第3章 それぞれの「事情」
まもなく、関屋の身内がやってきた。番頭だという男と、まだ若い、そう、良蔵と同い年くらいの娘であった。二人とも、場所が新選組の屯所だということで、怯えているようだった。良蔵が応対に出たので、娘は驚いた。
「あなたも、新選組なんですか?」
良蔵はニコッと笑って言った。
「大丈夫。あんな顔をしているけど、皆さん怖くないですよ。僕は副長付きで小姓の、玉置良蔵といいます。お父様はこちらです。どうぞ」
と、二人を関屋が寝ている部屋に案内した。
「あんな顔で悪かったな。おめぇも入れ。娘さんが安心する」
と、歳三が良蔵の頭をこづいた。良蔵は頭をおさえながら、部屋に入った。それを見た関屋の娘は、やっと笑顔を見せた。良蔵も笑顔を返した。
ひととおりの説明を山崎がしたあと、良蔵と娘は一緒に部屋を出された。子供に聞かせたくない話があるのだろう。番頭を待つ間、良蔵は娘を井上の部屋に連れて行った。子供好きの井上は、娘にお茶と菓子を勧めて聞いた。
「驚いたろう?お父上が怪我したと聞いて」
優しそうな井上に、娘の表情も和らいでいた。
「はい。帰りが遅いので心配していました。番頭さんが、朝になっても帰らなければ、お役人に届けようと言ってました」
娘は答えた。井上は、
「お母上は、家にいらっしゃるのかい?」
と聞くと、今度は娘の顔が曇った。
「あの……おっ母さんは昨年、病で……おっ母さんが亡くなって、お父っつぁんは美濃から京に出てきたんです」
娘の話に、井上は気の毒そうな顔をして、
「そりゃあ、悪いことを聞いてしまったね。ごめんよ。お嬢さんも、お父上も苦労されたんだね」
と言った。すると良蔵が、
「僕の母さんも、病で亡くなったんだ。僕は6才だった。僕たち似ているね」
と言った。娘は驚いた。
「6才!?そんな小さな時に?私より、あなたの方が大変だったでしょう?」
いつしか、良蔵と娘は仲良くおしゃべりを始めたので、井上は安心して席をはずした。関屋の一人娘は、千恵といった。やがて、番頭が神妙な顔をして部屋から出てきた。
「では、よろしくお願いいたします」
番頭は歳三に頭を下げた。
「番頭さん?お父っつぁんは?」
千恵が聞くと、番頭は、
「容態が落ち着くまで、こちらでお世話になるそうです。大丈夫です。店は私が見ますから。お嬢様はご安心なさってください」
と答えた。すると、歳三は言った。
「番頭さん、二、三日、店を閉めてた方がいいかもな」
番頭は歳三の顔を見て、青い顔をして言った。
「わかりました」
二人は隊士に送られて、帰っていった。歳三は、良蔵に、
「関屋の看病を頼む」
と言い、山崎や沖田たちと話していた。良蔵は、関屋の腕を見ながら、
(ずいぶん鍛えている旦那さんだな...剣術でも、やってたのかな?)
と思っていた。
二日後、関屋の容態が回復した。一時は高熱で危なかったが、良蔵が一生懸命看護して、熱も下がり、落ち着いた。山崎が声をかけた。
「良蔵、少し休め。ほら、総司がだんご買ってきたってさ」
沖田が、
「おいで、良蔵。お腹すいたろう?」
と呼んだ。良蔵はほっとして、
「ありがとうございます。山崎先生、お願いします」
と、沖田のとなりに座り、だんごをほおばった。
「おいしい!
「どういたしまして。頑張った良蔵に、ご褒美だよ」
沖田は微笑む。良蔵は、沖田が試衛館にいた頃、多摩の佐藤彦五郎の道場に出稽古に行って以来の愛弟子であった。沖田が良蔵の剣の素質を見抜き、その力を伸ばした。良蔵は、天然理心流の準目録まで取る剣士であった。新選組にやって来たのは、沖田を追いかけて、というもっぱらの噂になっている。沖田も別にそれを否定しようとはしない。沖田は良蔵の幼い頃から知っている。そして、良蔵が他の隊士には伝えていない、秘密も知っていた。
「良蔵、関屋はもう大丈夫……おや、まあ」
山崎が良蔵に声をかけようとすると、沖田が、しぃ~っ、と山崎を制した。良蔵は、沖田の膝に頭を載せて、寝息をたてていたのだ。
「新選組一番の剣士も、良蔵にかかっては膝枕の相手か……」
と山崎は笑った。沖田は、
「僕はいいんですよ。良蔵にとって、兄貴みたいなものだから……」
と、良蔵の頭をなでた。
関屋の意識が戻り、起き上がれるようになった。
「私は、美濃の刀剣商で、関屋宇右衛門、と申します。あの日は、商談の帰りでございました。いきなり二人の侍に襲われまして……」
関屋は答えた。落ち着いた口調であった。歳三は関屋に聞いた。
「関屋さん、あんた、ずいぶん危ねぇやり方してるみてぇだな?生真面目もいいが、敵を作るばかりだろう?」
関屋宇右衛門という刀剣商は、精悍な顔つきをした男であった。歳三の問いに、ふふ、と笑って答えた。
「刀は武士の魂と申します。刀剣商たるもの、価値のわからないお方に、価値のあるお刀をお渡ししたくないだけでございます」
「あんたを斬った浪人は、あんたが手酷くはねつけた商家の用心棒だったようだ。今ごろは、町方が押さえているだろうが、こんな商売を続けていちゃあ、命が幾つあっても足りねぇぜ」
歳三が言ったとき、良蔵が入ってきた。
「関屋さん、もう、お店に帰られていいんですって。山崎先生が言ってました。僕、毎日包帯を取り替えに行きますから、心配しないでくださいね」
良蔵の顔を見て、関屋の表情が優しくなった。どうやら、同じ年頃の娘を重ねているらしい。
「土方さまの小姓さんには、本当にお世話になりました。お医者の修行をされているとか。お偉いことですな」
関屋が言うと、良蔵は、
「僕、本当は武士になるために、ここに来たんですよ。でもこっちの仕事の方が多くって。皆さんは怪我が絶えないし、土方先生は小言ばかり言うし……毎日大変なんです」
と答えた。それを聞いた歳三は、
「おめぇが無鉄砲ばかりするからじゃねぇか!人の言うことも聞かずにだな……」
と言った。そんな二人を見て、関屋は、
「お二人は、仲の良い、親子のようでございますな」
と笑った。良蔵がふと、
「関屋さん、刀剣商って、剣術も習われるんですか?それも相当長くやってらっしゃいますよね?腕の筋がこんなに張って……」
と聞いた。関屋の顔色が変わった。歳三もそれを見逃さなかった。
「関屋さん、あんた、元、武士か?」
歳三に聞かれて、関屋はふう~っと息を吐いた。
「土方さまの小姓さん、良蔵……さんでしたか。鋭いですな。さすが新選組……お恥ずかしい話です。おっしゃる通り、私は元は武士でしたが、惚れた女が商家の一人娘で……刀より女を選んだと、藩の中には私を蔑むものも多かったです……」
すると、良蔵が言った。
「いいじゃないですか!大好きな女性のために刀を捨てたって!その逆よりも!」
その言葉に、歳三はどきっとした。思わず良蔵の顔を見た。良蔵ははっとして、
「ご、ごめんなさい。僕……!」
と、あわてて部屋を出た。歳三はその時、
(まさかな……)
と思った。
歳三はかつて、呉服屋に奉公していた頃、将来を誓った女性がいた。その女性には子供も宿っていたが、歳三が武士になると決めた頃、いつのまにか姿を消したのだ。その後、その女性も子供も、流行り病で亡くなったと実家の兄から聞いていた。心底惚れた女を不幸にしたということは、歳三の負い目であった。しかし、その心を隠して、武士として、新選組副長として生きてきたのであった。
目の前の男は、愛する女のために武士を捨てたという。愛する女と別れ、武士になった俺とは真逆の生き方だ……子供……?俺は兄貴の言ったことを信じた……二人は死んだと……だがそれがもしも嘘なら……
歳三がそんなことを思っていると、隊士に案内されて、関屋の娘の千恵が来た。
「お父っつあん、迎えにきたわ、帰りましょう」
父の着替えを手に、こぼれるような笑みを浮かべていた。千恵は、父の前にいる歳三に気づくと、
「あ、あの、先日は失礼いたしました。皆様のおかげで、父も命を救われて……」
と、頭を下げた。歳三は、
「関屋さん、娘さんのためにも、ひとつしかねぇ命は、大切にしなきゃならねぇな」
と言って立ち上がり、部屋を出た。
(あのときの子供が生きていれば、ちょうどあのくらいの年頃になる……あの娘さんや、良蔵、と同じくらいの……)
「関屋さん、本当に無理をしてはだめですよ。千恵さん、お父さんはまだしばらく、寝ていられるようにしてくださいね。僕、毎日行きますからね」
と、良蔵は世話を焼く。千恵は、
「良蔵さん、ありがとう。父を助けてくれたこと、本当に感謝してるわ」
と良蔵の手を握った。関屋は店の者に肩を支えられ、杖をつきながら、駕籠に乗った。
「駕籠やさん、ゆっくり行っておくれ。怪我人だからね」
と、山崎は駕籠やに伝え、関屋は家に戻った。
「おい、良蔵、どうだった?お嬢様の手の感触は?」
と、永倉が聞いた。良蔵は、眉をひそめながら、
「はあ?何言ってるんですか?永倉先生!」
と言い、
「これだから、おじさんたちは。いやらしいなぁ!」
と一瞥して中に入ってしまった。残された永倉は、
「さ、左之!あいつ、俺のこと、『おじさん』って!……俺のこと、『いやらしい』って言ったぞ!酷いと思わないか!?」
と原田に泣きついた。原田は大笑いしながら、
「新八は顔に下心が見え見えなんだよ……でもさすがに、『おじさん』は辛いよな」
と言った。永倉も原田も、この頃、まだ二十代。
(別に女の子に手を握られたって、なんとも思わないよ。同性なんだから……全く!)
と、良蔵は思っていた。そう、良蔵の秘密の一つは、女であることだった。
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