逆説、マックスウェルの悪魔

たった一枚のマルゲリータピザが第七食堂に血の雨を呼んでいる。人は自由闊達を求める代償に秩序という対価を払わされる。

最高学府の独立尊重とはいえ学内に警官は立ち入り可能なのだよ、とサヴォナローラは短く警告した。暴力は許さない、と携帯を緊急通報モードにして掲げる。そして付け加えた。45分後に講義がある。時計を見ながら羽田絢子に現状認識を促す。

「外食する時間が失われたよ。本来このピザは講師向けに用意された特別献立だ。それに私が先に並んでいた」

羽田は譲らない。「あら、でしたら私に空腹で授業を受けろと仰る。それに喫食機会の平等提供は白熱大学の基本理念。先生の仰るスペシャルメニューの話が本当なら教授会は解散すべきですね」

そしてこのような権利の衝突はエゴ丸出しの人間に調整は不可能だ。裁定する審判本人が既に欲望にまみれている、と喝破した。

教授会というのは各国・各大学などによって、制度上の権限は異なるが、一般的に教授会に所属する各々の大学教員の意思をとりまとめる合議制の組織である。光学部長はサヴォナローラの校風違反について教授会を飛び越えて文化教育省に直訴すると吠えた。

「そこも人間社会なのだけど…それから紗綾ちゃんを放っておいていいの?」

楓が反撃した。涙で濡れたスカートも乾いている。悪態をつける程度に回復したようだ。澪はハッ、と気づき席をはずそうとした。

が、「その手に乗るもんですか」と言い返した。

「空腹空腹という割にお友達には冷たいのね」とサヴォナローラもあげつらう。そしてゆっくりと光学研のメンバーを見回した。

「澪は今さっき入会したばかりでしょ、それに…」

羽田の後を部長がついだ。

「法の不遡及という用語ぐらい先生も知ってるだろ。カメラを停めるな」

撮影班に向かって記録保全を命じる。そして教育省に洗いざらい提出すると息巻く。

「澪が入部したのは正確に何時何分何秒? 公式な記録はある?」

楓がツッコんだ。カメラのタイムスタンプは信用できない。光学部の改竄し放題だ。「学食の監視カメラがあるだろう」、とサヴォナローラが言った。と、同時にしまったと顔をしかめた。

敵の術中にまんまと嵌まった。揉めていた命題はまさに公平性の担保だからだ。

監視は誰が担うのか。

制作中の作品はそれを扱っている。

「神様にでも委ねろっての?」

楓はあきれ返る。そして紗綾ちゃんの守護神はいつまで放置するの、と煽る。

「うっさいわね」

澪がしぶしぶ「さぁやー。ごめ~ん」と戻っていった。

「神様か…」

サヴォナローラは時計をチロと眺めスマホで学内掲示板システムにログインした。授業の変更を告知した。開講三十分前までの周知は認められている。

「今日はここでやる」

学生食堂なら空腹の問題は一挙に解決できる。ほどなく、きゃあきゃあと女子大生がなだれ込んできた。レジにたちまち行列が出来る。

紗綾の介抱を終えたらしく戻ってきた。

二人の第二ラウンドが再開する。

「百歩譲って神様待望論は認めよう。制度設計の自己診断はルールの枠内では不可能であるとする『ゲーデルの不完全性定理』にも合致する」

サヴォナローラがいう原理は「この世に正しいことなど何一つない」という至極当然を定めている。ルールの正当性を審査する別枠のルールが必要だ。

「神の視線かぁ」、と楓。

「人間は神様を調達できない。どうするつもり?」、と教授が投げた。

もうすでに授業が始まっている。

そしてスマホを用いて食堂の壁にスライド投影する。

マクスウェルの悪魔だ。物理学は神の視座を想定している。彼には全知全能の設定がされている。例えば冷たい水分子とそうでない物を選別してぬるま湯を熱湯に戻す神業ができる。

「マルゲリータピザはマックスウェルの悪魔に依託すればいい、光学部はそう認識しているんだね?」

羽田が挙手した。「そうです。先生。『枢軸特急』という作品は世界の永久平和を達成するために全能の監視者を要請しているんです」

「全体主義のプロパガンダじゃん。一から十まで審判されて幸せに萎えるの?」

楓が猛反発した。


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