第28話 放課後



 しかし事件はここで終わらない。


 なぜなら報復合戦は斜面を転がる石のように、いつだってエスカレートするものだからだ。


 惣太の靴が粉まみれになったあの日、もし絶対に騒動を止めたいのなら、あそこで手を引くしかなかったのだ。


 しかし、良い悪いは別として、由紀は惣太が止める間もなく男に反撃をしかけてしまった。


 確かにあれは一つの区切りにはなりえたものの、同時に次の事件の呼び水にもなりえるのだ。

 

 反撃に反撃を繰り返していくと、渦潮に囚われるように、より激しい渦の中に巻き込まれて行くはめになる。



 だから、『これ』は起こった。



「え、なにこれ……」

「酷い……」


 その日、教室移動の授業から帰ると、由紀の席周辺に人だかりが出来ていた。

 クラスメイトが輪になって由紀の机を囲んでいる。


 皆青ざめて、口元を覆っていたりする。その中の数名が惣太達を見て、あっと気まずそうな顔をしたので、何か良くないことがあったのだと悟った。


「どうした?」

「いや、これ……、帰ってきたら、こうなってたんだけど……」


 惣太が尋ねると、男の一人が恐る恐る由紀のバッグを指差した。


 そこには由紀がいつも引っ掛けているクマのぬいぐるみがある。

 

 だがその形状がいつもと違っていた。


 黄色基調の可愛らしい人形、それの顔から綿が飛び出し、腕がだらんと下がり、足が地面に落ちている。


 由紀が大切にしていた人形がズタズタに引き裂かれていた。


 懇親会の席で、惣太と初めて会った時に貰ったと言っていた、だから大切にしていると言っていた由紀の宝物が、ズタズタに引き裂かれていた。


「酷い……」


 膝立ちになった由紀は、綿が飛び出て、手足が千切れ、首が切れている状態のそれを拾い上げ俯いた。


 その頬に透明の液体が伝う。


「酷いなこりゃ……。一体誰が……」


 胴体部が無いのは持ち去られたからだろうか。

 惣太がその背をさすり心配すると、由紀はコクリと首を縦に振った。


「ゴメン……」


 しばらくすると震える声で由紀は言った。


 どうやら由紀は惣太に謝っているらしい。


「何で謝んだよ……。別に由紀は悪くないだろ……」

「違うよ、だって惣太に貰ったものだから……」

「俺に貰ったって……」


 惣太は由紀の気持ちに着いていけなかった。

 大切にして貰えるのは嬉しいが、極端に大切にされて泣かれるのは本望ではなかった。

 渡した惣太にしてみれば、ただのぬいぐるみ、のだ。


「そんな、大切にしてくれるのはありがたいけど、でもただのぬいぐるみじゃないか……」

「ただのじゃないよ!!」


 しかし惣太の言葉を由紀は火がついたように反発した。


「惣太が私に初めてくれたんじゃん!! 私覚えてるよ!! その時惣太がどんな風だったかも!! どこでくれたかも!! 惣太が初めて私にくれたから大事にしてたのに!! こんな……!」


 由紀の声と身体が一段と震える。


「こんなのあんまりだよ……!」


 


「なんでこんなことになっちゃうんだろうね」


 少しして由紀は鼻をすすりぽつりと言った。


「え」

「だって、私は惣太と一緒に高校生活を送りたかっただけなのに……。ただそれだけだったのに……」


 それに何も言うことが出来なかった。


「こんなことになるのなら転校するんじゃなかった……」


 悲しみに暮れる由紀は鼻声で訴え続けた。


「大切なものも引きちぎられて、惣太にも迷惑かけて……、全然、良いことないじゃん……」

「いやそれは違うぞ」


 良いことがない。

 それを聞いた途端口にしていた。

 これ以上由紀に何も言わせるべきでないと、本能が訴えていた。


「俺は良かったぞ、由紀が転入してくれて」


 由紀をこれ以上悲しませてはいけない、と心が叫んでいた。


「え」

「だって由紀がいると学校が楽しい。前よりも、ずっと。だから俺は由紀が転入してくれて良かったぞ」


 由紀を励ましたい一心でそう言うと、惣太の言葉で由紀の涙に濡れる瞳に光が差し込み始めた。


 だがその瞳にはまだ雨雲がある。


「だから、後は俺に任せろ」


 だから惣太は由紀の目をまっすぐ見つめて、言うのだった。


「俺がなんとかする」






 次の朝礼でのことである。

 

 惣太は舞台裏の暗幕の中に身を隠していた。


 そんな惣太の所にまで会場の生徒の声がざわざわと響いてきている。


 それを聞いて惣太はゴクリと生唾を飲み込んだ。


 クレオパトラさながら暗幕にくるまっている惣太だが、これからすることを思うとどうにかなりそうだった。

 

「お前、ホントに行くのか?」

「あぁ……」


 惣太が粘性の唾液を飲み込んでいると、暗幕越しに久志が小声でもう何度目かの確認をしてくる。


 それに惣太が同意すると、観念したように久志は「分かった……」と呟き、舞台へ出て行った。


 すぐに久志が生徒を沈める声が聞こえて来る。


 それにより波が引くように生徒たちの喧騒が遠のいていく。


 ……いよいよだ。


 ……いよいよである。


 会場が静かになるにつれ、自身の心臓が早鐘を打つのが聞こえて来た。


 外野が静まるにつれ、心音が大きくなる。

 もう周りの音が聞こえなくなるんじゃないかというほどに。


 ピタッと会場が静まった瞬間は、心電図モニターの波長が消えたのを見るようだった。


 ピーッという耳鳴りが聞こえてくる。


 ――もう行くしかない。


 瞬間、惣太は暗幕から飛び出した。


「え」、と突然の登場人物に舞台袖にいた教師が驚きの声を上げる。


 だがそれを無視し、機先を制し惣太は歩き出した。


 教師よりも早く、久志と入れ替わりで舞台に出て行く。


 舞台に出ると顔という顔に出迎えられた。

 圧倒的な視線の数に動悸が嫌でも高まる。


 だが周囲はまだ何も反応はない。教師にしても生徒にしても、反応をするには時間が無さすぎるのだ。


 今しかない。

 教師が止めに入れない、今しか。




『2年E組の深見惣太です……!』



 マイクを手に取ると即座に言った。

 震えそうになる奥歯を、喉を、無理やりねじ伏せた。



『義妹の深見由紀のことで、皆さんにお願いがあります』


 言うんだ。

 由紀を救う。そのために。





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