第2章 刀剣商の災難

慶応2年秋の、京。土方歳三の小姓、玉置良蔵は、賄い方の沢忠助と夜道を急いでいた。

「大丈夫か、良蔵。ずいぶんたくさんのお使いになったな」

と、沢は笑った。良蔵はふくれっ面をしながら、

「だって、原田先生に頼まれた酒を書き留めていたら、永倉先生や、藤堂さんまで、あれもこれも頼んでくるから……!沢さんが一緒に来てくれて、助かりました」

と答えた。

「一人では持ちきれないよな」

と、両手に持った、酒や煙草や、酒の肴を見ながら沢が言った。ようやく屯所の近くまで来たとき、前方にうごめく人影を、良蔵が指差した。

「沢さん、あれ……!誰かが襲われている!」

見ると、二人の刀を持った男が、町人を襲っている。

「大変だ!物取りか?役人を呼ばなきゃ!」

沢が言った。すると、良蔵が大きな声で叫んだ。

「お役人さま!こっちこっち!取手のみなさんも!あそこに盗賊がいます!」

その声に、刀を持った男たちは走り去った。もちろん、嘘である。良蔵のとっさの芝居だった。


沢と良蔵が走り寄ると、商人らしき男が倒れていた。動かない。肩から血を流している。だいぶ深手だ。すぐに治療しないといけないようだった。良蔵の目が変わった。

「沢さん!屯所に行って、山崎さんを呼んできてください!この人、すぐ手当てしなきゃ死んじゃう!」

良蔵が言うと、沢は

「わかった。これ、必要なら使って」

と、襷をなげてよこした。いつも勝手仕事で使っているものだ。

「ありがとう。これで止血できます!」

良蔵は、買ってきた焼酎を手にかけた。まずは消毒である。そして、着物をはだけると、その傷口にも焼酎をかけた。

「うううっ!」

と男が呻き声をあげた。どうやら、意識はあるようだ。良蔵は、肩口に襷を巻き付けて、縛った。懐から手拭いを出して、傷口を押さえた。手拭いがみるみる血に染まる。

「しっかりしてくださいね!すぐに手当てできますから!」

良蔵は声をかけた。

すると、

「良蔵!」

と声がして、戸板を持った山崎と沢、それに、歳三が走ってきた。

「斬られてからどのくらいだ?」

山崎が聞いた。良蔵は、

「小半時くらいです!」

と答えた。よし、と山崎は言い、戸板に男を乗せ、沢と山崎が運ぶ。

「よくやった、良蔵。あとは荷物とゆっくり帰っておいで」

と山崎が言った。そのとき、良蔵は買い物がすべて残されていることに気づいた。

「えええ~!」

ふと、歳三と目が合った。良蔵がニコッと微笑むと、歳三は嫌そうな顔をした。


屯所、西本願寺。

「ただいま戻りました」

良蔵の声に、

「良蔵ったら遅いじゃねえか!待ちくたびれて……!」

と文句を言いながら玄関に出てきた原田と藤堂の顔がこわばった。目の前にいたのは、鬼……のような表情をした、

「……いや、歳さん……」

であった。

「……お帰り……」

と言って逃げようとする二人の襟首を捕まえて、歳三は言った。

「ずいぶん豪勢な酒の肴じゃねえか……重かったぜ……」

歳三の声に、原田と藤堂の顔色は蒼白になった。

「平助!おめぇ、今夜は巡察じゃねえか!出る前に酒は飲むなって言っといたよな!?」

襟首を捕まえられたままの藤堂は、

「ごめんなさい土方さん!ちょっとだけだよ~、もうしないよ!許して~」

と情けない声を出した。柱の陰で良蔵はクスクス笑っていた。それを見つけた原田が言った。

「あ、お前、こんなときだけ歳さんを味方につけやがって……!」

良蔵は舌を出した。

「持ちきれないような買い物させるからですよ~」

「こいつ~!」

二人が良蔵を睨むと、歳三が言った。

「馬鹿。おめぇは早く行って、山崎を手伝え!」

「あ、はい!」

良蔵は返事をして、奥に向かった。良蔵は歳三の小姓であると同時に、新選組の医療担当、山崎を手伝う助手でもあった。養父は多摩で医師をしていた。

「歳さん、なんかあったのか?怪我人か?」

原田が聞いた。歳三は手を離した。

「侍に斬られた町人を、良蔵と沢が見つけた。辻斬りかもしれねぇ。町方に知らせりゃいいのに、良蔵と来たら……」

歳三がため息をついた。

「あの性格だからな、放っちゃおけなかったんだろう?」

原田が良蔵の消えた方を見て言った。

「山崎さんも大変だ。隊士の怪我だけでも大変なのに」

首をさすりながら、藤堂が言った。

「平助、また出るかも知れねえから、今夜は注意しとけ。酒はほどほどにしろよ、左之!」

歳三はそう言って奥に行った。入れ替わりに、沖田が出てきた。

「二人とも、あんまり良蔵をこき使うから、土方さんに叱られるんだよ」

沖田が言うと、原田が、

「なんだかんだ言いながら、歳さんは、良蔵のことが気になってるんだよな」

と言った。

「良蔵を見てる土方さんて、まるで父親みたいだよ。何かするたびに怒ったり、心配したり……」

と藤堂が言った。沖田は、ふっ、と微笑んで、

「不器用な父親だけどな……」

と呟いた。


男の怪我は酷かった。肩の傷が深手だった上に、足の筋を痛めていて、かなり腫れていた。夜明けを待って、山崎は沢に、新選組と懇意にしている、会津藩藩医の南部精一医師を呼びにいかせた。南部は藩医の傍ら、木屋町に診療所も開院していた。南部は、将軍家の奥医師を勤める、松本良順とも親交があった。傷を診ながら、南部は、

「早く消毒をして止血したのが幸いだった。あのままだと、出血が酷くて今ごろは死んでいたろう。傷も深いが、心の臓にも病をかかえているようだ。とにかく、意識が回復しなくては……ここ数日が山であろうな。熱も出るだろうから、目を離さぬように」

と色々指示をした。山崎は、

「良蔵の最初の手当てが良かったんだな。えらいぞ」

と誉めた。良蔵は、

「沢さんが襷をくれたのと、そばに焼酎があったので、良かったんです」

と言うと、離れて聞いていた原田が、

「あ~、俺の焼酎、ほとんど空だったのはそのせいか!?楽しみにしてたのに~」

と声をあげた。永倉が、

「まあまあ、人助けに使ったんだから」

と原田をなだめたので、場が少しなごんだ。困ったのは、怪我人の身元がわからぬことであった。風体から、商人であることはわかるが、見知った者がいない。

「この辺の商家の者ではないのでしょうか?沢さんの話だと、下手人は侍のようで、明らかに殺そうとしていた、と……」

山崎が歳三に言った。すると、斎藤一が怪我人の顔を覗き込んで、一言、

「刀剣商の関屋の主だ」

と言った。斎藤の刀好きは新選組の中でも有名で、京じゅうの刀剣商を見て回っているのではないか、と言われていた。

はじめ、知り合いか?」

歳三が聞くと、斎藤は

「最近、東堀川通に店を構えた刀剣商です。美濃の出だというので、良い出物があろうかと、店に行ったことがあります」

と答えた。沖田は、

「さすがはじめくん。刀のことにかけちゃあ、誰よりも良く知ってるもんな!」

と斎藤を誉めた。沖田に言われて、斎藤は少し不機嫌な顔をした。歳三の指示で、早速、関屋に連絡にいかせた。

「町方には、どうしますか?」

会計方を勤めていた、安富才助が歳三に聞いた。

「町方は、あとでもいいだろう。なんだか、事情もありそうだからな」

歳三は、関屋の主人、と言われた男の顔を見ながら、そう答えた。


「土方さん、今戻ったよ!」

と、藤堂の声がした。夜の巡察からの帰りであった。

「その人を斬った侍って、どうやら商家の雇われ浪人みたいだぜ。二人組の侍が商家に逃げ込むのを見たってやつがいたよ」

と、藤堂がいうと、永倉が、

「用心棒がわりに雇ってる、あれか?」

と聞いた。藤堂がうなずくと、歳三は、

「通りすがりの物取りじゃ、なさそうだな」

と言った。

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