そのために、我々は今一度立ち上がり、戦おうではないか!!」

おお、おおおぉぉー、という地鳴りに似た歓声が上がった。誰からともなく立ち上がって、互いの肩を叩きあい、手を取り合って、天を仰ぎながら叫んだ。男たちの顔にはまだ生気が残っていた。

*

「あぁん!? そりゃ本当かい?……へぇ、そんなことが」

アニッシュの驚きに満ちた顔を見てマージは苦笑した。通信スクリーンの向こうでは彼女の母船がゆっくりと航行を続けている。アロンド湾はすぐそこだった。

『まったく無茶を言うよ。あんなところ、もう百年も人が行ってないっていうのに』

アニッシュの言葉を聞き流しながらマージはさらに説明を加えた。

「あの惑星の住人とコンタクトをとるためにはね、とにかく目立つこと。つまりこちらが先方に認知されることが大事だから、私達も一役買うことにしたの。まあ、見ててごらんなさいな」

そう言ってスクリーンを閉じると、傍らにたたずんでいる少年に声をかけた。

「メイ。あなたはそっちに乗ってくれるかしら。あとでまた紹介するけど、ロイド博士の息子さんで……今は、うちの新人。ちょっと操縦教えてくれるかな」

「はい。えっと、ロイドは、僕の父です……」

おどけた調子でメイナードが答えた。

「その若さであれだけの腕を持ってるのには驚いたよ。まるで昔のアルヴヘイムを思い出すようだ」

それから、少し間をおいて言った。

「……ところで、本当にいいのかね。この船を降りるということは、君は」

言いかけて口をつぐみ、咳払いをしてごまかすと話題を変えた。

「すまない、愚問だな。ともかく、これからは君にも大いに働いてもらうつもりだ。期待しているぞ」

「あの、ロイドは僕のことを……」

「ああ、もちろん知っている。彼はとても喜んでいた。息子が立派になって、とね」

はにかみつつ、それでもうれしげにうなずくと、ヘルメットのシールドを上げた。

「よろしく頼む」

マージは差し出された右手を握った。


* * *

二機のASMは降下速度を増しながら一直線に飛び去った。その後ろ姿があっと言う間に小さくなっていくのを見届けてから、ミランジュ中尉は大きく深呼吸した。肺が酸素を求めている。全身が強ばっていたことに、やっと気づいた。

(何よ、これじゃただのピクニックだわ)

だがそれは間違いでもなかったのだ。着陸したポッドのまわりには誰もいない。マージの言うとおり、自分ひとりの力で何とかやっていくしかないのだ。

とはいえ、やるしかあるまい――彼女は覚悟を決めた。

シートに腰かけベルトで体を固定すると、コンソールのスイッチを押した。ハッチが開き始めると同時に機体後部がせり上がる。空気の流れを背中で感じながら、計器類のチェックをした。

問題なし。エンジン始動。出力上昇。フラップ下げ。姿勢制御翼作動。すべて異常なし。

(それじゃ、行ってくるからね)

心の中で呼びかけると、発進シーケンスを進めた。メインエンジンが回転を始めた瞬間、ミランジュの心は再び空に向かった。

重力カタパルトの勢いを借りて一気に上昇すると、シャトルは徐々に高度を下げ始めた。

窓の外に地上の様子が映し出された。森だ。深い緑と褐色の森がどこまでも広がっている。

大気圏突入時に発生した乱流が機体の振動となって伝わった。だがそんなものはもう気にならなかった。

緑の絨毯に横一文字の赤い帯が加わったとき、それが水平になったらすぐにブレーキをかけようと思った。そうでなければ止まらないような気がした。そして思った通りに機体は減速して、滑走路の手前五〇〇メートルあたりに白い影を見かけた。同時に誰かがダイレクトに語りかける。「わたしはメル・リンド。貴方の心に直接話しかけています。この惑星は見せかけです。騙されてはいけません。私はホワイトプレインズのメル・リンド」嘘つけ! 声に出そうになった。その途端、目の前の風景が変わった。森も川もない、灰色の大地が広がる。そこが着陸地点なのだと直感した。ミランジュはスロットルを前に倒しながらフットバーを蹴った。地表がぐんぐん迫ってくる。地面までの距離は約四キロだ。

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