第4章 千両の刀
良蔵は、毎日、関屋の包帯を替えに通った。ある日、関屋の店に入ろうとして、店から出てきた侍とぶつかって、薬箱を落とした。
「すまん。急いどったもんでな。大丈夫か」
薬箱を拾ってくれた侍を見て、良蔵は、
(背、
と、その体格に驚いた。新選組でも、原田や沖田など、背の高い隊士もいる。歳三だって低い方ではない。しかし、目の前の青年はそれよりも大きく見えた。袖からのぞく腕は、その鍛え方が並でないことを示していた。
「あ、いえ、こちらこそよく前を見ていなくて、すいません」
と良蔵が謝ると、その青年は、薬箱と良蔵を見ながら、
「わっぜ
と笑った。良蔵は言われたことがわからず、きょとんとしていると、その青年は笑いながら行ってしまった。なんだかバカにされたような気がして、中にいた店の者に、
「なんですか?あの方」
と言うと、番頭が、
「薩摩の方らしいですよ。あちらの方は、大きな方が多いみたいで……」
と答えた。自分が小柄なことをバカにされたと思った良蔵は、
「だとしても、失礼ですよね!人のことを笑うなんて!」
と憤慨した。番頭は、良蔵に見えないように、笑いをこらえていたようだ。
その翌日、再び良蔵が関屋を訪れたとき、
「あ、小姓さん、今は旦那様は来客中で……。しばらく待っていただけますか?」
と、番頭が言った。
「良蔵さん、こっちでお茶でも」
と、千恵が呼んだ。千恵は、良蔵にお茶をいれながら、
「良蔵さんは、どうして新選組に来たの?」
と聞いた。良蔵は、
「僕みたいな子供がいたので驚いたんでしょう?」
と言うと、千恵は頷いた。
「だって、新選組は怖い人たちの集まりだって聞いていたから。まさか、私と同じくらいの年齢の人がいるなんて、思わなかったの」
千恵が言うと、
「優しい人もたくさんいるよ。勉強も教えてもらえるし、剣術も……実は、僕に最初に剣術を教えてくれたのは、
と良蔵は答えた。
「沖田さんて、痩せていて背が高くて、よく笑う方ね?」
と千恵が言った。人の特徴をよく見ているんだな、と良蔵は感心した。父の関屋も人を見る目が鋭い、と歳三が言っていたのを思い出した。
「母さんが、自分が死んだあと、多摩の佐藤彦五郎、という人のところに行くように、と文を書き残していて、僕は一人で多摩に向かったんだ」
良蔵が言うと、千恵は目を丸くした。
「たしか、6才って……良蔵さんて、小さいときから無鉄砲なのね!」
「千恵さんまで……酷いなあ。でもね、途中で旅芸人の一座と知り合って、連れてってもらった。本当は、ほっとしたんだ。村を出たらどっちに行っていいのかわからなかったから……」
良蔵が舌を出したので、千恵も微笑んだ。
「高幡村に着いたとき高熱で倒れて、近くの医者に運ばれたんだ。一座は次の興業があるから行ってしまったけど……結局、その医者にずっと世話になることになって。それが今の義父で、玉置良庵という先生なんだ」
「それで、お医者の勉強をなさっているのね」
千恵の言葉に、良蔵は頷いた。良蔵に勉学や医術の基礎を教えたのは、養父であった。
「良庵先生と、佐藤彦五郎さんが知り合いで、僕は佐藤道場に剣術を習いに行って、江戸から出稽古に来ていた沖田先生に出会って、鍛えられた。厳しく……!」
良蔵はそこで言葉を切った。少し顔が火照るのを感じたのだ。思わず、千恵に見られないように顔を背けた。千恵は気づいていないようで、良蔵は安心した。
「でも、僕が11才の年に、近藤先生たちと一緒に浪士組に入って京に上って、新選組を作ったんだ。それから、他の人たちは多摩に来ることもあったようだけど、沖田先生はずっと京にいたままで……」
良蔵の言葉に、ああ、と千恵は頷き、
「だから、良蔵さんは沖田さんに会うためにここに来たのね?」
と、意味ありげに微笑んだ。
「いや、本当は……うん、まあ、そんなところ、かな……」
良蔵は、言おうとしたことをやめた。自分がそのとき、本当に『会いに来た』相手は、実は沖田ではなかったのだが、周りにはそのように思われていた方が、気が楽だった。沖田が、大好きな人であることには、違いなかった。
そのとき、人のざわつく気配がしたので、二人の会話が止まった。
「お客様、帰られるようだね」
良蔵が言うと、千恵の顔が曇った。
「心配事?」
と良蔵が訪ねると、千恵は、
「中川宮さまのお使いの方らしいの。昨夜もいらして……父に、『之定』を手に入れてくれ、って……」
とため息をついた。
「『之定』……?あの、幻の名刀、の?」
良蔵はその刀の話を聞いたことがある。まだ多摩で剣術の修行をしていた頃、佐藤彦五郎が話してくれた、近藤勇からの文の話に出てきたのだ。その時、歳三は何かの任務の報酬として、京の豪商から刀を貰い受けたらしく、その刀が『之定』であったということだった。武士にとって、より良い刀を所持することは名誉であり、誇りであることは、良蔵にもわかっていた。
「千恵、商売の話を他人様にしてはならぬ。いつも言っておるだろう?」
杖をついて関屋が現れ、千恵をたしなめた。
「ごめんなさい、お父っつぁん。でも、お父っつぁんの体が心配なの……また無理をしたら……」
「千恵!」
大きな声を出した関屋は、その場にうずくまった。良蔵はあわてて側に寄った。
「関屋さん、無理をしないでくださいと、お願いしましたよね?早く横になられてください。でないと……」
「心の臓が止まります……ですか?」
関屋の体を支えていた、良蔵の手が止まった。
「関屋さん……とにかく、お部屋へ!番頭さん!」
良蔵は番頭を呼び、二人で部屋につれていき、関屋を寝かせた。
「南部先生からお薬を預かっております。苦しいときはこれをお飲みになってくださいね」
良蔵が出した薬を、関屋は苦そうに飲んだ。
「ありがとうございます……自分のからだのことはわかっているつもりだったんですが」
関屋が言うと、良蔵は、
「千恵さんのためにも、体を大切にされなければ!子にとって、親が元気でいてくれることが一番うれしいのです!」
と言った。
「良蔵さんのお話には、何か、説得力がありますな……」
と、関屋は微笑んだ。
「あの……先程の話ですが」
良蔵の言葉に関屋は顔を向けた。
「土方先生も、『之定』を探しておられます。以前、持っていらっしゃったのですが、何かの理由で手離されたらしいのです。先生も和泉守兼定が好きで……『あれは誰でも持てる刀ではない。本物の武士だけが手に入れて良い物なのだ』とおっしゃっていました。先生は…あんな意地悪ですが、僕は、本物の武士だと思っています。元は多摩の農家の出ですが、誰よりも武士だと……もし、『之定』が手に入るのなら、先生に……」
良蔵が言うと、関屋は答えた。
「千両、ご用意できますかな?」
良蔵は驚いた。
「千両!?」
関屋は先程までの優しい顔から、打って変わって厳しい表情になった。それは、すでに商人の顔だった。
「良蔵さんが、土方さまを思うお気持ちはわかります。でも、『之定』は並の値段ではないのです。いくら新選組の副長さまでも、千両あれば、隊のためにお使いになるのが筋でしょう…御大名でもなければ、とても……」
良蔵はため息をついた。『之定』とは、そんなに高い刀なのか……いくら歳三だって、買うのは無理か……と思っていると、関屋が言った。
「でも、土方さまのお言葉は誠でございます。『之定』は本物の武士のために打たれたもの。もし、『之定』が手に入ったら、土方さまにもご覧にいれましょう」
良蔵は屯所に帰って、歳三に聞いた。
「土方先生、千両、持ってますか?」
それを聞いた歳三はあきれ顔をして、
「おめぇ、馬鹿じゃねぇか?そんな金があったら、もっといいところに屯所を建ててらぁ!」
と答えた。西本願寺は、間借りのようなものであった。最も、僧たちにとっては、軒を貸して母屋を取られたようなものだったが…
「そうですか。やっぱり『之定』は無理なんですね…」
良蔵が言うと、歳三は、
「『之定』?何の話だ?」
と、興味を持った。良蔵が関屋と千恵から聞いた話をすると、歳三の目がキラリ、と光った。
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