論と情のぶつかり合い
Flow my tears fall from your springs(流れよ、わが涙)
目撃者の耳にこびりついた語句が独り歩きしている。元はイラクだかシリアだかテロ現場に出動した地元治安当局者が惨状を見るなり発したとも殉職者の遺言だとも諸説紛々だ。ただそこから生じた命題が鶏と卵に飽きたネット論客の興味を誘った点は確かだ。
授業が始まるやいなや、
楓は澪に紙屑の事件を投げた。
「感情は論理思考に紐づいている。感情はデジタルで喜怒哀楽は演算子である。そういいたいわけ?」
「ええ、澪はどう考えてるの?」
「問題が起こっても感情の展開に変わりはない。だからこうして冷静に考えられ。問題ならその都度考えましょう」
課題解決と感情は分離されるというのだ。
澪との対話はいつも決まっていた。楓は眠りについている間に教授が考えたことに応じて行動を変えた。
「問題の提示ではないなら、気持ちの推移に変化はあるの?」
「あります」
澪が言うように今までの議論では感情的反応が展開していた。問題だとすればその感情の形に変化が表れているはずだ。
澪が質問の答えを質問で返す。
「つまり、ロジックを積み上げたにもかかわらず感情演算子が機能してない。逆に言えば私が冷血であり無神経にもなれる。そう言いたい?」
「そんなこと!じゃあ、売り言葉に買い言葉だけど、今私にそんなことをいう貴女こそどうなの。私が貴女を無神経呼ばわりした。よくそんなこと言えるわね」
答えを急かすように楓はそう言い切った。澪は「んー」と思案した末のような間があって、「………」と一言漏らして口を噤んだ。そして再び口を開く。
「感情は変化しない」
それが答えだと楓には聞こえた。この声はまるで思考の海に投げ込まれたかのように重かった。
攻め方を変えてみた。
「澪は感情論のこと、知ってるよね?」
「言わないって決めたわ」
「じゃあ、今の私の気持ちを理屈抜きにわかるよね。感情論って?」
言葉の意味を突き止めるどころでなく、事実として理解し始める。
「あの時『感情論とは感情だ』と言ったのは誰?」
この言葉は単なる願望だ。言えないのは当たり前のことだ。
「………」
澪は言えないことを否定した。
「感情で私の気分を計測できないという貴女は『感情論者』かしら」
楓が言うとまたもや声を詰まらせる。
「どうしたの?」
そう問われて、また沈黙に陥る。
「煽られて気持ちは一ミリも動かなかった」
入力対して応答しない、という条件分岐も論理ではないのか。
Not…否定演算子だ。そこで楓は問いただす。
「澪は感情論してるから?」
沈黙が返って、その後また沈黙が続いた。
もやもやした胸中をどう定量化しろというのだ。
「そうか。『感情』とは感覚的に考えるべきものだわ」
「なんですって?」
楓は聞き返した。
「感情は感情でしょ。そのために言葉は作られる。感情という問題解決の鍵になる何かが必要でしょ。感情っていう単語が『この感情は…』の部分なのか、『この感情を…』の部分なのか。そうした感覚で考えている。それによって何かが作られて、それこそ感情論という言葉が出来上がる。そして、私はそれができない。感情とは、感情論は…論理であってはいけないの。感情『論』を否定する、と言わなければならない」
澪はまた続けざまに言葉を発する。
「そうね。感情という問題解決の鍵にも繋がる、それこそ真の感情論よ。エモーションは人を説得する、感情論とは直感という不可算名詞に基づいて計量されるものだわ。感情論は感情論よ」
「………その感情論こそが問題に繋がる。ならどうすればいい?」
「それについてよ」
澪は楓に今まで以上に真剣な表情をして、
「これは感情論における話の内容によるのだが、感情論で問題解決をしようということを最初に話したい。それによって、感情論とは、人を納得させるだけの感情であるという事を説明できないのは悲しい。そのために、感情論における問題解決の鍵となる、私なりの説を話そう。
私らは感情論という言葉が好きだからそうなっているが、感情論と感情はいつも違う。感情論では感情から起こる問題を解決するのだが、感情論での問題を私は私なりに考える。澪の感情説と呼んでもらってもいい。私ならこういう時に感情論という言葉がつくまで説明したい。それで話してくれないかしら」
これが澪の最初の話だった。
楓がその問題を考え、問題、感情論と出たからそれを聞きたくて、その問題は…こうして説明したいと言う気持ちだったから感情論でいいという話をしたのだ。
直接対決は痛み分けに終わった。
それでこの日の講義は終わった。
澪が去ってからしばらくの時が流れていた。
「感情論」が何を意味するとしても、「感情」も「感情論」もあまり意味が無いことだ。
それが何であれ伝えるためには言語化フィルターを通して言葉にしなくてはならないためだ。
つまり、感情とはなんだ?
それはいったい何なのか、考えている。
それはいったいなんなのか。
その答
流れよわが涙、と警官は言った
だが警官は誰のために泣くのだろう
犠牲者のためか
いやそれは遺族の役目だ
では警官は自分のために泣くのか。
思考実験モデルを即興で組み立ててみた。
例えば、例えばだ、救急搬送の受け入れ先を探す間、冷たくなっていく交通事故被害者。
「このままだと、あの子が死んでしまいます……」
警官が見つめる先の暗闇がさらに暗くなっていた
その時、何かが警官の顔を撫でた
あの子だといった彼女が
彼が見つめる前に口づけた。
警官と母親は不倫関係にあった。母は噓泣きをしつつ関係の清算を内心喜んでいた。警官にとっては守るべき大儀だった。二人に感情は計量できない。
涙は誰のものか。
それは自分のためだ
だからこそ警官は流れよ。
涙はもうひとりのために流れるのだろう
それならそれ以上、泣きたければこう泣けよと。
流れとは何だ。
言葉は意味ある言葉であるべきだ。
そしてそれは言葉そのものであるべき。言葉とは言葉と呼べなくてはならない。
その言葉そのものがなければ、ただの言葉であり、文字である。
言葉とは言葉である。
それ以上の意味を持ち得ないものではないとも限らない。
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