第22話 紬と、美術館に行く。



 由紀と都心に出掛けた週の、次の日曜日、惣太は電車に揺られていた。


「上野駅〜上野駅〜」


 アナウンスが目的の駅に着いたことを報せる。電車が停止すると、わっと乗客が降り始め、ワンピースやカットソー、いろんな服を着た人が改札に押し寄せる。


 その人ごみに揉まれ改札に辿り着くと、そこでは多くの人が待ち合わせをしていた。


 向かいの通りでは、信号が切り替わり、クラクションが鳴り沢山の車が動き出している。


 休日の上野駅周辺は休日を楽しむ人たちでごった返している。


 さてと、と、辺りを見回すと、背後から低いトーンの声が聞こえてきた。


「おはよう。そうた」

「あ、おはよう紬」


 背後にいたのはいつも眠そうな目でおなじみの紬だった。


 しかしその瞳は微妙にいつもよりも開いているようで、服装もオシャレをしていて気合が入っている様子で、その美貌に思わずグッとくる。


「尾行は着いてない?」

「……。着いてないよ」


 だがどこかズレているのはいつも通りのようだった。


「ちゃんと撒いたのね」

「もともといないよ」

「私、セザンヌは好き」

「話聞いてる??」

 

 噛み合っていない会話をしながら惣太たちは歩き出した。


 今日は上野にある国立西洋美術館でポール・セザンヌの特別展が行われているので、それに行く予定なのだ。


「そうたはセザンヌってどんな人か知ってる?」

「印象派の人ってことは少なくとも知ってる」


 それにしても紬と美術館に行くことになるとは……


「そ。じぁセザンヌのことを簡単に説明するね。セザンヌはね」


 紬の解説を聞きながら惣太はこうなった原因の日のことを思い出すのだった。



「じゃじゃーん、見て見て~」


 由紀と都心に行った日の翌日のことであった。


 その日、教室で由紀は昨日惣太がクレーンゲームで取ったカエルの人形を柿上たちに見せびらかしていたのだ。


「あ、それカエタロウじゃん!! どしたのそれ?!」


 巷ではそうそう手に入らない人気のグッズに女子たちは目を丸くしていた。


「昨日惣太に取って貰ったの~!!」

「深見ッチに?!」

「うん、昨日一緒にお出かけして帰りがけにゲームセンターで取って貰ったの!!」

「お出かけしたの?!」


 サラッと出てきた爆弾発言に柿上たちの声が裏返った。


「そ、おでかけ。よく行くよ?」

「二人でわざわざどこ行くのさ?!」

「そ、そんな大したものじゃないよ。食材の買い出しの時もあるし、服買ったり小物見たりとかもするよ! 昨日もそんな感じだよ」

「それ完全にデートじゃん!!」

「ははは、デートかなぁ?」


 唾を飛ばし言う柿上に、とんでもなく嬉しそうにとぼけてみせる由紀。


 そんな彼女に友達は、デートだよ、それ完全にデートだよ! と盛り上がり、「いや~そうかな~?」と由紀は満面の笑みで頭をかく。


 なにがそんなに嬉しいんだか……。と惣太は思うのだが、言葉にしない。


 そんなことよりも我が身大事で、惣太は今の由紀の言葉を字面通り受け止めてしまった純粋な男たちから避難すべく、自教室を後にしたのだった。


「聞きましたよ!! 由紀さんとデートに行ったんですってね!!」

「いやデートって……?! そんな大げさなものじゃねーぞ!!」


 だがなんと情報の巡りが早いことか、バド部の部室には柳眉を逆立てる鞠華がいて、「言い訳は聞きたくありません!!」「ヒェ」そのあまりの剣幕に惣太はさらに避難。


「あ、そうたお疲れ」

「お、おつかれ紬……」


 ESS部の部室に逃げ込むとそこには平常運転の紬がいて、思わずホッと息を吐いたのだった。


 いつだって落ち着きを失わない紬は心の拠り所である。


 森の湖畔のように穏やかな紬を育てたもうた紬の親に感謝しつつ、惣太は心安らかに昼飯を食べ始めた。


 あぁ今日は味がするとその美味しさを噛みしめる。

 だがその幸福を噛みしめていられるのも束の間だった。


「そうた」

「なに」

「由紀さんとデート行ったって聞いた」

 

 ぶふ!


 紬まで都合の悪いところは削ぎ落し、その上に何重も都合が良い嘘を重ねたデコレーションケーキみたいな由紀のでまかせを信じていて口の中身を吐き出しそうになる。


「デートってそんな大層なものじゃないぞ?!」

「うん、大層かどうかとか、そういうのは関係ないの」

「関係ないの?!」

「うん。だからそうた、今度私とも一緒にデートに行って欲しい」

「だから?!」


 私ともってなに?!


 と、いう具合に紬に押しに押されて、デート? に惣太は来ているのだ。


「カップル割りってありますか?」

「いや無いだろ。それにそもそもカップルじゃないだろ」


 窓口で無茶を言う紬を惣太は必死で止めていた。


 一体なぜ自分の周囲の女子は毎回この手のジョークを飛ばすのだろう。


「実質カップルみたいなものだから問題ない」と譲らない紬にスタッフも困り顔だ。


「す、すいません」


 惣太はスタッフに頭を下げ、既定の料金を支払い館内に入って行った。



 空間の隅々まで計算され尽くした館内は、非常に心地良かった。


 音もなく室内を冷やし続ける空調の利いた館内を紬と二人で鑑賞していく。


 自分たちが地面を踏みしめる音すら良く聞こえるほど辺りは静かだ。


 紬なので気負う必要は無いのだが、紬と二人で出かけることは滅多にないことだ。


 横を見ると紬は目を見開き真剣に絵画を眺めていた。


「こういう場所には、よく来るのか?」

「うん、一人でもよく行く」

「そうか」

「うん、絵画によっては人の息吹を感じるから」

「息吹ねぇ」

「そ、息吹。息遣い、視線、思考、そういう言葉に出来ない心の塊が、まるごと目を通して入ってくることがある」

「そ、そうなのか……」

「うん。でも、そういうの、丸ごと分かるには、その当時の歴史とか、社会情勢を知る必要があるの」

「そりゃ、そうだろうな」

「だから英語も勉強してる。ESS部にいるのもその流れ。ESS部に入ったから惣太とも出会えたし、お得だった」

「俺はおまけか」

「おまけだって悪くない」


 紬は真っすぐと絵に視線を向けて離さない。


「おまけが目当てな人も沢山いる」

「ウエハース理論か」


 懐かしい。小学生の頃、由紀が友達からカード付きのウエハースのウエハース部分を大量にせしめてきたことがあった。


「な、なぜ……?」と尋ねると「ここ皆要らないんだって!! 美味しいのにね!!」とバクバク食べていたのを今も覚えている。


 と、思い出に浸っていると常設展の展示物を指さし紬は言った。


「あ、あれ、優菜先輩に似ている」


 紬が指さしたのは常設展にある女性の半裸の絵画だった。


「そ、そうか……?」


 似てるといえばその豊満な胸だけだ。


「うん、胸のあたりが」

「やっぱりかよ!」


 真面目な顔して一体どこに目をつけているんだ!

 とんでもない紬のボケに惣太はつっこんだ。


「そうた好きそう」

「す、好きそうって……。そりゃ好きだけどさ……」


 的確過ぎる惣太の性癖の理解に、惣太は顔を赤くし認めざるを得ない。


 全く、と愚痴を言いたくなる。


 真面目な顔をしてこういう下らない話をしてくるのが面白いのだが油断ならないのだ。


 今のやり取りで周囲から注目を集めていた惣太達は、そそくさとその場を後にした。


 それから惣太たちはすぐ近くにある博物館にも行き、

「見て。そうた、原始人」

「だな」

「物真似して?」

「やだよ」

 と、様々な展示物を見て回り、館内から出る頃には空が赤く染まっていた。


「じゃ、ここで解散だな」

「うん」

「気を付けて帰るんだぞ」

「うん、ありがとそうた。今日は楽しかった」

「そっか、なら良かった。俺も楽しかったよ」

「じゃ、また明日ね」

「おう、また明日」


 惣太がお別れを言うと紬は踵を返し雑踏の中に消えていった。


 だがどうしたことか、人混みの中に消えて行く紬の頭部が上下に見え隠れしている。


 不審に思いつま先立ちすると、紬がウサギのようにスキップしながら帰っていくのを発見した。


 えぇ……。


 あまりに子供っぽい仕草に無事帰れるか心配になる。


 しかし紬も立派な高校生だ、無事帰れるだろう。

 いつまでも見ているわけにも行かず、楽しんで貰えたなら良かったと笑みながら惣太もまた踵を返した。


 家に着くのは七時を回っていた。

 

 遅くなってしまった。惣太が急いでドアを開けると由紀が玄関で出迎えた。


「お帰り」

「あぁ、ただいま由紀」

「待ってたよ! 早く夕飯食べよう!」

「おう!!」


 由紀に急かされ、そそくさと手を洗いリビングに向かう。


「で、今日はどこ行ってたんだっけ??」

 

 だがその途中でかけられた言葉に妙に圧力がこもっていて惣太はぞっとした。


「つ、紬と美術館……」

「へぇ〜〜〜〜?」


 何か言い返したそうに目を吊り上げる由紀。

 それに先手を打って、ていうかもう伝えてあったじゃん、と言い返そうとすると、


「イッタ!!」


 由紀は惣太の足を思いっきり踏むのだった。


「お前、足踏むんじゃねー!!」

「うるさい!! これは浮気分だよ!!」

「何が浮気じゃ!!」


 意味不明な物言いに惣太は声を荒げた。



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