第3話 仲の良い女子二人(高梨鞠華)




 ベランダでの一件において何とか難を逃れた惣太。


 だがその翌日の昼休み、強烈な敵意の視線を向けられ、惣太は縮み上がっていた。


 男子のほぼ全員が、親友の久志や幸次までもが、惣太に胡乱な眼差しを向けている。


 そのじりじりとした真夏の太陽のような視線に目を伏せつつ、惣太は今朝方の出来事を回想していた。


 事の発端は今朝の通学路にある。


『ねぇねぇ、惣太? 話聞いてる?』


 回想するとすぐに今日も綺麗だった由紀の横顔が思い出される。


 実は今朝、惣太は由紀と一緒に登校したのだ。


 注目を避けたいこの状況で由紀と登校するとは理解し難い行為かもしれないが、そういったことがあったのだ。


 もしかすると男避けだったのかもしれない。惣太の思考は回想の中に没入していく。


「聞いてるって。ていうか名前呼びやめろよ」

「大丈夫だよ、誰も聞いてやしないし聞こえやしないって」


 チュンチュンと雀が鳴く通学路に由紀の声が響く。昨夜の雨により濡れた歩道でのことだった。


 確かに周囲の会話が聞こえるような距離に、人はいないけど……。


「だけどどっちにしたって一緒に登校していたことはバレるだろ? 秘密なんだぞ俺たちのことは」


 バレたらどうなるんだよ、と渋面を作る惣太だが、由紀は惣太の心配などどこ吹く風だ。


「ま、その時はそのときじゃなーい?」と惣太と由紀の間柄が噂されるこの状況を楽しんでいる節すらある。


 全く話が通じていない由紀に絶望せざるを得ない。


 だが惣太がズーンと落ち込んでいると「まー大丈夫だって」と由紀は言った。


 何がじゃと思うが惣太に構わず由紀は続ける。


「だってさ、話さな過ぎも危険なんだよ?」

「何でさ」

「だって、私と惣太って仲良い訳じゃん? ならさ、普通に話したら何かの拍子に下の名前が出て来ちゃってもおかしくなくない?」

「ま、まぁ、確かに」

「でしょ? ならその時どうやってごまかすの?」

「……言われてみれば、確かに難しいな……」

「でしょ?! だからさ、本気で隠すなら、さっさとある程度仲良い関係になっちゃった方が無難なんだよ。昨日の時点でもうすでに香恋さんからは関係聞かれたしね」

「マジかよ……」


 既に関係が疑われているとは由々しき事態である。


 確かにこのような状況では、ある程度由紀と交流があった方が嘘を吐く際に遊びが効くかもしれない。由紀の指摘はもっともだ。


 相変わらず妙なところで機転が利く由紀に感心していると、いつのまにか由紀が惣太を覗き込んでいた。


「それに、根本的な話なんだけどさ」

「うん」

「……ダメなの? 惣太と一緒に登校しちゃ」

「え、」

「せっかく同じ高校なんだもん、一緒に登校したいよ……」


 由紀はウルウルとした目で惣太を見つめていた。

 触れたら壊れてしまいそうな切ない表情だ。


 好いた女にそのような表情をされて断れる男などいない。


(可愛い顔しやがってよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! ちくしょーーーー!!!)


 義妹の悩ましい表情に、惣太は苦悶するのだった。


 そのような経緯を経て、惣太と由紀は一緒に登校していて、そもそも今朝から疑いの目を向けられていたのだが、先ほどある女子が盛大に「中川さん、今日の朝深見君と来たって聞いたけどホント?!」とデカい声で尋ねこんな状況に持ち込まれてしまったわけだ。


 誰もが惣太に答えを求めている。


 このままここにいるなど溜まったもんじゃない。


「ま、まぁ、その、なんだ?」

「?」

「人生、いろいろだよな……」


 哲学的なことを言いながら逃げるべく弁当を持ちそろそろと立ちあがる惣太。


 まさか逃げ出すとは思っていない周囲は不審な顔をするのみで、それを良い事に惣太は廊下へ忍び寄った。


 だがそういつまでも野放しにされるわけもなかった。


 惣太が扉に手をかけると「おい! 惣太お前いつも弁当ここで食ってんだろ!! 教室に戻れ!」と教室の男が複数立ちあがった。だが惣太も戻るわけもない。


「じゃっ」


 言うや否や廊下へ出ると「待てよお前!!」とかいった罵詈雑言が教室から鉄砲水のように溢れてくる。

 だが、帳尻を合わせるのは種を撒いた由紀がすべき事柄である。


 あからさまに逃げることになるので戻る時のことを思うと怖いが、面倒に巻き込まれるのはごめんなので、惣太は問題を先延ばしし、さっさと処刑場を後にした。


 

◆◆◆


 運動系の部室は学習棟からは離れた部室棟にまとめて存在している。


「フッ……フッ……フッ……」


 古めかしい刑務所のようなそこに行くと、湿気の籠る部室で茶髪の男がトレーニングベンチで昼間から汗を流していた。


 相当追い込んでいるらしく腹筋の度にその整った顔にキラリと汗が流れて行く。


 惣太が所属しているバドミントン部の部長の西山大毅である。その整った顔立ちと運動神経で校内有数のモテる男だ。


「惣太か……」


 イケメンが一心不乱に鍛えている図に見耽っていると、いつから惣太の存在に気が付いていたのだろう、先輩は驚いた風でもなく腹筋を止め顔を上げた。部室のドアは開いていた。


「どうした、お前、普段は昼休みここ来ないじゃないか?」

「あ、いや、今日は色々とあって……」


 由紀のことはわざわざ話題に出す必要はないだろう。

 

 由紀のことをはぐらかした惣太はそそくさと弁当を開いた。


 腹が減った惣太は昼飯を食べたくて仕方がなかったのである。

 

 やはり由紀がいると落ち着く暇が無いのがいけない。


 これでようやく昼飯にありつける、と、いそいそと昼飯を食べようとする惣太。だが……


「そういえばお前のクラスに凄い美少女が転入したって?」



(なんで!! お前が!! ここに!! 出てくんだよぉぉぉぉ!!!)


 気の緩んだところへの一撃に、怒りと共にガチャンと箸を机に置いた。


 まさか既に学年の差すら飛び越し存在が伝わっているとは、校内情報網、恐るべしである。


 毛細血管のように隅々にまで張り巡らされた情報網でもってどこからでも出てくる化け物染みた由紀の波及力に惣太が舌を巻いているとタオルで体を拭いていた先輩が振り返った。


「どうした? 急に? なんか嫌なことでもあったのか?」

「あ、いえ、何も、無いですけど……」

「そうか、で、ところでそんなに美人なのか? その転入生は」

「あ、いや、美人、なんじゃないすか? 客観的に見て」

「へ~~、客観的に見て、か……。じゃ、惣太的にはどうだ?」

「じ、自分的って……」


 なぜ先輩は自分に返事を求めてくるのだろう。


 義妹の容姿を褒めるなんて繊細なこと、したい奴この世にいるわけがないのに。


「ま、まぁ、自分的には、凄い美人、だとは、お、思います、よ……?」

「そうか……」


 惣太がぎこちなく言うと、先輩はしげしげと自身のスマホを覗き込み言った。


「だよなぁ……」

「へ?!」


 意味不明な返事に惣太はぎょっとした。


 だよなぁってなに?!


 惣太がビビっていると先輩は自身のスマホを指し示した。

 

「や、実は由紀ちゃんの写真出回ってきてんだよ。で、それで図抜けた美人だとは思ったんだよ!」


 なら聞く必要ないじゃん!! ていうか


「そんなんあるんすか?!」

「あぁ、」


 驚きの連続である。

 どや顔で先輩が見せたのは、由紀の横顔が映る由紀の盗撮写真だった。既に盗撮写真が出回るとはやはり由紀、恐るべしである。人を犯罪に走らせている。


(う、うわぁ……)


 義妹の危機に惣太がじっとりとした汗を垂らしていると、西山先輩は続けた。


「で、実は俺、既に由紀ちゃんとLimeライムでやり取りしててさー」

「え?! そうなんですか?!」

「あぁ」

「マジすか……」


 昨日由紀は聖徳太子ばりに複数人と並行してLimeライムのやり取りをしていたけども……。

 その中に先輩まで紛れ込んでいたなんて……。


「め、面識は、あるんですか……?」

「いや? だけどこういうのスタートダッシュが大事だし、ダメでもともとみたいなところあるじゃん? だからさ」

「そ、そうすか……」

「惣太、サポート頼むぞ。同じクラスだろ?」

「は、はぁ……」


 驚きの連続過ぎて何も言い返すことが出来ない。


 地雷原を走るかのような爆弾だらけの会話に惣太が放心していると、「何バカなこと言ってるんですか」、と、背後から声が聞こえてきた。

 

 振り返ると茶色いショートカットの美少女が目を吊り上げながら立っている。


 全体的に小さい、身長150cmもない、目がくりくりした可愛らしい少女だ。


 高梨たかなし鞠華まりかという、バド部の後輩である。


「おう、鞠華まで。今日はどうした?」

「昨日部室にスマホの充電器忘れちゃって。それを取りに来ただけです。そしたら惣太さんまでいるじゃないですか。で、話を戻しますが、何バカなこと言ってるんですか先輩。惣太さんに美人との取次が務まるわけないじゃないですか?」

「いやいやわっかんね~ぞ~? まさかの才能があるかもしれん。それにサポートは必要だろう? 鞠華も見たろ、あの美貌」

「まぁ確かに私にも写真は回ってきましたが、凄い美人です」

「だろ? だからどんななよっちいサポートでも歓迎なんだよ。分かるか? 猫の手も借りたいって奴よ」

「それは分かりますが。で、ところで惣太先輩、その噂の転入生さんのことで質問があります。良いですか?」

「い、良いけど……。な、なに……?」

「その転入生のこと、好きになりませんよね?」

「え、え……?」


 急に一体どうしたの?!


 単刀直入、かつ意味不明な問いに頭が真っ白になった。

 

「聞こえませんでしたか? その転入生のこと、好きになりませんよね? と聞いているんです」


 しかし鞠華は返事を催促する。


 そのニッコリと笑う鞠華から放たれる怒気は凄まじい。

 黒いオーラが漂っているように見える。

 

 それに、ゴクリ、と生唾を飲み込んでいると、先輩が軽口を叩いた。


「ハハ、何だ鞠華、ペアだからって気にしてんのか? でもわっかんね~ぞ~? 何たって凄い美人だからな。誰だって好いても不思議じゃない」

「先輩は黙っていて下さい」


 だが一瞬で黙らせられる。


 その先輩に歯向かうことに一切のためらいもないところが恐ろしい。

 

 立ち塞がるもの全てなぎ倒すような鞠華の攻撃性に口を半開きにして呆れていると


「惣太先輩、惣太先輩のことなら私は良く知っています。惣太さんはぽっと出の美少女に心奪われたりしません。ですよね、……?」


 鞠華は念押ししてくる。その光景はあまりに恐ろしくて――


 ……こんなの、もう同意するしかないじゃないか。


「は、はい……」


 惣太は同意するのだった。


 惣太が首を立てに振るとますます鞠華は笑みを濃くした。


「ですよね~~安心しました~~~!!!」


 しかしその笑みはあまりに白々しくて、惣太は体が震えそうになるのを止めるので必死だった。



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