AI結婚理論

人工知能の学習は結婚と似ている。人間は物事を予測する際、縦軸に深刻さや期待値を取り、横に時間軸を置く。

そして、経過に応じた結果を点に記していく。もっとわかりやすく例えるなら恋人の月収だ。

交際中の女は考える。このまま時間軸を結婚後に延長した時、あの人の収入でやっていけるだろうかと。

点と点を赤ペンで結び、出産や子供の入学など節目節目の収入を予測したい。その為にはなるべく多くの点を結ぶ曲線を探す必要がある。


彼女は赤ペンで何度も何度も線を引きなおすのだ。まるで運命の赤い糸をみつける作業だ。

人工知能も手探りで事物の因果関係を学んでいく。これをフィッティングという。


さて、恋愛において白馬の王子様が迎えに来たり、一目惚れした相手と幸せな夫婦生活を満了する奇跡はそうそうない。


人は異性遍歴を重ねながらパターン認識を鍛えて己の理想像に近似した相手を選ぶ。


恋する二人はまことに客観的な赤糸データに寄り添うものなのだ。


「でも、二人がうまく行くかどうかなんて評価できませんよね」


英国、マンチェスターにあるラッセルフォード工科大学の講堂に失笑が満ちた。

機械学習に関する授業は美人のアリサ・テレーズ教授が教鞭を執っており、満席だ。

二回生のエドモンドがいい質問をした。アリサはさっそく評価関数の紹介をはじめる。


「伴侶にどれぐらい従っていけそうか、相手がどれほど理想像っぽいか。判断基準を設けるために評価関数という道具を用意します」


生徒のスピリッツに数式に流れる。「例として訓練データを用いる二関数を用います」

Σでおなじみの二項定理が右辺に記述された。

「Nは夫婦喧嘩の履歴です。愛する二人は衝突を繰り返して絆を深めていきます」


するとエドモンドが肩をすくめた。「夫婦喧嘩は犬も食わないってニホンのアニメで言ってましたよ?」

今度は爆笑の渦が巻く。

テレーズ教授は泣きそうな顔で多項式を書き換えた。


「で、ですから先ほど話したフィッティングデータ。赤い糸の描く理想像と現実の距離は定量化できますよね。ギャップを縮める関数を見つければいいのです」


男子生徒からヤジが飛んだ。

「日本製ジュブナイル(ライトノベル)の読み過ぎだ」


万事休すのテレーズ教授。助け舟を出したのはエドモンドだ。

「まぁ、お前ら落ち着けよ。ギャップ関数の皆無を証明してから騒げよな」

効果てきめん、ピタッと雑談が止んだ。アリスに微笑んで見せる。


「…まぁ、どうもありがとう。わたしの騎士」


教授は照れながら単元を次に進めた。


「さて、夫婦が元さやに納まったとしましょうね…そこ、うるさいです! 夫婦円満になったといったらなったんです」


テレーズ教授は仮説上の夫婦に更なる試練を与えた。破局の危機を回避する方法の一つとして互いの理解を深める道がある。

夫婦が相手の趣味や娯楽を理解し、価値観を共有する。もちろん、喧嘩の回数も増えるだろう、


ギャップ関数を活用することで二人はひとつになれる。そこで困った問題が発生する。


夫婦喧嘩の蓄積データNが蓄積されると補正するギャップ関数も増える。

その結果、フィッティングデータ—運命の赤い曲線が新婚時代に思い描いた理想像とかけ離れてしまうのだ。

喧嘩慣れしすぎて四六時中、盛り上がりっぱなし。


ある時は理想像に接近しすぎた日々、またある時は理想像の一部だけを誇張したような大げさな日々。

ジェットコースターみたいにただ忙しいだけの毎日になる。


これを過剰適合という。もちろん、夫婦が波風をたてない生活を送っていればギャップ関数も必要ない。


しかし、息が詰まるような関係も夫婦喧嘩不足によるフィッティングデータの乖離を招いてしまうのだ。

確かに妥協すれば理想像っぽくなるだろう。

堅苦しい生活のどこにギャップ関数が生まれるだろう。波風を立てない関係も夢をしぼませてしまう。

これを過少適合という。


過少適合は生活にうるおいを増やせば解決できるとして、過剰適合にはどう対処すればいいだろう。


「ハーレムあって一利なし、リア充爆発しろってことよね」


一人のモブが呟いた。開いたスピリッツとテキストの山を隠れ蓑にして、旧式のノートパソコンを叩く少女。

液晶ディスプレイにログインネームを打ち込む。


ルネ・ファラウェイ。

17歳。ラッセルフォード工科大学聴講生。

あらかじめ用意したパスワードリストで攻撃を開始する。


最初の一撃でヒットし、汎ヨーロッパ共同体住民基礎台帳システムにログインする。

ルネ本人の個人情報にたどり着いた。

チャカチャカと目にもとまらぬ速さでデータが書き換わる。

「職業っと…」

少女の手がハタと止まった。

「もちろん、ハッカー」


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