真っ赤なポルシェ

「ジレットさん、何をしているんですか」ととがされて彼女は強張る。

そしてそそくさと水晶玉をスカートの内ポケットに隠した。

「見せてください」

ジョゼが厳しい表情で掌を上にして迫る。突然死外来の銘板を課長が改める。

通常ならあり得ない業務だ。亡者を見張る眷属とそれを使役する権限は天魔長官と上級省庁の閻魔省に属する。キースは点検業者フィールドサービスの資格で銘板にログインした。「見せて下さい。そのスカートの」

なおも険しい顔でジョゼが詰め寄る。熟れた唇。わけありな目線。

「スカート?…ああ、ううん、あのね。あたしにはお嫁さんがいるから」

しどろもどろにキースは後ずさる。「ああ、アドニス・フェリス…かわいい子でしたよね、彼女…こんなことになってしまって。ご婚約なされてた?」

ジョゼは涙ぐむ。「ええ…」キースも顔を曇らせる。ぶつぶつと想い出語りしつつ水晶玉をまさぐる。その腕をジョゼが鷲掴みした。

「スカートのポケットに忍ばせた、これは何です?」

ギリギリと手首を締め上げる。転がり出た水晶玉の中で栄一が憤ってる。

『神も仏もあるもんか!』

「アドニスがここに来た日の記録よ。貴女、天魔庁が無くなるってご存じ?」

キースはその場を取り繕う。

「あーあー…なるほど、許嫁の思い出に…大好きだったんですね」

ジョゼは大仰にうなづき、キッと目を光らせる。「でも、違反ですからね」

キースは手の甲で目尻を拭い前髪をパサパサと整える。「ごめんね」

素直に水晶玉を返しエレベーターの扉を閉じた。

そして毒づく。「何よ!いけ好かない女」


安田富雄の居場所は意外と簡単につかめた。小石を隠すなら砂利の中。東都令和建設社外取締役をチェックする機能を使えばいい。監査役会監査の出番だ。キースはボリューム感たっぷりの黒髪を腰までたらし無地ネイビーのベストに膝頭を隠す丈のスカートで公認会計士事務所を後にした。社会取締役や監査役が蚊帳の外に置かれる場合は何も社長解任動議だけでなく組織ぐるみの粉飾決算がある。安永栄一がホステスに殺された事件は警察沙汰になり、東都令和建設幹部にとっても寝耳に水だったはずだ。どうにかしてくれと泣きついた。

上や下への混乱の大混乱を人手不足で補おうと非公開求人がなされ、そこに職務経験者が入り込む余地があった。キースは堂々と欲しい情報を手に入れた。


蜂狩県はちかりけん蔦葛市つたかずらし逆世川よがえりがわ上流のダム建設現場からほど近い建売住宅に安田富雄がいた。湖底に沈む村落が移転工事を進めている。そこから見下ろす清流は非常に既視感が溢れている。

百年に一度、千年に一度の水害に備えて逆世川に大規模な水防を施すという。

が、地上討伐軍が禍つ風を吹かせればひとたまりもないだろう。

そこまで分かればじゅうぶんだ。彼女はその足で次の場所に向かった。


「あら、あなた」

林崎俊哉はやしざきとしやがポルシェ・マカンで乗り付けたら妻の眼の色も変わる。猫科の髭を思わせるフロント周りは毛皮を被った優美さがある。

キースは都内のタワーマンションを購入し俊哉の身元引受人になった。その金は資金運用で得た。天の動揺は下界の投資家心理に前駆として表れており東都令和建設株の乱高下もあってたやすく蓄財できた。名義人の学資にはなる。


しだれかかる安永紗希キースを多少迷惑に思いつつ、男は言う。

「安永綺羅は転生しているのか?」

秀美が首を振ったので、

「そういう可能性を捨て切れない」

と、俊哉が言った。

「これまでのことは、俺らの責任だ、と、言える」

紗希を見て言った。

「その転生前に、何かがあったら?」

紗希の言葉遣いが違うと思ったが、

「何でもないですよ」

思わず口に出してしまった。

「そう…」

紗希は素っ気ない声で言った。

「安永綺羅の人格に重大な問題がない限り、俺と結婚してくれ、と、秀美さんは富雄氏に言われました」

安永綺羅は、俊哉が思っているようなことを口にしたのだ、ということなのだろう。俊哉にはそう聞こえた。

「俺たちは、幸せだったか?」

「まあ、はい」

「紗希、俺はあんたが何を言おうと嬉しい。だが、俺はあんたのことが好きだ。だから、もっと、自分に近いところを好きになれ。そう言いたいんだ。でも、それは嘘だ。俺の気持ちは今でも揺れない。だから、俺たちが離婚するのは勝手だ。俺たちの婚約は破棄する。そして、俺たちの結婚生活は崩壊する」

俊哉はそこまで言うと、少し考えて

「いや、いい。もう、いい」

と、言った。

「そんなに、俺と離れるのが嫌なら、この部屋には俺の他に誰もいないのだから離れてくれ」

「でも、別れて欲しくないんですよ」

紗希はそう提案したが、

「いや、いいよ、もう。俺のことは気にしてもだめだ。この部屋だったら、俺たちは一緒だ。紗希、俺は、彼女を手放さない以上、俺の彼女なんだ。このまま彼女の隣にいることを俺は望む。それでも、無理だと言うなら俺と彼女は別れる。離婚だ」

俊哉の言葉を聞くと、紗希は口をつぐむ。秀美は終始無言だ。

彼は続けた。

「秀美の話によると、俺は今までの人生で一番幸せなんだ。俺は、自分に幸せをかけることで満たされた気分になれる。それに、彼女は俺と別れた後、俺を探そうとしたんだが、俺は見つからなかったんだ。この部屋には俺と彼女しかいないのは嫌なんだ、彼女に何を言われても、俺は俺のことを愛してくれた彼女が、俺を探してくれない限り、彼女と別れてやることはなくなるんだよ」

「じゃあまるで、私がそれで幸せになれると思っているような言い方」

「それはさ、彼女はこの俺と彼女の幸せを願っているんだ。この部屋には、俺と彼女しかいない、それだけだろ」

「だったら、私だけが幸せになることなんてできないでしょ。私が幸せになった時、あなたは幸せでしょ? あなたは彼女と別れることになる。それで、私は幸せになれる」

そう言う紗希の目は、本当に純粋で、強くて、優しかった。

俊哉は、この子は、俺を守ってくれるんだと、感じた。

こうして、俊哉は紗希を受け入れ、秀美を部屋から追い出すことに成功した。

拠り所を失った女はお腹を痛めた子のもとへ走る。そして精神的支柱を求める。捨てる神あれば拾う神あり。ナーロッパ教団。

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