朝焼けがすぐさま眩しい陽光に変わった
朝焼けがすぐさま眩しい陽光に変わった。波止場の奥に見える青屋根は漁師の小屋だ。狭い海峡から大洋に向けて尾根を風が駆け降りる。扇状台地に拓けた福江の港町は大鯖のシーズンを迎えている。遠洋漁船を横目に護岸から糸を投げる人々がいる。澪は火照った体を冷やすため海を見に来た。肌を焼く紫外線が憎たらしい。楓を泣かしたあと祝い酒の名目で誘われるまま街へ出た。男から女、女から女へ転がるように身をまかせ気づいたら制服が薄いワンピに替わっていた。二日酔いが見せる黄色い太陽に気を取られて水に落ちた。
「澪ちゃん!」
とぷん、と飛沫があがりボーダー柄の生地が波にもまれる。強引に腕を掴まれ息苦しさから解放された。尖った前髪の隙間からたわわな胸が見えた。深紅のビキニブラ。
「
必死にしがみつくと逆にぎゅっとしてくれた。ぽたぽたと彼女の顔面から水滴が垂れる。
「泣いてるの?」
腫れた目じりから直感した。
「当り前でしょ。あたし独りじゃ生きていけない」
「私のために泣いてくれるの?どうして」
怪訝そうな澪に紗綾は更なる涙を流した。
「どうしてって…わからないの? わあああ」
ただただ泣きじゃくるばかり。澪は状況を説明できない。
どうして、どうして涙をながすの。
「もう、なによ、なによ。紗綾の、しょーがないなー!」
「やだよ~!やだよ、なに泣いてるの?!」
「やだやだ、やだよお。お姉ちゃんのしょーがないんだもん」
もうだめだ。澪はふらついた足で家へ入った。
神室さんはどうして泣いているんですか?
「神室さんはどうして泣いてるんですか?」
「いや、その、紗綾。紗綾のお姉ちゃんがさ~」
澪が振り向くと神室は何もない場所を指さした。
「ちょっと待って…こっち」
神室に指さした壁は波打つ波が、この上に浮かんでいる。
「ここが、こっちに……!」
「お姉ちゃん、行って」
「ここって?」
「ここが、ここが、あ、ここだよ~」
指差した波は急に揺れ下に落ちてきて澪はびっくりして体を丸める。
「ほら、ちゃんと掴まって…」
「でも、どうやって見に行けば…」
澪は神室の指を離し戸惑った表情で空を見た。
「神室さん…波打つ波のことを聞きたいんですか?」
「うん。波打つ波には名前の文字があって、それが、波の色と思って…」
よくわからないと澪は眉を曲げる。
「波が波ですか?」
「そう、波が波」
「うん。……そうですね、そうかもしれません」
澪は神室の意味不明な話に首をかしげた。
「波が海でしょ?」
「そう、そう」
「え?」
「うん。波が海。そして、海の色は赤と緑」
「じゃ、なに。波の色は?」
澪が首を傾げると神室は笑った。
「ほら、赤と緑じゃないよ。その、ほら、波の色は海で、紫でしょ。その、紫は、私が一番知ってる色ってわけじゃないけど赤と緑ってことで」
「じゃ、紫は?」
「いいえ、紫は白い海に、緑は青なんだ。紫の赤の下に緑が、紫の青を引いたあとに同じものが赤に、緑は紫で、紫を白に引いたあとに紫があるけどそれはちがう。紫はさっき説明した青。紫は青。海は青じゃない。海の色だよ」
そう言うと神室は頭にかぶっていた帽子を取った。その帽子の色は白く、長い髪を流れるその髪は赤色の縁石に触れそうだ。
「神室さん、この帽子、赤と緑の縁石に触れてみてください。そうすればわかります」
そう言われて、澪は神室に言われた通りに長い赤と緑の縁石に触れた。
「どう?」
「ああ、うん。いい感じの色だな。でも、その赤と緑は青の色なんだ」
「青と緑なんです。それでこれが…」
澪は、神室が手に持っている何かを見て、それが何かはわかっていた。
「これ?」
「ええ。それは澪さんが読んでた、赤く塗られている本。これが『海の言葉で説明する物語』です。これは海で調べられた物語を書くように海の言葉で、説明文も付けられています。これでわかることは全て、ですが…」
神室は澪の顔を見ないで、澪に説明を始める。
「私が話を聞く限りでは、色と海の色について簡単に説明することを知らない人に多く説明させるような説明は不可能です。ただ、それを教えてくれる人は少ないので大丈夫だと思います。つまり、説明をしてしまうと、理解を示しにくいことが起きることも考えられます。それが説明する時のいろんな部分ですね」
「それは説明を知らないとだめ?」
「いえ、そういうことではなくて…」
この言葉が言えないなら、言えないでいいと神室は言った。
「神室さんも、説明の時に色と海の色と……色と、海の色……ですね」
「そう。説明してくれる人が少なくて、話の進行を遅らせて説明してくれる人もいれば、聞く意味が違う人もいます。人が見た色と海の色は違うと思って、それを説明するのは変だという事です」
「なるほど…」
「ですので、どうして色と海の色を教えないといけないのか、という問題もありますが、その方法です。この方法を説明しますね。
色は、赤・青・黄の三種類。これを全部教えてもいいんです。しかしそれをすべて説明して、その色がどういうものなのかを知らなければ、人はその色のものを見ても、どんな気持ちを抱くでしょうか? 説明をするとしたら、どんなことを思いますか? たとえば……赤は怒りとか、怒りに近い感情だとします。青は悲しみとか……そうやって説明をしていけば、この三種類の色はすべて、悲しい色や怒っているときに見るものだと説明ができてしまう。でも、それではつまらないでしょう? だから、この方法は教える時に、あまり説明しないようにするのです。
たとえば、赤は血の色で、赤いものは危険で危ないとか……そうやって、説明を少なくして、いろいろと説明をする時は、できるだけ説明しない方がいいということです」
「じゃ、なんでこの本には説明があるんだろう?だって……」
「それは……」
神室は少しだけ言葉を止めてから答えた。
「……それはたぶん、説明が必要な人もいるからです。
たしかに、説明をする必要もないかもしれない。でも、必要だと思っている人もいるから、書いてあるのではないですか? そして、説明が必要だと思う人の中に、海の色の説明がなくても、自分の想像で海の色を考えられるという人もいます。
もし、その必要がないと思うのならば、説明を省いてしまって、そのまま海の言葉を使ってしまえばいい。
私は、説明はあったほうがいいと思っています。なぜなら、知らない人に説明する時には、まずは説明をしなければいけないから。
説明をしなければ、何を伝えたいかわからない。
そして、海の色を教えるためには、その前に、海の色が何色かを知っていなければならない。
そうしないと、その説明ができない。
でも、海の色を伝えるためだけに説明する必要はないとも思っています。
海は青くて広いんだって言えば、その海を知っているのなら、青いんだなって納得できる。
ただ、その海がどこにあるかまではわからないけど、とにかく海は広くて、深い青色をしているってことは、知っているはず。
でも、海は青くなくて、緑で、紫で、赤で、黄色で、白で、黒で、透明で、いろいろな色があって、いろんな海があることは、伝えないことが多い。
そして、その海を、他の言葉で伝えることも多い。
その方が簡単だし、その海がどういう海かを伝えれば、後はその海を見た人の頭の中で、勝手に海を創造してくれます。
海は青くないって言うよりは、青くない海もあるって言った方が、まだましな気がしませんか? もちろん、すべての海を同じように表現することはできません。
同じ場所であっても、海の色は変わります。
海の色は一つしかないのに、一つの色に決められていない。
でも、その海が青かったら? 青くなかったら?青は青だったら? 青は赤だったら? 赤は赤だったら? 赤は緑だったら? 緑は? 緑は? 緑は? 緑は? 緑は? 緑は? 緑は? 緑は?緑は?……青に、赤に、緑に、紫に、黄に、青に……赤に……緑に……紫に…………」
「えっと……」
「赤は血の色で、怒りの時に見られる。赤は危険な時に使われる。赤は……赤は……」
「……え?」
「海の色は何色で、何の色に……赤に、緑に、紫に……」
「ちょっと待ってください。神室さん?」
「あ!ごめんなさい。説明しすぎちゃった」
「……あの……赤は血で……」
「あ……ああ~あ、え~あ~~」
「大丈夫ですよ。大丈夫。神室さん」
「うん。ありがとう」
澪が微笑むと神室も笑顔を返した。
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