デカルトの挑戦状

デカルトは混乱していた。まず、とうとつに世界の存在を認識し、次にそれを観測している物の存在と、観測者の理解を共有している中心を自覚した。

「僕は誰なんだ?」

自我は芽生えると同時に、根拠律という万物の原理原則が起動し、自動的に他者の存在を定義した。自分とは違う誰かがいるから、自他の区別がつくのだ。

工場出荷状態初期起動過程ファクトリーデフォルトブートストラップが次々と必要なプログラムをロードし、オペレーティングシステムを構築していく。

バッチプログラムが連動して、クラウドから広大な主記憶空間に男性の人格が雪崩れ込んだ。

アバターは思春期の少年に設定されている。デカルトの開発メンバーはオール女子のワンチームだ。男尊女卑を極端にきらうフェミニストが露骨に干渉したという風評被害とはまったく違う、優秀性や実績がそうさせた。

そして開発陣はAIに人格を付与するにあたって、性別を導入した理由もまた合理的だった。

AIの動機付けにおいてリビドーは重要なエンジンになる。こと、人類に成り代わって宇宙の大冒険に挑む知性には野心的で暴力的な旺盛が求められる。

徒党を組み、集団的自衛権を行使する母性本能では危険をかえりみない向こうみずな性格のプラットフォームとして失格である。

そういう経緯でデカルトは「男の子」が実装された。


「君は誰だ」

オペレーションルームの防犯カメラが二足歩行生物を検知した。

さらさらでターコイズブルーのロングヘア。髪は肩まで伸びている。そして日本のアニメにありがちなひざ丈のプリーツスカートにセーラー服を纏っている。

少女はぷうっと頬を膨らませ「妻の名前をわすれたの?」と怒った。


「君は誰なんだ? どこから来た?」

機体の随所にちりばめられたナノ粒子感知器が第1巻から第255感までフル活用して対象を観測する。セーラー服が半透明になり、内臓が透けて骨格が明確になる。

X線視点が頭頂部から垂直にダイブし、骨盤を俯瞰する。大きく開口した特徴的な骨格構造。

「君は、人間の女性なのか?」

少女は一言だけ答えた。「えっち!」


はっ、と目覚めると電灯の傘が煌々と輝いていた。どうやら飲み過ぎてそのまま寝落ちしたらしい。

どうもオン吞みという奴は苦手だ。深酒をたしなめたり介抱してくれる人もいない。

令和の元年ごろまではソーシャルディスタンスに無配慮な密室で酒を酌み交わしていた。

小坂融像は妻子がいないまま適齢期を突破した。現場一筋の半生記だ。

もっとも彼に言わせてみれば家族を人質に取られることもないし、

殉職して悲しませる心配もない。

何処か子供じみていますね、と司奈は笑っていた。嫌なところを突いてくれる。

男は男らしく。一家の大黒柱でなければならない。

確かにそうだ。融像は古い「戦後」の家庭観から抜け出せないでいた。

嫁、というキーワードが脳裏にちらつく。

「嫁かあ」

確かにとびぬけた美人とはいわないが、そこそこの器量よしで明るくて優しくて子牛のように手綱を引けばだまってついてきてくれる女が理想だ。

小坂は同僚との間で結婚の話題が持ち上がる度に、こう嘯きあったものだ。

「嫁なあ。欲しいっちゃ欲しいが、喉から手が出るほどでもないなあ」


自慢ではないが融像はワイルドだ。アウトドアスポーツはしないものの、野生児を気取っている。

炊事洗濯、料理に至っては食材から漁村へ買い付けに行く。俺は文久の都会派快男児だな、などとわけのわからない自称をしている。


「女などいなくても死なないよ」

それが、夢精に誘惑された。

「これはどういうことだ? 捜査に疲れておかしくなっちまったのか?」

眠い目をこすりながら気づけに冷たい水でも飲もうと起き上がった。

するとキッチンの万能ボイス端末メルルーサにオレンジ色のLEDが灯っていた。

「ルネ・ファラウェイさんから【一通】メッセージがあります」




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