4 断罪を受け入れ魔王のもとへ旅立ちます

 薬湯を飲み、寝台の中で、うとうととまどろんでいると、部屋の外からアンナの慌てふためいた声が聞こえてくる。


「お嬢様、お嬢様、大変です! ジャン様がお見えになりました!」


 いよいよ、この婚約破棄・断罪イベントも佳境に入ってきたようだ。

 私、公爵令嬢エレインは、魔女として断罪される。

 父は爵位を奪われるから、私は何の身分も持たない、ただの一文無しとして、国を追われることになるはずだ。


「わかったわ、アンナ、支度をお願いね」


 いくら伏せっているとはいえ、寝巻きのまま、聖堂騎士団の団長殿の前に出るわけにはいかない。

 私は、身支度を調えると、ジャンの待つサロンへと向かった。


「お待たせいたしました」


 サロンに足を踏み入れた私は、ドレスの両端をつまみながら、優雅にカーテシーで礼をする。


「随分と待たせたな。公爵令嬢ともなると、我々を待たせても何とも思わぬらしい。まったく……、この俺様をこんなに待たせるのは、国内では、そなたぐらいのものだぞ」


(相変わらずの俺様っぷりね……)


 私は床を見つめたまま、心の中でそっと溜息を吐く。


「仕方がありませんわ、ジャン様。女性は身支度に時間がかかるものです」


 突如、ヴァレリー嬢の声が聞こえてきて、私は一瞬、度肝を抜かれた。

 ただの、男爵令嬢がなぜ、ジャンのコバンザメのように、のこのこと我が館まで付いて来ているのか。

 常識的に考えればありえない。


 しかし、ここは乙女ゲームの中であったことをすぐに思い出す。

 ヒロインはどこにでも、やって来るのである。

 なぜなら、当事者として、重要なイベントを目撃しなければならないからだ。

 私がこのイベントについて記憶しているのも、ヒロインであるヴァレリー嬢の視点でこのイベントを経験したことがあるからである。


 また、ジャンの周囲には、ヴァレリーだけではなく、側近のダミアンやアンリも揃っていた。

 これもこのイベントをクリアしたことのあるいちプレイヤーとしては、想定の範囲内である。

 二人は、攻略キャラでもあるのだ。


「ヴァレリーがそう言うのなら、まあ、仕方がないか。ヴァレリーに免じて許してやろう」

「ジャン様、そのような言い方はいけませんわ」

「ヴァレリーのことをいじめていたエレインのことを庇うだなんて、ヴァレリーは、相変わらず優しいな」

「そんなことはございませんわ、ジャン様」

「いや、本当に優しい。さすが聖女様だ」

「いやですわ、ジャン様」


(こんのぉ、バカップルども……! いったい、いつまでそのくだりを繰り返すのよっ!! おまえらは、満員電車の中で周囲の冷たい視線もものともせず、イチャイチャし続ける高校生かっ! 少しは気にしろ、周囲を気にしろ! この世はあんたたちだけの世界じゃないのよっ! ――って、ちょっと前世の意識が……、アラフォーを目の前にしたおばちゃんの小言が入ってしまいましたわ。でも、本当に、いい加減にしなさいよっ! このクソアマとバカ男っ!)


 私は内心、呆れつつもバカップルの会話が終了するのを静かに待った。

 その間に、私はそっと彼らのパラメーターを確認する。

 案の定、彼らすべてのキャラの前に、パラメーターの数値がかぶさって見えていたのだ。

 ちみなにジャンのパラメーターは、STR(力)が16、VIT(体力)が17。騎士だけあって、肉弾戦は強そうだが、INT(知性)は6しかなく、簡単に敵に裏をかかれそうな低さである。

 猪武者的な数値で、正ヒーローがこれで大丈夫なのだろうかと、若干の不安が残る。


 一方、ヴァレリーの場合は、周囲の男性たちに守ってもらうことを前提としているかのように、全体的なパラメーターの低さが際立つ。

 その中で知性だけが13と比較的高いのは、周りの男たちを手練手管てれんてくだで落とさないとならないからだろうか。

 ヴァレリーのこの知性に、ジャンのあの知性……。これでは、ヴァレリーの言ったことを疑いもせず何もかも信じてしまうのも当然だ。

 そして、ヴァレリーとジャンの違いは、MPにも現れている。

 ゲームのシナリオ上、この後、彼女たちは魔王ヴィネ様を倒す旅に出なければならない。

 道中やラスボスとの戦闘中に、ヴァレリーは周囲の攻略キャラを回復する。また、応援してパーティーメンバーの能力値を上げるという役割を持っている。

 この回復スキルと応援スキルを駆使するために、ヴァレリーはMPが必要なのだ。

 つまりは魔法が使えるということである。

 「聖女」という称号が頭の上で光っているが、魔法を使える彼女はヒロインとして優遇され、MP1の自分が魔女として断罪されるとは、やはりどうにも納得がいかない。


 ちなみに、侍女のアンナのステータス画面と、ジャンやヴァレリーのステータス画面では大きな違いがある。

 それが、私に対する好感度だ。

 さすが、婚約破棄を言い渡されただけのことはある。

 ジャンから私に対する好感度は、1しかなかった。

 婚約者として、そこそこうまくやれていると信じていた昨日までの私があまりにも可哀想である。

 ヴァレリーから私への好感度も1だ。

 私が彼女を「いじめていた」ということになっているのだから、当然とも言うべき数値である。ゼロでないだけでも、御の字と言えるだろう。


 そんな観察を続けながら、二人のイチャイチャが終わるまでの時間を潰していたところ、ようやく、ジャンは目の前に私がいることを思い出したらしい。


「この前は、きちんとした裁判も行わずに、そなたを魔女として糾弾きゅうだんしてしまった。それについては、まあ申し訳なかったと思う」


 ジャンは、ジャンにしては殊勝な言葉を口にする。


「間違いがあるといけないので、あらためて裁判をしなければならんと思い、今日は、ここに参ったのだ」


「本来、異端審問はきちんとした証拠をもって行なわれるべきものですからね。魔女としての確たる証拠を入手すべく、今日は司祭のアンリ殿にもついてきてもらったのです」


 ジャンの斜め後ろに控えていたダミアンが、ジャンの言葉を補足するように説明を加えた。

 どうやらこれは、ジャンの考えではなく、聖堂騎士団の副団長にして、ジャンの腹心の部下であるダミアンの進言によるものだったらしい。


 ダミアンは、この前の婚約破棄の際に、私への弾劾文だんがいぶんを読み上げた、あの人物だ。


 ダミアンは、何事もジャンを第一として働く優秀な部下である。どこが尊敬に値するのかまったく理解できないジャンであるが、なぜかダミアンはジャンを強く敬愛している。

 ダミアンは、隻眼せきがんであるが、それは生まれつきのものではない。

 戦場で、我が身を呈してジャンを庇い、盾となった際に、右目に敵の矢を浴びた。その傷が原因で、片目を失ったのである。

 ダミアンにとって、我が身より大事なのがジャンだ。

 そのため、恋愛など二の次と思っているのか、なかなか攻略の難しいキャラである。


 プレイヤーの中には、


「ダミアン様のジャン様への忠誠は、ただの忠誠ではないわ。あれは、“愛”よ! それも“恋愛”という意味での“愛”だわ!」


 と言って、主従カップリングの同人活動にいそしんでいた者たちもいたぐらいだ。

 そして、ダミアンは、腐女子だけではなく、少し厨二な傾向を持つプレイヤーからも信奉されるキャラであった。

 ジャンへの行きすぎた傾倒という設定にとどまらず、ダミアンの台詞は、常に厨二がかっていた。


 ダミアンは、聖堂騎士団の副団長として、創造神ファシシュに対しても篤い信仰心を持っている。

 ゲームの中では、魔王ヴィネ様やアヴァロニア王国に対して、他のキャラたちよりも強い憎しみを抱いていた。


「異教徒はすべて、この世の中から殲滅せねばならない! 悪を蔓延はびこらせてはならぬのだ! この聖堂騎士団の名にかけて、この世から駆逐せよ! 抹殺せよ!」


 とは、ダミアンがよく言っていたことである。

 この大仰さもまた、やはり厨二がかっている。


 溜息を吐く私を横目に、ダミアンは続ける。


「アンリ殿なら、異端審問の裁判にも慣れていますからね」


「まあ、そうだね、慣れていると言えば慣れているよ。こんなに美しい女性に対して、裁判を行わなければならないのは、心苦しいけれどね。君とは、こんな形で出会いたくはなかったな、ああ、本当に残念だよ」


 ウェーブのかかったプラチナブロンドの長い髪を後ろでひとつに束ねた司祭アンリは、司祭らしからぬ、口説き文句のような台詞を口にする。


「仕方がないから、まずは魔女の印を見つけることにしようか。用意はいいかい? 美しいお嬢さん」


 アンリは、懐から太くて長い針を取り出した。

 どうやら、これから司祭アンリによる魔女裁判が行われるらしいのだが、私の答えは既に決まっている。

 どうせ、このシナリオの結末は変えられないのだ。

 それに、私はもう魔王ヴィネ様のもとへ向かうと決意している。


「私を魔女として断罪してくださってかまいません」

「そうですか……魔女として……? え、今、何と? 裁判を受けずに、魔女であることを認めると?」

「はい」

「う~ん、魔女の印を探すのが嫌だと言うのなら、ちょっと水に沈んでみる? 足を縛って、石の重しをつけて、川に沈んでもらうだけなんだけど……魔女なら、沈まないはずなんだよね」

「はあっ!? そんなの、沈むに決まっていますわ! そんな死ぬ危険性のある裁判なら、私、裁判を辞退いたしますわ」


「おい、待て。そなたは、辞退するということの意味をわかって言っているのか?」


 それまで、沈黙してアンリと私のやりとりを聞いていたジャンが口を開いた。


「ええ、だから先ほどから申し上げているではありませんか。魔女として断罪してくださってかまいません、と。私が自身を素直に魔女と認めればよいのですよね?」

「ああ、そういうことだ。ただし、魔女の烙印が押されれば、そなたはもう公爵令嬢でいられなくなるぞ。本当にいいのか?」

「ええ、わかっています」

「エレイン様、一時の感情でお決めにならない方がよいのではございませんか? 魔女ではないなら、水に沈められても身の潔白を証明できるわけですし……。きっと、沈んだことが確認できた途端、ここにいらっしゃる屈強な殿方たちが、エレイン様を川の底から救出してくださるはずですわ」


 このバカ女は何を言っているのか。

 同情する振りをして見せて、私が拷問を受けるのを見たいだけではないのか?

 川の底に沈んだからと言って、このバカ男たちが私を助けてくれる保証がどこにあるというのだろう。


「いいえ、もう結構です」


 私は、ジャンをはじめとする一同の前で胸を張った。


「私は魔女です。魔女ですから、素直に魔王のもとに参りますわ」


 まさか、こんなにも素直に、私が「魔女である」と自ら言い出すとは誰も予想していなかったのだろう。

 目の前には、唖然とした表情を浮かべたジャンたちがいた。


 それはそうだ、私が魔女となれば、その罪は私だけにとどまらない。当然父や母にも累が及ぶ。

 父は何も悪いことをしていないのに、爵位や領地を奪われてしまうことだろう。


「そなたが魔女だと認めるのであれば……。残念ながら、公爵閣下の爵位は剥奪となるであろう。国外追放を言い渡さねばなるまい。それでいいというのか?」


 ジャンが再度、私に問いかける。


「はい」


 私は、皆の前で頷いた。


(ああ、お父様、お母様、ごめんなさい! 婚約破棄と断罪は、悪役令嬢のエレインとして、避けられないイベントなのです。ですから、私は魔王のもとで一発逆転の人生を目指します!)


 頷きながら、私は心の中で父と母に詫びつつ、再起を誓った。


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