室伏楓《むろふしかえで》が寝

室伏楓むろふしかえでが寝返りを打つと柔肌の温もりがあった。沈み込んだ半身をトーションバーの反発が受け止める。正直なところ点と面で支える寝床は苦手だ。身を預けた側に突起が集中してどうしても意識してしまう。細かい毛羽立ちが皮膚に刺さる。腰回りだけ薄絹の表面張力を感じる。

「あら、起きたのね」

目の高さにサヴォナローラの腰があった。面積の狭い純白が褐色を斜めに支配している。

「先生!」

楓が慌ててシーツを寄せる。教授は構わず脂肪を揺らしながらカップに白湯を注ぐ。ローズヒップがかぐわしい。進められるまま一口含むと完熟トマト風の甘いまろやかさと僅かな酸味が残る。高揚感とともに睡魔の淵から断片が浮上する。東空が白むまで二人で議論した。

感情論って何だろう。そもそも理論と論理はどう違う。澪の反射した命題は刺さったまま疼いている。ハーブティーでも癒せない。夢うつつで記憶を探る。結論に至った、という感触はあった。それともあれは夢か。

「寝落ちする前にメモしたでしょ」

サヴォナローラは化粧台の紙片を拾った。蛇行する筆跡は身に覚えがないものの自分の癖字だ。

"ロジックとは順序立てた思考の連続であり時系列の一貫性であり…”

「なにこれ、わけがわからない」

楓は丸めた紙をベッドサイドの屑籠に放った。

「それだわよ。わからない?」

教授が目くばせをする。

「こんなゴミが解答なんですか?」

怪訝そうに質問を投げ返す。屑が葛城澪かつらぎみおを打つ礫だというのか。

「落ち着いて考えてみて。今、貴方は感情のまま行動し問題提起している。ゴミが解決の糸口になるのか」

指摘されて頭の霧が晴れた。感情とは外部刺激に対する反射だ。五感を入力値として行動をアウトプットする。運動として行われる筋肉の収縮は一連の判定、条件分岐、選択項目の決定である。

「感情と論理は相反するものではなくロジック…」

「だから感情【論】なのよ」

サヴォナローラが結論づける間に楓はそそくさとスカートを穿いた。


Output text:

下着は必要ないのだ。

「先生はどう考えてるんですか?」

「問題が起こっても感情の展開に変わりはない。だから冷静に考えられ。問題ならその都度考えましょう」

教授との対話はいつも決まっていた。楓は眠りについている間に教授が考えたことに応じて行動を変えた。

「問題の提示ではないなら、感情の展開に変化はあるの?」

「あります」

教授が言うように今までの議論では感情的反応が展開していた。問題だとすればその感情の形に変化が表れているはずだ。

「つまり、感情がないのはどうだと言いたいのね」

「そんなこと!」

答えを急かすように楓はそう言い切った。教授は「んー」と思案した末のような間があって、「………」と一言漏らして口を噤んだ。そして再び口を開く。

「感情は変化しない」

それが答えだと聞こえた。この声はまるで思考の海に投げ込まれたかのように重かった。

「先生は感情論のこと、知ってますよね?」

「言わないって決めたわ」

「じゃあ、今の俺を知ってますよね。感情論って?」

言葉の意味を突き止めるどころでなく、事実として理解し始める。

「『感情論とは感情だ』と言ったのは誰だ?」

この言葉は単なる願望だ。言えないのは当たり前のことだ。

「………」

言えないことを否定した。

「君は『感情論者』か」

教授が言うとまたもや声を詰まらせる。

「どうした?」

そう問われて、また沈黙に陥る。

「感情は動かなかった」

「先生は感情論してるから?」

沈黙が返って、その後また沈黙が続いた。

「そうか。感情とは感情で考えるべきものだ」

「なんですか?」

「感情は感情だろ。そのために言葉は作られる。感情という問題解決の鍵になる何かが必要だろ。感情っていう単語が『この感情は…』の部分なのか、『この感情を…』の部分なのか。そうした感情的思考を考えている。それによって何かが作られて、それこそ感情論という言葉が出来上がる。そして、僕はそれができない。感情とは、感情論は…感情であってはいけないんだ。感情ではない、と言わなければならない」

教授はまた続けざまに言葉を発する。

「そうだな。感情という問題解決の鍵にも繋がる、感情論だ。感情論は人を納得させる、感情論とは感情論においてそう呼ばれるものだ。感情論は感情論なのだ」

「………その感情論こそが問題に繋がる。ならどうすればいい?」

「それについてだ」

教授は私も今まで以上に真剣な表情をして、

「これは感情論における話の内容によるだが、感情論で問題解決をしようということを最初に話したい。それによって、感情論とは、人を納得させるだけの感情であるという事を説明できないのは悲しい。そのために、感情論における問題解決の鍵となる、感情論の説明を話そう。僕らは感情論という言葉が好きだからそうなっているが、感情論と感情論はいつも違う。感情論では感情から起こる問題を解決するのだが、感情論での問題は僕は僕なりに考える。感情論でいい。僕ならこういう時に感情論という言葉がつくまで説明したい。それで話してくれないか」

これが教授の最初の話だった。

僕がその問題を考え、問題、感情論と出たからそれを聞きたくて、その問題は…こうして説明したいと言う気持ちだったから感情論でいいという話をしたのだ。

それでこの日の講義は終わった。

教授が去ってからしばらくの時が流れていた。

「感情論」が何を意味するとしても、「感情」も「感情論」もあまり意味が無いことだ。

それは言葉にしなくてはならないためだ。

つまり、感情とはなんだ?

それはいったい何なのか、考えている。

それはいったいなんなのか。

その答

流れよわが涙、と警官は言った

だが警官は誰のために泣くのだろう

犠牲者のためか

いやそれは遺族の役目だ

では警官は自分のために泣くのか


Output text:

「このままだと、あの子が死んでしまいます……」

警官が見つめる先の暗闇がさらに暗くなっていた

その時、何かが警官の顔を撫でた

あの子だといった彼女が

僕は見つめる前に口づけた。


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