結婚という名の墓場

まだOLをやってた頃の姉はスレンダーで膝頭が少し隠れるスカートをかわいく着こなし。ワンレングスの黒髪を肩まで垂らしていた。

そして、会社の帰りに南青山のシルキーポアだかトビーフェイスだかの高級パティスリーで苺てんこ盛りのホールケーキを買ってくれていた。

それが、結婚した今はどうだ。不二亭だ!


スポンジとは名ばかりの板敷きに、これまた紙みたいなウェハース。ホイップクリームを出し惜しみしてある。

チェリーを三分の一だけ使ってフルーツ感を出せという方がおかしい。


「あら、せっかく買ってきてあげたのに。要らないならアタシが喰らうね!」


秒で皿をさげられた。片手でヒョイと名ばかりショートケーキをつまみあげ、パクっと頬張る。手鏡で口周りのクリームを気にするくせにリビングの姿見に腰までめくれたスカートが大写しになっている。


「ちょ、姉。うしろうしろ!」

遠回しに注意すると、シュッと後ろ手に裾をおろし、何事もなかったかのようにキッチンへ戻る。

そして、一週間分の食器をジャブジャブ片付けていく。


まったく、結婚は人生の墓場というが最高にオシャレで可愛かった姉をこうまでダメにしてしまうものだろうか。

時の経過は残酷だ。離婚調停が長引いて明日で3年目に突入する。そこから一週間で彼女は人生二度目の決断を迫られる。

離婚冷却期間クーリングオフ満了のまま、夫の浮気相手となかよく三人で暮らすか、死人を出すか。

こんな時、哲学者デカルトはどういうアドバイスをするだろう。

For nothing causes regret and remorse except irresolution.

優柔不断は後悔より先に立たず、だ。確か、あたしは3年前に同じ言葉を贈った。


好きでもない相手に情熱を燃やすってどういう気持ちだろう。配偶局がマッチングしたお相手は寄り目のブダイがラッシュアワーの車扉に挟まれたような容貌で、稼ぎも良くなかった。

それでも、「極超」稀子長老化社会こどもげきレアじじばばしゃかいの要請で罰則付きの就婚をしなかればならない。

違反者に待つ境遇は死ぬより恐ろしい。国家が子供を産もうとしない女に何をするか想像に難くない。「こうのとりナビ」が導く出会いは最後の慈悲といわれていた。

どうしてもダメという人は一定数いる。彼らに対しても国は里親というキャリアパスをちゃんと用意している。

ちゃんと人の親になれて幸せじゃないかとマッチングされたカップルはいう。でも、彼ら彼女らの顔は笑っていない。


そして、姉はみごとにこうのとりの陥穽に落ちた。

「貴女はいいわよねぇええ!」


くるりと振り向いた姉が裾で手を拭いている。バスタオルじゃないんだから、せめて家の中ではやめてほしい。私だって大学の単位を1つ落としていたら露出度の高い服を着いたのかもしれない。姉の側に行かなかった理由は配偶法の特例項目だ。極めて高度かつ国家戦略に必要欠かざる才能専門性を有し余人を以て代え難い人材は内閣が設置する専門者会議の助言と審査を経て結婚が免除される。


「アタシが稲田姫いなだひめのプロジェクトと結婚したのはねーさんのためよ…」

「はいはい!たっぷりケツの毛まで毟り取って返すっていったじゃない!」

しつこいのも婚期を逃した原因だ。元夫も見合い当日から粘着されたらしい。

「とにかくあと一週間、大人しくしててよね!ハンコを貰えなかったら、慰謝料がパーになるんだから」


私がたしなめると引き戸がピシャッと閉まった。シルエットがすりガラスごしにゆらめいて、ヌッと大根脚が生える。そしてつま先でぐしゃぐしゃのドレスを蹴り出す。これを洗うのも私の仕事だ。


ジャーッという滝の音を背景に私は何とも言えない空しさを感じた。修行するのは姉の方だよ。暗澹たる気持ちで腰をあげ、ドレスに手を伸ばすとスピリッツが鳴った。招き寄せると風が逆巻いて半透明の正方形が実体化する。

「はい。清美です」

プロジェクトメンバーのえりっち。矢作絵里奈。私の概念上のオットだ。

「キヨ? すぐ来て!ヒメが大変なことになっているの」

「大変…って、あなた何時も大変じゃない」

「スペッッシャルたいへんなのよ!」

「だから、何?」

「姫がいなくなっちゃった!」

「ハァ?」


そこで通話が切れた。五分後、私は印旛沼アルゴリズム推進研究所の赤い建屋に舞い降りた。ワンマンドローンがよたよたと入道雲に消えていく。生ぬるい風が髪を揺らす。着陸前から察していたが人の気配がない。それどころか生活感が消えている。そういえばナビシステムが何度も念押ししたっけ。アルジェラボは25年前に廃された。押し問答が面倒になって私は3年ぶりにコマンドラインを手打ちしたのだ。経度緯度を指定して強引に到着した。屋内は禁コロだ。感染症対策のために服をダストシュートに入れ、シャワーを浴び、自分のロッカーから下着を含めた一式を取り出す。銀色の糸くずが一杯ついていた。

「うぇっ。衣魚だらけじゃん」

濡れた体のまま検疫場を素通りして職場に向かう。立体印刷機にパターンが入っていたハズだ。姫が着せ替えごっこするためのデータが。そこで私は見たくない文章に出会った。

〝KiY♡へ。これを見ているということはあたしは…"

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